【禅】應無所住而生其心(3) | 対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

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私は対人恐怖で、緊張すると手が震える小心者の治療師ですが、
それでも30年余、延べ10万人も施術してくることが出来ました。

その経験から、対人恐怖でお悩みの治療師のみなさんに、
メンタルや施術方法についてお話したいと思います。


さて、「応無所住而生其心」を訓読すると、「応(まさ)に住する所無(ところな)うして其(そ)の心(しん)を生(しょう)ずべし」となります。


これは釈尊が十大弟子中解空(げくう)第一と称せられた須菩提(しゅぼだい)に対し、心の持ちようの急所を教えられた一節で、『金剛経』には、


この故に、須菩提よ、諸々(もろもろ)の菩薩摩訶薩は応(まさ)にかくの如く清浄心を生ずべし。

応に色に住して心を生ずべからず。

応に住する所無うして其の心を生ずべし。


とあります。


「住する」とは、止住、住著の意で、心が一つ所にとどまることを申します。


すなわち、心をひかれること、とらわれること、執着心を起こすことであります。


けだし、これがわたくしたちの迷いを生ずる根本原因なのです。



(つづく)








(※)

「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて

いただきました。 


















確かに執着心がなかったら、この世はもっと楽に生きられるだろうなあと思います。

しかし、その一方で、執着したくなるものがなかったら、この世は味気ないものになるかも知れないとも思ってしまいます。

これが迷いなのかも知れませんね。