一華五葉(いっけごよう)を開き、結果自然(じねん)に成る (少室六門集)
吾本来茲土
伝法救迷情
一華開五葉
結果自然成
吾れ本(もと)、茲(こ)の土に来たり
法を伝えて、迷情を救う
一華五葉を開き
結果自然に成る
という、達磨大師が二祖慧可(えか)大師に与えられた「付法伝授の偈」の中の句であります。
この句についてはいろいろの説がなされていますが、心地開発の様子を華にたとえたものともいわれています。
すなわち、一つの華が美しい五枚の花びらを開き、そして、おのずからそこにりっぱな果実をみのらせるように、わたくしたちも心の花を咲かせ、五智(仏智を五つに別開したもので、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智、法界体性智をいう)を開発させたならば、仏果菩薩は願わずとも自然に成就するというのであります。
したがって、まず心の花を開くことが肝要です。
心の花を開くとは、いうまでもなく清浄無垢な心にたち返ることです。
わたくしたちはだれでも仏と同じ心をもっているのですが、それが妄想執着のくもりにおおわれて、その存在がくらまされているわけです。
だから、その妄想執着のくもりを払拭して、清浄無垢な心を取りもどし、仏心を証得するならば、わたくしたちは、仏祖と同じ境地に生き、仏祖と同じはたらきをすることができるのであります。
(つづく)
(※)
「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて
いただきました。
煩悩のある肉体を持ちながら、煩悩執着のくもりを払拭し、清浄無垢な心を取り戻す。
煩悩にとらわれないということでしょうか。
対人恐怖を克服するには、対人恐怖のままで、対人恐怖にとらわれないと聞きますが、同じような感じでしょうか。
禅の悟りと対人恐怖を同じに考えてはいけないのかも知れませんが。