【禅】不識 (6) | 対人恐怖で悩む内向型治療師のブログ

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私は対人恐怖で、緊張すると手が震える小心者の治療師ですが、
それでも30年余、延べ10万人も施術してくることが出来ました。

その経験から、対人恐怖でお悩みの治療師のみなさんに、
メンタルや施術方法についてお話したいと思います。


「太守、尋常口吧々地(くちははじ)たり。這裡(しゃり)に到って什麼(なん)としてか説破せざる」(あなたは、いつも禅のことについてよく話されるのに、今日はどうしてお答えあらぬか)


益翁は更にたたみかけて申されました。


謙信はますます窮して、冷汗を流すばかり。


この様子を見て、益翁はおもむろにさとされました。


「若し此の事(じ)を得んと欲せば、須(すべか)らく大死一番してこれを得べし」

と。


そのとおりで、真に禅を会得しようと欲するならば、命を捨てて、真剣に取り組むことが肝要であります。


なま悟り、なま見識などはなんの役にも立ちません。


ここにおいて謙信の慢心はくじかれ、それよりは真摯(しんし)に、ほとんど寝食を忘れて、この「不識」の二字を参究し、辛勤苦練、数カ月を経て豁然として悟ることがあったということです。


二十四歳にして入道薙髪しましたが、この因縁によって「不識庵」と号し、益翁宗謙の徳を慕うてその一字を受け、謙信と称したのでした。


惜しいかな、四十九歳の若さで陣中に卒しましたが、その生涯は禅僧のごとき生活態度であったということです。



(了)








(※)

「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて

いただきました。 




















なま悟りという言葉にグサッと来ました。

森田療法を学び、気づきを得て、森田療法は卒業したと自惚れていましたが、それは正しく「なま悟り」であり、対人恐怖と共に生きていく覚悟はまだまだ出来ていませんでした。