「太守、尋常口吧々地(くちははじ)たり。這裡(しゃり)に到って什麼(なん)としてか説破せざる」(あなたは、いつも禅のことについてよく話されるのに、今日はどうしてお答えあらぬか)
益翁は更にたたみかけて申されました。
謙信はますます窮して、冷汗を流すばかり。
この様子を見て、益翁はおもむろにさとされました。
「若し此の事(じ)を得んと欲せば、須(すべか)らく大死一番してこれを得べし」
と。
そのとおりで、真に禅を会得しようと欲するならば、命を捨てて、真剣に取り組むことが肝要であります。
なま悟り、なま見識などはなんの役にも立ちません。
ここにおいて謙信の慢心はくじかれ、それよりは真摯(しんし)に、ほとんど寝食を忘れて、この「不識」の二字を参究し、辛勤苦練、数カ月を経て豁然として悟ることがあったということです。
二十四歳にして入道薙髪しましたが、この因縁によって「不識庵」と号し、益翁宗謙の徳を慕うてその一字を受け、謙信と称したのでした。
惜しいかな、四十九歳の若さで陣中に卒しましたが、その生涯は禅僧のごとき生活態度であったということです。
(了)
(※)
「茶席の禅語」(西部文浄著) から引用させて
いただきました。
なま悟りという言葉にグサッと来ました。
森田療法を学び、気づきを得て、森田療法は卒業したと自惚れていましたが、それは正しく「なま悟り」であり、対人恐怖と共に生きていく覚悟はまだまだ出来ていませんでした。