寝て起きるという行為。

意識を失っているので、無事に起きる(目が覚める)ことで生きていると確認できる。こんなことを普段考えもしないが、事故に遭遇しそうになったなど、危なかったと思う時にはこういうことを思うこともある。死ぬ瞬間というのは寝る瞬間に近い。直前に危機的状況があったかどうかを問わず(苦しみたくないというのはありますが)、次に起きる(目が覚める)ことがないのが死ぬことなのかなと。

 

そう考えると、表題にあげたように考えようによっては、毎日死んで毎日生き返るようなものといえるのかなと。毎日寝て毎日起きる行為。人生で2〜3万回程度(当然に個人差あり)行っていますが、老衰というのはこのサイクルが途切れるようなもので、朝起きてこないから見に行ってみたら亡くなってた(医師がいなければ警察関係の手間を踏むことあり)というパターン。無論、生物学的な死を迎えなくても意識が戻らないということも、同じような部類に入るのかもしれません。

 

 

人生も折り返しを過ぎている(世界最高齢から見ればまだですが)ので、死を意識したくなくても、ふと思うようになる。病気や事故、あるいは災害など様々なものがありますが、当たり前のこととして毎日寝て毎日起きるという行為自体も、考えようによってはなかなかに難しいことをしているのだなと思ったり。

 

10月3連休の最後の朝に、こんなことを書くのもなんですが、今日を大事にと思うキッカケになればなぁとしつつ、今回はここまで。

出張とかで、その地域のローカル番組を鑑賞するという愉しみ。特に京阪神方面に行った時は、いわゆるキー局でも関東地方ではやらない面白い番組が多いが、これは基本的に番組の構成というよりも出演者の話がおもろいということが大きい(反面、予算かかってないのが見え見え、だがそれがいい)。その中には、いいなこれ、毎週でも鑑賞したいなと思っても、早々都合良く出張が入るわけでもないし、ホテルとかに戻る時間とかも拘束されるので、本当に運任せという面が大きかった。

 

だが、時代は変わった。様々なネット視聴の拡大によって、ローカル番組をネットで愉しむことができる時代になり、わざわざそのエリアに行かなくても京阪神の面白いローカル番組が(お気に入りすべてではないが)視聴できるようになっている。その一つがTVerで、とあることがキッカケで、存在そのものは数年前から知ってはいたが、やはり使ってみようというのはそこまでのハードルはある。これが本当に偶然の成せる業で、テレビ大阪の「大阪おっさんぽ」という番組をTVerで視聴する機会があり、「なんだよ、こんなに綺麗に観賞できるんだ!」と驚き、それから様々なローカル番組を愉しむようになった。

 

 

もともとライブ(感)が好きなので、ワイドショウ的なものを見たいがそれはほぼなく(1コーナーとして独立させたものならあるようだが)、録画中心のものになるが、関東圏よりも圧倒的に面白いローカル番組が多く(主観です)、空いた時間ができればというよりも、適当に流しておこうかという感じで、TVerを流し続けている。

 

TVerの使い方としてはかなり例外的な使い方だとは思うが、いやはや本当にいい時代になったものだと思いつつ、今回はここまで。

「探す」と「見つける」。探している間は愉しいという人と、見つけたことでそれを愉しいという人は、別なようで同じか、同じようで別か。実世界でも仮想世界でも感覚は早々変わるものではないので、私は探索する過程は愉しいが、あまりに面倒(時間がかかり過ぎる)だと愉しくなくなるし、見つけた結果、その事物が思っているほど愉しくない(拍子抜け)こともある。瞬間瞬間では別の感覚は起こるものですが、こう考えてみると、別なようで同じかという見解に立っているのかなと。

 

ただ、仮想世界では基本常に安全なところに実体は存在しているので、チャレンジ自体のハードルは低い。一方、実世界では常に安全である補償はない、いやそれどころか危険と隣り合わせというものも普通にある。そうなると、私は臆病でもあるので(いい言い方をすれば慎重)、仮想世界と実世界での感覚は違うものだと認識できる。そこのギャップは常にあると言い換えてもいいかもしれない。

 

ただ、全く無関係でもないような気がします。その昔、戦争ゲームを好む人は好戦的で戦争賛成派だなどと宣うよくわかっていない人がいましたが(今もいるか)、それでは本当に無関係と言えるかといえば、人によって異なるというところもあります。そこの違いは、倫理観というか、常識の有無か、視点は様々でしょうが、端的に言えば現実と仮想の区別が付かないということになるでしょう。

 

 

思うところ、こんなことを考えるから面倒だとも思うので、愉しいことをやっている間は、つまらないことを考えないに尽きるのかなと土曜の朝に何となくふわっと考えつつ、今回はここまで。

生きている限り様々なリスクが常にあって、その確率に差がありますが、客観的に測るというのは難しいものです。賭け事のように、事前に倍率が分かっていても、それが即確率に繋がっているわけではないのと同様に、個々人によって状況や環境などが異なるものなので、一概に単純比較できるものでもありません。

 

例えば、低リスクとされるものが、たまたま(偶発的に)連続して発生する(という認識)と、低リスクに視点が向き、高リスクよりも低リスクの方を重視するようになることがあります。これは気持ちの問題としてはわかるものの、リスクの判定としては間違っているとまではなりませんが、確率的にどうなの? そもそもリスクとは? というところに話が向いてきます。

 

 

先のことは見通せず、ラプラスの魔のようなものもないわけですから、どうリスクを取るか(取らないか)と考えるにあたり、その事象が起こった場合の最悪度などから検討していくようにしています。軽いケガで済むのか、重いのか、そこでおしまいになるのか、等々。

 

とは考えつつも、やはり「納得」という要素も必要でしょうか。考える立ち位置によっては、常に悔いは残るものなので、それを超える納得というものを得ておく。そんなことを台風23号が来る前に思いつつ、今回はここまで。

今日(9日)は朝から台風22号の報道が続いていますが、東京都とはいえ、八丈島など伊豆諸島が対象地域で、都心からは200〜300kmほど離れたエリアの話です。したがって、いつもよりも風が強いですが、ここは危機的状況からはほど遠いです。とはいえ、対象地域の方は十分にご対応頂ければと同時に、大きな被害が起きないことを祈っています。

 

さて、放送エリアの話です。私は東京地方で地上波を観ていますが、この報道、全国レベルではどの程度、報道されているのでしょうか。確かにエリア的に重要な地域もありますが、おそらくほとんどのエリアの人たちは影響がない話です。命の危険が迫っていますと言われたところで、ほぼ無関係です。そうなると、関係のない人たちはこの手の話が続けば、おそらくそれなりの人たちは別の番組やメディアに移るなどするでしょう。局所的に行えばいいのにとしつつ、放送電波というのはそう都合良く制限できるものではないので、電波制限を行うくらいなら、ご覧いただく方の選択に委ねるとなるのは自明のことでもあります。

 

報道の使命、といえば聞こえは良いですが、こういった情報は必要な人だけに届けばいいのか、それとも必要でない人(潜在的には今後必要になるかもしれない人)にも届ける必要があるのか。放送(電波)網やチャンネル数など、様々な制限の中、確立されているのが現状とは思いますが、これってTVやラジオでなく、ネットであればそういった軛から断たれることは言うまでもありません。

 

 

とはいいつつも、まだまだネットは受動的メディアではなく能動的メディアであって、TVなどのように一方的に流し続けるということには、コンテンツの性格的にも向いていないような印象です。無論、対象となるユーザ層の問題もありますが、まだまだTV報道の必要性は失われてはいません。同じことの繰り返しだからこそ、有用というのもありますので。

 

八丈町の中継映像を見ていると、暴風雨が強いことが窺えます。自身にはほぼ関係がないとしつつも、こういった報道には意義を感じつつ、今回はここまで。

私のプログラミング歴は、いわゆる i8080(Z80)系のマシン語(アセンブリ言語などという高級言語ではなく、16進数に変換した直打ち)から始まり、主なものとしては BASIC、アセンブリ言語、C、C++、Pascal(Turbo Pascal & Delphi)、Fortran(全大文字はメンテのみ)、COBOL(メンテ中心)などなど、様々な言語、環境、そしてターゲットを相手にしてきましたが、間違いなく言えることはバグ(ミス)のないプログラムなど存在せず、今はなかったとしても将来において保証(補償)できるものではないと断言できます。

 

分かる方には自明のことですが、ハードウェアそしてソフトウェア環境が一切変更がなく、かつ、利用者も常に同一で操作を誤ることはないというのであれば、完全性を証明できる可能性は高まりますが、そんなものはほぼ皆無です。加えて、現在のプログラムは自分自身が書いた(書かせた)コードだけではなく、コードライブラリの利用は当たり前で、さらにその動作をあてにして書かれたものも少なくありません(商用プログラムというのはそういうものです)。

 

そして、プログラムコードよりも動作に重要なのは、いわゆるパラメータシートに定義される各種設定値です。これも自明なことですが、仮に完全なプログラムというものがあったとしても、パラメータ指定が誤っていれば、簡単に期待した動作を裏切ることができます。エンドユーザさんに近いところで仕事をされている方であれば、パラメータ設定ミスによる不具合に泣かされた経験は何度も、いや何百度もあるはずです。

 

 

そしてハードウェアの進化(変更)も不具合要因として出てきます。枚挙に暇がありませんが、ハードウェアのウェイト調整やデバイス依存に係わる部分は、単純化できないほど厄介な問題が潜んでいます。私からいわせれば、例えば、そんなに早くデータを読み取る想定になっていないプログラムなのだから、ハードウェアの進化に合わせてバージョンアップしなければと主張したとしても、どれだけの人が理解できるのか。そこからです。プログラム改修の前に、関係者の頭の中を改修(改宗)させなければならないのです。

 

長くなるので、一旦中途半端ですがここで切りますが、何もかもプログラムの問題とするのは勘弁して頂きたい、ということです。それ以前の問題として、アップデートを怠っているとかあるにしても、私から見ればアップデートしてくれるだけマシなのです。酷いもの(というか普通かもしれない)は、アップデートすらしていないので、ライブラリを見直したり、そこだけスクラッチして作ったり(やる人によってはバグの温床)。それがハードウェア側の問題であれば、ハードウェアの修正でなくソフトウェア側で対応を求められることがほとんど。こういう世界です。

 

どこまでをミス(バグ)と指すのか、というのは上記のような問題を孕んでおり、単純なものでは決してなく、複雑なものです。単純なところしか見ていない人にはわからないでしょうが、単純でないものを単純に見ること自体が根本的な誤りです。未経験者にはわからないだろうなと思いつつ、今回はここまで。

未来(先のこと)が分かっていれば、と思うのは昔から変わっていないように思いますが、1秒後の身の回りのことと、1年後の身の回りのことが同じ確率でないように。そして1秒後の身の回りのことと、1秒後の銀河系全体(把握可能であれば、ですが)のこととが同じ確率ではないように、時間と規模によって(不確定性の広がりによって)異なるのは言うまでもありません。

(さらにいえば、対象の範囲=絞り込みの程度によっても異なります。)

 

これは、個々人の時と場合によってもいえることで、例えば万馬券を当てたいというのと、10年後に資産家になっていたいというのでは、プロセスも時間経過もそれに関連する項目数も異なるわけで、そう単純ではないこともわかります。

 

で、標題の話になるわけですが、個々人にとっての安心や安全というのは、自明のことですが一致することはほぼありません。むしろバラバラであるのが自然であって、よく国や地方自治体の首長等が安心・安全という宗教家なのではと見紛うほど唱える者もありますが、これって何に対して具体的にどのようなというものを示して宛がったとしても、個々人によって、さらに時期によって変わってくるのは当たり前だとなります。

 

 

これは、信ずるものは救われるというレベルでしかなく、とどのつまりは気休めと同じようなものです。端的に言ってしまえば、安心・安全ばかりを強調するのは、気休めをほざいているだけと言い切っても過言ではありません。

 

具体的に川が決壊した。だから決壊した箇所を補修の上、堤防を強化するというのは、わかりやすい安心・安全策です。1秒後の身の回りのことを予測するようなものです。決して気休めとはいえませんが、かといって、それを超える水害が起こったり、経年劣化に伴う補修を怠っていれば、気休めに成り下がるのは言を俟ちません。これさえやっておけば大丈夫、という甘いものではないわけです。

 

考えていけばきりがないので、どこかで考えを止めることもいいでしょう。それこそ気休めにあたるもので、思うに不確実な世の中、人生であるのなら、必要なことを考え実行することは大事ですが、必要以上に及ばないことまでは考えなくてもいいという自明な結論が得られます。そんなことを出勤前に思いつつ、今回はここまで。

昨日(5日)発生した東急田園都市線、梶が谷駅あたりでの車輌同士の衝突事故は、留置線に入るべき車輌と営業線の車輌が接触(衝突)して脱線という、なかなか考えにくい事故ですが、結果として脱線車輌の移動という作業が簡単なものではないので、今朝から田園都市線の渋谷〜鷺沼間という大動脈が不通となってしまっています。

 

こういう時、振り替え輸送という話になるわけですが、これは不通路線の代替として別経路を使うもの。そうなると、慣れない利用者がただでさえ混雑する路線に流入することになるわけで、おそらく関連するであろう横浜市営地下鉄やJR横浜線、JR南武線などなど、影響は多岐に及ぶことでしょう。

 

私は幸いにして、職住近接(行こうと思えば徒歩でも行ける)なので、この手の影響とは無縁になりましたが、若い頃は当然に巻き込まれていて、遅延当たり前!という行動をとっていたものです。

 

 

振り替え輸送は、鉄道会社としても精算などそれなりの手間を要するだろうし、また、先にもふれたように様々なところに影響を及ぼすものですが、私の思うところ、結局は個々人によって影響はそれぞれだし、絶対に、というものはこの世に存在しないわけだから、慌てても仕方がないと泰然自若とするのがいいのかなとも思います。他人事だから、こう考えるだけとも言えますが、自分のことを客観視することがピンチの時ほど重要なので、とにもかくにも慌てないことです。そんなことを思いつつ、今回はここまで。

「Ghost of Yōtei」(ゴースト・オブ・ヨウテイ)が先週発売になり、土日にプレイ時間をしっかり確保して、早速昨日がっつりとプレイしたのですが、やはりというかやっぱりというか、本作はオープンワールドゲームであり、プロローグを終えて一部の行き先は明示されるものの、基本、どこから行ってもそれなりにプレイ可能という性質から、案の定、ストーリーは(おそらく)あまり進んでおらず、細々としたところで愉しんでいるという状況です。

 

 

とはいえ、オープンワールドゲームといえども、歩いていて(馬に乗っていて等を含む)愉しくなければなりません。その大前提は、その世界観というか風景というか、歩いていることだけでも価値があるというものが必要であって、かつ、メリハリを感ずることができる細々とした義務化されていないイヴェントもほしいところ。ただ広いだけの面白くない風景の所を延々と進みたくはないのです。

 

その点、本作は北海道は羊蹄山周辺の美しい風景はもちろん、危険なクマなどもテリトリーをもっていたり、アイヌの人たちや本土から渡ってきた人たちが点在しているなど、歩いているだけでも愉しいです。特に馬で走る疾走感はたまらないですね(厭きるかもしれないけれど)。

 

それから地図。未踏の所を許せないタチなので、どうしても隅々まで歩きたくなってしまう。そこでイヴェントに遭遇すると、そこでも愉しい時間が流れ、あっという魔に、いや間に時間が喰われていく。愉しいからいいやで済むから気にも留めていないのですが、時間を有効に使いたいという人には如何なものかとなるのでしょうか。

 

さてさて、そんなわけで見事にオープンワールドゲームの罠にはまり、私の悪い癖で全く話が進まない本作ですが、これだけでも十分愉しいので、これからストーリーが進んでいけばもっと愉しくなるのではないか。こんな期待を持ちつつ、今回はここまで。

19年間続けていた XWIN II Weblogが消滅しましたが、ここでは途中から地域歴史研究と称して、自分の興味の赴くままにあれこれと駄文を書き連ねてきましたが、その中に新空港線(蒲蒲線)の話題も採り上げました。この計画は、東京北西部から羽田空港へ接続するため、東武東上線、西武池袋線方面から、副都心線・東急東横線・東急多摩川線経由で、京急空港線に新線を建設して接続し、羽田空港まで直通運転を目指すものです。ざっと書きましたが、5社が相直運転をし、最大4社を乗り継ぐので運賃はいかばかりかと考えます。

 

一方、JR東日本が計画する品川方面からの羽田空港直通線計画は、当たり前のように複数路線が乗り入れる(○○ラインとかいうやつ)ように、埼玉方面や千葉方面からもJR線オンリーで直通運転が期待されます。つまり、大宮や池袋、千葉そして成田空港との直通運転が行えるようになり、JRだけの運賃なのでそこまで高くはならないだろうと見込まれます。

 

この比較は、あくまで新空港線(蒲蒲線)が完成した暁での比較であって、今回の事業認可はいわゆる第一期線としての東急蒲田駅(手前)から、京急蒲田駅南側(京急蒲田駅と直結するわけではなく、結構歩かされる)までの話であって、京急空港線との直通運転どころか、おそらく400〜500メートル歩かされる(加えて地下4階から地上2・3階までの高さの差もある)ものです。このあたりはエスカレータや動く歩道などのフォローもあるのでしょうが、そこまでの需要があるのかどうか、疑問符は当然のように付きます。

 

 

さらにいえば、蒲田駅の前後にある品川駅や横浜駅からは、羽田空港へ直結する京急電鉄の存在があり、局所的に蒲田駅に羽田空港直通路線を設けたところで局所的にメリットを得るだけで、広域的に価値があるかは微妙でしょう。

 

そして第二期線は、肝心の京急電鉄が反対の立場をとっており(建前上は積極的にではないが)、今でも蒲田駅東口から羽田空港までの直通バス(途中のバス停は大鳥居駅のみ)を走らせており、15分程度で空港ビル内に入ることができる便利さなので、果たして京急蒲田駅までの乗り換え時間を想定すれば、わざわざこの路線を使わずとも素直に蒲田駅から京急バスに乗れば、全く問題なく羽田空港に行くことができるので、第一期線としての価値は羽田空港へのアクセスという観点からは、ほぼ意味がないといえます。

しかし、東急電鉄の視点から見れば、この第一期線だけでも大いなる価値があると見ています。それは、長年形付けられてきた営業地盤の軛を断つことができるからです。東急電鉄は、JR東海道線・京浜東北線を営業エリアの境界線とされ、東側は京急電鉄、西側は東急電鉄となっています。ですが、第一期線はこのJR線を超え、東側に進出(侵出)することができるのです。これは当然に前例となり、横浜エリアや他のエリアでの営業権益にも影響を及ぼすでしょう。そこに価値を見出すことができるというわけです。

 

いつもの話ですが、マルチプレイヤーが係わる事業というのは、それぞれの思惑(真の狙い)が異なるところにあるものです。今般の計画は、地元の東京都大田区としては宿願(ミッシングリンクの解消)としていますが、果たして第一期線だけでそれが叶うかといえば、そんなことはありません。それよりも東急多摩川線沿線住民からは、多摩川駅〜下丸子駅〜東急蒲田新駅しか止まらない電車設定によって、今よりも走る電車本数が減るのは確実でしょう。そして、編成数の長い(8〜10輌)電車となるので、踏切は開かなくなるし、それを待っても乗れるわけではない電車なので(下丸子駅は地下化するので、今のように簡単にホームにアクセスできなくなる)、地元的には不満ではないかと想像できます。

 

他にも色々あるでしょう。ただ、それは立場によって異なるものであり、思惑もそれぞれでしょうから、善し悪しもそれぞれとなるものです。そんなことを土曜の朝に思いつつ、今回はここまで。