一
1985年3月14日、国鉄全国規模ダイヤ改正が実施された。この時の北海道内特急列車の従来からの変化といえば、キハ80系充当減少・短編成化、キハ183系充当増加・短編成化、急行列車からの格上げを含めて増発、というものだった。
80系に関しては食堂車無し6両編成単独で走る定期列車が現れ、従来に比して見劣り。183系に関してはグリーン車無し6両編成列車が現れ、従来に比して見劣り。
特に後者の、キロ182非連結というのは即ち売店無し。よって車内調製弁当の販売は無く、急行やエル特急同様既製品積み込みだけ。80系6連特急同様に当時札幌市西区民だった私は寂しさを感じたものだ。
改正後の3月20日に私はグリーン車無し183系6連の「北斗2号」に札幌→伊達紋別で乗り、車内販売からホットコーヒーを買って飲み、温かい弁当にこだわらなければ「ま、ええか」と思うようにしたが、あくまで伊達紋別までの話。
4月13日には函館→札幌にて上と同様の「北斗9号」に乗ったが、先頭車連結面寄り業務用室を車販準備室に充てているのを見て、発車後幕の内弁当を速攻で購入し札幌までの空腹を逃れた。調理設備が無いので車販で買える弁当類も限られるのは判っていたが、2023年から思い返せば私が幕の内弁当を買ったのはそれしか選択肢が無かったからかもしれない。
なおこれら2列車は改正前はともに80系で食堂営業、よって食事の選択肢が著しく減少した列車でもある。
同年11月に国鉄分割民営化の方針が定まり、1987年4月の新会社発足へ向けて1986年秋に国鉄ではダイヤ改正を実施。北海道では特急用新型ディーゼルカーを投入、否183系増備で500番台が付与される・・・といっても見掛けは全く新型だ。デザインは鉄道ジャーナル誌同年8月号に載ったイラストで見たが、投入車両数にも興味を引かれた。
先頭車となるキハ183の500番台・1500番台が7両ずつ、というのは7編成組めるということか。いっぽうグリーン車キロ182の500番台は8両で、想定される編成数ぶんより1両多い。私は瞬時に現行モノクラス列車対策と解し、改正後は全特急にグリーン車が、売店コーナーが設けられると喜んだものだ。実際にはキハ184を改造したキロ184というのもあって、これは売店無し車販準備室のみだったが。
とにかく、秋のダイヤ改正では質・量ともに拡充が図られる。ハイデッカーグリーン車及び売店付き車両増備は、供食サービスを疎かにしないという国鉄北海道の心意気を感じさせるものだった。
ダイヤ改正は11月1日。その内容は8月に知らされたが、当初予想と違ったのは新183系の運用。7編成というのではなく、新型主体編成は「おおぞら」3往復。ハイデッカーグリーン車は「北斗」「オホーツク」そして残りの「おおぞら」などの一部へ投入。「おおぞら」3往復以外はばらばらで編成に組み込む?従来と同じ183系なのだから妥当なところではあるが。
1986年10月、遂に私が「500番台」というようになる新型183系実物を見られる時が来た。11日(土)と12日(日)に札幌駅で展示会そして札幌発着の試乗会を実施。
展示会は各日2回実施、札幌駅0番線に留め置いた新型のみの5両編成の中へ入れるというもの。当然私は両日とも見に行き、先頭車客席からの前方眺望の良さ、普通車フリーストップリクライニングシート、グリーン車出入り台のステップを見るまたは味わう。
試乗会は午後の展示の後で札幌~岩見沢を往復。11日が報道向け、12日が一般向けで、後者は往復はがきを出しての抽選制だった。
私はそれに当選し、営業開始前に普通車の乗り心地を味わえた。シートについては0番台のそれよりはるかに掛け心地は良く、背ずり裏テーブルが設けられたことで通路側席でも飲食をし易くなった。窓は大きく内装も明るく、とにかく開放的。好いこと尽くめだった。
この時「鉄道ファン」誌取材スタッフとして鉄道友の会ロングおじさんも乗車しており、岩見沢ホームで私と「この色って野岩鉄道に似てませんか」「俺もそう思ってたんだよね」等々やり取り。当該車両は6050系で、せっかくロンちゃんがいるのだから私は関東私鉄と絡めたかったのだが、試乗列車乗客ではロングおじさんと私でしか成立しなかった会話だ?
二
2023年3月17日(金)の石北本線特急列車運用を以ってN/NN183系は定期列車から離脱し、これ以降は札幌~函館・稚内・網走の引退興行。4月10日の網走→札幌「キハ183系オホーツク」が同系列車のラストランというのが1月20日JR北海道プレスリリースに載った。
4年前の2月末日を以って客室乗務がなくなり、恒常的ワゴンサービスは全廃。2022年10月のキハ281系ラストランでは往時の客室乗務員に扮したJRスタッフが記念乗車証を配ったそうだが、あくまでそれのみで車内販売は実施されず。今回のキハ183系ラストランプレスリリースを見ても記念証配布とあるだけで、それだと車販はなかろう。
ではそういう全車指定席特急列車に私が乗るかだが、供食無し特急なんぞタダでも乗らんという極端な思考の持ち主ゆえ、ラストラン乗車は見合わせ。キハ281系の時もそうだったし、さかのぼればキハ80系ラストは「食堂車が無い」という理由で行かなかった程だ。
けれども試乗会から乗っていた身、その時の塗装を復刻、それなら最後は見届けに行こうか、という気に至った。
1ヶ月前10時打ちでも取れる訳なかろうが、一応それには挑んでみよう。かくして2月10日(金)午前9:30すぎにみどりの窓口へ、先客無し。
上り「キハ183系オホーツク」座席数は普通車2両136席、グリーン車3両72席、よって普通車通路側に定めて窓口へ出した。9:55頃から窓口前待機、10:00操作、駅社員がうなずいた。1号車15番B席、客室端の席かと一瞬思うが、駅社員が「こちらでよろしいですか」とシートマップを示すと乗務員室寄り3列目、ベストじゃなかろか。
4月9日(日)網走へ向けて移動開始。伊丹から8:00発JALで新千歳へ飛び、13:05発J-AIRに乗り継いで13:50女満別空港着という行程だ。
女満別空港から西女満別駅へ歩き、同駅15:38発普通列車に乗った。これがキハ40の「紫水」+首都圏色の2両編成で、石北本線普通に2両なんてあったのかと思ってしまった。
先頭「紫水」客室へ入ればロングシートもボックスシートもそこそこの座り具合、よって4人空きボックスは無く、2両でこの埋まりようとは通学時間帯以外の石北本線普通列車にあったんか。
女満別で少し降車が見られたが、多くは網走へ。もしかしてキハ183系目当てが多い?外へ目を向けたらキハ183イラスト入り幕を掲げた自動車が国道を並走。
もうここからラストラン熱が高まっていたといってよいほどで、その熱気は到着後の網走駅にも波及。観光案内所でキハ183系グッズの販売があるのだけれど、そこに購入者の行列が出来ていた。ところで札幌から着いた下り「キハ183系オホーツク」の車両だが、そちらは本日は入庫済みだった。
三
183系500番台営業開始に際しての記念列車ってどれ?「主に500番台」で改正初日に早く出発するのは釧路発の3本。ではそれに乗ろう、という私は当初グリーン車を考えたものの、北海道ワイド周遊券利用なのだからやっぱり自由席乗車で。記念行事対象列車は事前には判らず、当日釧路で様子を見てから乗り込むことにして、そのため改正前日発夜行急行「まりも」で釧路へ向かった。
なお改正前日は昼間から500番台送り込みが見られ、午後の釧路行き「おおぞら」に主に500番台8連が見られ、0番台に回送かどうか知らんがキハ183の500番台か1500番台がつながれた列車もあった。
そして改正当日の11月1日(土)、「まりも」下車の後みどりの窓口で500番台が載る記念きっぷ2種を買えば、番号が2種とも「0001」だった。
釧路鉄道管理局の祝賀対象は9:03発札幌行き速達の「おおぞら6号」、500番台主体では2番手列車だ。よって1番手の4号をホームから見送るが、鉄道趣味者らしきが乗っているのを見たが、いっぽう本当に行事無し。それどころか最後尾のヘッドマークが無しという状況で、1番手とは思いたくない装いで出て行った。
対して2番手6号は1番ホームで花束贈呈・くす玉割り&テープカットが執り行われ、看板列車の出発に相応しい行事が執り行われた。
私は同列車自由席に座ったが、その場所はキハ183-500番台の進行方向右側前から2列目。一番前は空いていたが、私は足を延ばせる2列目に座った。それでも車内は空いていて且つ最前列には誰も座らず、おかげで2列目からでも前面展望を堪能出来た。
時を経てラストラン当日の2023年4月10日(月)、網走駅前の東横インに泊まった私が朝食会場へ行く時に知人と会った。
今日の「オホーツク」は大阪駅にて1ヶ月前10時打ちだったのだが、同駅には他にも乗車を目指す客がいてしかもグリーン車を確保していたそうな。ということは、今から乗るラストラン列車には大阪人が3名以上。
私は8:30すぎに網走駅へ行き、10:00出発までの駅の様子を見る。3月22日に上下「オホーツク」への普通車2両増結が発表され、よって現在車庫に入っている編成は7両、座席数は344。この手のラストランでは多くが始終着間を乗り通すだろうから、従って網走駅には300名が集まることとなって、改札通過が一苦労??
8:37にアナウンスがあって、9:20改札開始、それまで待合室で待つようにとの旨が告げられた。8:46に9:30入線が告げられ、個人的には早々とホームへ入るべく改札前に並ぼうかと思うもの、この時点では300人もおらず余裕があった。
それ以降改札前は多くが集うようになったが、300人には達していまい。改札口上出発案内の列車名は「臨時特急」、けれども文字スクロールには「キハ183系オホーツク」「183系の長らくのご愛顧、誠にありがとうございました」。
待合室にある駅弁販売のモリヤ商店には弁当などを買い求める客が列を作り、改札口前へ行けば昨日「紫水」車内で見た顔も散見される。乗客の熱気が高まってきた感があるなあ。
9:16にラストランを知らせるアナウンス、9:17改札開始、結局ごった返しを見ることなくホームへ。ラストラン掲示があったが、これは昨日見たのと同じもの。私は跨線橋を渡り、向かい側の2番線ホームで入線を待つことにした。
予告された9:30に汽笛が聞こえ、けれども車両は見えず、今から出庫するのか。一旦呼人側へ出て、折り返してホームへ据え付けられたのは9:36。編成写真を撮るカメラマンが大勢おり、中にはJR北海道撮影担当の女性スタッフもいた。
私から見て前5両がHET塗装、向こうの端2両が500番台登場時塗装。特筆はハイデッカーグリーン車が3両も連なっていることと、私が網走でHET塗装を見るのはこれが初めてということ。「オホーツク」には2014年7月に美幌~留辺蘂で乗ったが、網走発着は今日が1997年6月に夜行「オホーツク」で到着した時以来。
1番線に移動し自席のある1号車15番B席へ、3列目で眺望が利く席だ。と思いつつ登場時塗装の前面を撮影、この時ホームには苗穂運転所スタッフもいて、万全のメンテ体制をうかがわせた。
再度乗れば2番線で見送り幕が掲げられているのを視認。なお網走駅出発行事は無く、強いていえば2番線ホームでの掲示がそれ。駅本屋側では何も無かった。
四
1986年11月ダイヤ改正初日は試乗会とは異なり、自身が初めて乗る500番台定期列車では4時間25分にわたる乗車、その居心地は素晴らしいものであった。
前面展望、明るい車内、そして車販・売店で購入したホットコーヒー・お菓子・サンドイッチの飲食で背面テーブルを実際に使用。昨日までの0番台や食堂車無し80系を凌駕する。ついでにダイヤ改正記念券を頂き、ダイヤ改正記念切符セットを買い、まことに楽しめた「主に500番台編成」初日2番手列車だった。
ところで「主に」が付くのは、8両の中で1両だけキハ184が混じっているから。0番台先頭車キハ183には電源設備があったけれど、新型ではキハ183-1500番台に電源設備を設けたものの同500番台はキハ184とセットで使うことを前提にそれが無し。
このためキハ184は塗装を500番台に合わせたものの窓の高さが合わず、また腰掛も従来仕様からモケットを500番台に揃えただけ。浮いた存在だった。
けれどもそのおかげでキハ183-500番台はキハ183系先頭車では初めてWCが設置され、それまで隣のキハ182客室を丸々通ってWCへ行くことが多かったが、これで解消された。さらに禁煙車となる先頭車両座席数が40から60ないし68と大幅に増え、WC設置の件もあって禁煙自由席車利用の私は大喜び。500番台使用列車は好いこと尽くめの特急だった。
いっぽう500番台統一編成が上記のため見られなかったが、JR北海道となって以降の1988年に550番台が増備され、これの先頭車は電源のある1550番台のみ。そうして遂に統一編成が組まれ、私がそれを初めて見たのは1988年3月13日函館駅にて。函札間を3時間29分で走る下り「北斗」7両編成だった。
上り「キハ183系オホーツク」が動き出した時に時計を見たら10:01、というのはさておいて500番台発車を味わうのは2005年11月の函館→南千歳で乗った「北斗」以来。否、あれは130km/h対応の2550番台・・・なんてのはもうええか。軽やかに加速、揺れも無し、けれども網走川沿いの走行は速くはなかった。
ところで私が乗る登場時塗装のキハ183は8565で元は1550番台のJR車両だが、1988年デビュー時のシートからえらく変わり、何より背もたれが高いシートになっていて、自席にきちんと腰を掛けたら前席背もたれのせいで前が見えない。よって通路側へ身を寄せて前方展望を楽しんだが、こういう腰掛にするから17A・Bを「かぶりつきシート」として特別感を持たせているのか。登場時のシートのままなら、私の場合は前2列に着席客がいようと今よりも前が見えたと思う。
今日のその「かぶりつきシート」では客が前方撮影。その後ろの客席状況だが、前から4列だと網走発車時点では17D・15Cが空席。
車内放送では車両解説が流れ、「キハイチパーサン」「N183系」「国鉄バスのカラーリングにも採用」「石北本線でのキハ183系の走りを存分にお楽しみ下さい」等、私の心当たりがある事柄も含まれていた。なおアナウンスは、解説・ガイドの他に運転停車を含む停車前にもその都度実施された。
沿線所々に撮り鉄が見られ、前方を見ていたら集団で通過を構えているかのような所も幾つかあり、そしてその近所には駐車がズラリ。こういうのも見応えがあった。いっぽう定期特急なら停まる女満別・美幌を通過し、これにはこちらの特別感を匂わせる。
緋牛内に10:37から10:38まで交換のため運転停車。北見到着前には停車駅ガイドがあり、池北線やタマネギ貨物列車のことも聞けた。え?一部がホームにかからんやて?以前は9両編成があったっちゅうのに、プラットホーム使用長を縮めたか。
10:53着。途中1駅停車だけだったにも関わらず53.0kmを所定で53分もかけているのは、トロトロ走るということ。実際スピード感はあまり無く、いっぽう揺れは無いように感じられた。
北見1番線停車で15A客が入れ替わり、着席状況が変わることなく10:55発車。相内で11:09~11:15運転停車、こちらでキハ283系特急と行き合った。
前方席から車掌による押印サービス、リクエスト制で私もお願いすると789系か261系デザインのスタンプが押された。そして定期列車では停まる留辺蘂を通過して常紋越えへ向かって行く。
五
引退興行での大トリ、そういう列車に乗るのは100%鉄道趣味者、その車内は多くの趣味者が立ち歩き・・・なんてのを予想していたが、この列車の網走→遠軽にて最前方までわざわざやって来たのは数組程度。割と平穏だった。いっぽう私は峠越えに当たっての前方の様子を見られ、いやはや好い席を取れたものと自分でも感心していた。
スイッチバックと名寄本線の関わりの説明があって遠軽着。所定では11:57着、15A席客と協力して座席方向転換。後方ホーム端では早速撮影会が始まり、私もそれに加わって登場時塗装先頭部を撮るが、社員が「あと1分です」。こういう時1号車だった有難味を感じる。
17A・Bだけさっきと同じ向きで他のシートは皆方向転換、1号車では空席を残す状況で、列車は12:03に動き出した。
次の客扱い停車はおよそ2時間20分後の旭川だが、運転停車はあってまずは丸瀬布。ここでも駅案内が流れて、12:21着で12:22発。対向列車行き合いだった。
ここまで車内放送を聞いてきたら冒頭のメロディが複数あったことを思い出した。1つは国鉄時代からディーゼルカー乗車時によく聞いたオルゴールメロディ、1つはおそらく最近でも流れる電子メロディ。前者はラストランに際して流しているのか、狙いは国鉄時代の再現か?なら嬉しい。
これからも石北本線・283系を宜しくという旨と乗車記念証配布の放送が入り、1号車では前方から配られ、よって15Bの私なんかは最後のほうでの入手という訳。
網走~札幌全区間での結論を記せば、JR社員から乗客への直接的サービスは先のスタンプとこの乗車証だけ。特に後者は今日この列車でのギブアウェイを強調するもので、乗車証配布は重要シーンでもあったのだ。
6時間弱の乗車では私は食事無しで過ごすつもりだったが、遠軽を出たら空腹を感じるようになった。周りの人は各々が持参したものを食べ、私もいよいよ堪えかねて昨日網走のセイコーマートで買ったミニチョコパンを食べる。飲料はペットボトルに水を入れて持参、これを背面ドリンクホルダーに於いて適宜水分は取っていた。
けれども、もし私が飲食物を持参せずに乗っていたら。今回はペットボトル持参だったので洗面所冷水器の有無は見ていなかったが、帰宅後調べたら撤去されていた模様で、以前のように飲食は車内でと思って用意しなかったら、水の補給すらできなかったところだった。
食事に関しては我慢するしかない。遠軽・旭川ではホーム売店で買い物出来そうな時間があるけれど、遠軽にそれは無く、旭川では自販機だけ。上り「キハ183系オホーツク」は一旦乗ると、その後の飲食物購入は不可だった!
JR北海道での引退興行列車では、私は1998年10月に「さよならフラノ・十勝」に乗っている。この頃は客室乗務員センター健在の時代で、編成中の売店も営業。同所でヨーグルトを買って食べ、さらに2人の客室乗務員と談笑しとったなあ。
同列車でも記念グッズを頂戴出来、そのいっぽう車内は満席ではなし。そして上の通り客室乗務員とゆとりをもって会話出来たのだが、思えばラストランでなくても近頃の観光列車でアテンダントとゆとりをもって談笑なんて出来るのやら。
遠軽~上川では停車駅間が長いことから、特に80系特急乗車時にはここで食堂車へよく行った記憶がある。183系なら走行区間に関わらず売店へ出向いて弁当などを買い、要は国鉄時代ディーゼル特急に長時間乗車する際は食堂車・売店・車販を利用し飲食してきたのだ。
事前に持ち込む必要無し、ホットコーヒーは必ず温かい時に飲める、ご飯も温かい、トースト・目玉焼きも温かい・・・。
でも今日は、というより今はそのサービスが無く、車内誌で事前購入をアピール。その掲載箇所が以前「客室乗務員のおすすめ」が載っていた所で、なんとも皮肉というか。
JR北海道客室乗務員センターは既になく、即ちワゴンサービスは無し。ただ石北本線ではJR石北本線応援団による車内販売が実施される日があって、その際はキロ182の売店を開けていたようで、さすれば今日もと期待したが、無し。2号車売店のカーテンが閉められているのを見て、これが今日の現実かと思ってしまった。
尤も車販を実施しようものなら、全員が鉄道趣味者または乗り鉄と思われる状況下、全員がワゴンから、または売店で購入しようとするだろう。そうなればワゴンは進まず、あるいは3両あるキロ182の売店をすべて開けたとしても長い行列が生じ、挙句に商品売り切れで買えなかったと言う客が不満たらたら。そういう状況が容易に想定出来、私が当事者なら車販無しとするところで、実際に無くてよかったとも解釈出来る。
JR北海道における車販についてはその売り上げ減少、そして後に改善されるが2013年度赤字額3億円いうことで、2015年以降年を追うごとに削減・車販営業列車が減少。そして2019年2月末を以って残っていた「スーパー北斗」の客室乗務が終了、伝統的な車内販売が消滅した。
これ以後は不定期且つ区間限定で地元物産販売が施されるのみで、またこちらは従来の供食を目的としたものでもない。
先述のように車内で飲食の際は車内で買って食べる習慣が私には着いており、近年はまた「その列車に乗らなければならない」ということが無い私は、車内サービスの無い有料特急列車には乗らない。かつては食堂車まで営業し、それが連結されない時は多くで車販営業があった道内特急なのに、その車内販売すらなくなるというサービスダウンの果てにある特急には乗ろうとは183系ラストランでも当初は思わなかった。
2019年2月23日(土)に261系「スーパー北斗」へ車販及び客室乗務員惜別乗車をして以降は、もはやJR北海道の特急列車に乗ることはなかろうと思っていた。だが今回それを翻意して私が上り「キハ183系オホーツク」に乗っているということは、この列車の重要性を示す一例となろう。
その本日の5時間58分はラストランという特殊なものだが、いっぽう網走~札幌を定期列車で約5時間20分を乗り通す際に今回と同様だと、乗る気はやはり失せる。稚内~札幌約5時間10分、函館~札幌約3時間40分、釧路~札幌約4時間20分も同じで、食堂車・売店を利用して来た私には「単に乗るだけ」というのは心理的にしんどい。
前もって飲食物を買っておけば体力的には耐えられるだろうけれど、そしてそれが今の特急列車なのだ、なんて判ってはいるが。
ということで25年前の「さよならフラノ」に対しての「キハ183系オホーツク」を見たら、JR石北本線応援団車販のような例外はあるけれど、現行車内サービス体制下での限界が露呈された感じである。
六
石北トンネルを通る北見峠越えについての放送が入ったのは12:45、そこでは空転の説明があった。そこから下って来た上川で13:24から13:27まで運転停車。この先は平坦でスピードが上がったような気がしたが、いっぽう私は眠くなってきて上川~東旭川間で15分程目を閉じた。
東旭川で14:00から14:03まで運転停車、同じく新旭川に14:09から14:16まで停車。「通い慣れた石北本線に別れを告げ・・・」から始まり、そして車掌交替の旨が流れ、14:21旭川着。5分停車の間に私もホームへ降りて、183系関連メッセージが流れる発車案内を撮っていた。
14:27に動き出し、14:30のアナウンスの主題は「ラストスパート」。旭川到着前と同じく「大雪の山々に見送られ・・・」、車掌は交替したがアナウンスは引き続き旭川車掌所スタッフが担っているとのこと。いっぽうここからは130㎞/hを出せるが、この列車には120km/hまでしか出せないのが入っているので無理・・・というか今の函館本線最高速度は120km/hなのでこちらもそのMAXで走る、のか?とにかく先程から段違いの速さとなった。
乗客にも入れ替わりがあり、記念乗車証は入手できないにもかかわらず乗ってきた人もいる。先の網走→北見、そして今からの旭川→札幌だけに乗る客は、本当にとにかく183系に乗りたかった層であろう。少なくとも私は乗車証が手に入らないなら乗らん、そういう輩である。
私は記念乗車証入手をも目論んで乗っているのだが、そこへ投じた特急券代は3170円。普通車指定席に乗るに際して支払った額では今回が生涯最高だ。
道内ではワイド周遊券で自由席に乗りまくるのが多かった私が指定席を取るなんて、全車指定席となった「北斗1号」乗車か、または閑散期で自由席特急券代+150円となった時の「北斗」乗車に限られた。いずれも「はつかり」「白鳥」との乗継割引適用で1000円台前半也。
遠軽で向きが変わってから15Bという所は1号車客室でも編成中でも最後方となり、それまでとは異なる前方光景が見られるようになった。といってもそれは長い客室と客の動きだが。
天井形状はやはり500番台のそれだが、シートが変わった効果は大きく着席者の頭はあまり視界に入らない。そしてそれら乗客の動きも空席のある車内でありながらあまり見られず、かなり落ち着いていた。
こういう引退興行の類では、私は2008年12月にJR西日本0系本当のラストラン前日の広島→博多「ひかり」に乗っているが、客室を動き回る客が多かった。よってN183系本当のラストランである今回も往時同様と思いきや、逆にこの落ち着きに感心するほど。
少数の特定層は動いていたが、それらの客以外はWC等を除いて着席。会話では同一グループではあったようだが、そうでない個々の客同士の会話は席を立つ時等に聞かれただけ。
いっぽう落ち着いている客はといえば、まずは睡眠・・・私は15分だったが見回せばよく心地よさそうに寝ている人もいた。もちろん車窓に注目する人も多かった
七
0番台を含むJR北海道183系の、550番台登場の後の転機は1991年7月のキサロハ182登場。
前年9月に札幌~帯広特急の愛称を「とかち」とするとともに、編成を先頭を0番台とするモノクラス基本5両にして、再度グリーン車無し特急が現れた。これにダブルデッカー付随車を連結、そして普通車も内装一部変更で背面テーブル付きフリーストップリクライニングシートが装備された。
よって旧0番台と500番台以降での腰掛の差異が減り、私は500番台以降を選り好むことが少なくなった。旧0番台に乗り込む時は新旧どちらのシートか、新型つまりフリーストップ式ならラッキー云々。
そして1994年3月キハ281系デビュー。これに伴いN/NN183系は主役の座から退き・・・なんてことはなく、それどころか281系に見劣りしないよう塗装・内装変更。一部は130km/h運行仕様に改められ、札函間での主役交代の印象を薄くした。私はこの施策が嬉しく、札函間では敢えて130km/h「北斗」にも乗ったほどだ。
このHET塗装は1997年3月から当改正デビューの283系が充当される「スーパーおおぞら」以外の「おおぞら」へ充当され、283系に比しての見劣りが減じられたが、速度向上は図られず「北斗」充当のそれには劣る存在となった。
またこの頃は「とかち」塗装のN183系も現れ、石勝線では283系より1ランク落ちる印象が否めなくなった。
2000年3月はキハ261系が宗谷本線系統でデビューしたが、同系が充当されない「サロベツ」にはHET塗装183系が入り、同列車は3両編成が基本。
JR北海道ディーゼル特急では1998年9月から客室乗務員が車内サービスを担うようになっていたが「サロベツ」では初の同乗務無し、即ちワゴンサービス無し。替わりに自動販売機が設置され、それはそれでサロベツHET車の特長にもなったが、速度向上は図られず客室乗務員もいないことからHET183系はイメージダウン。
HET塗装で特別感があるのは「北斗」だけで、他は「とかち」色との混用も増えて汎用車両になったかのようだった。尤も元々はそういう存在だったが、281・283・261系が走るようになったら、それらが充当されないマイナー特急用という感が増していく。
そして2013年夏に130km/h仕様車がトラブルを起こし、一時的に「北斗」の多くが運休。ここから多くの特急のスピードダウンが始まり、「以前のまま走る」のは旧0番台組み込み「オホーツク」だけという事態に。
これ以降もトラブルによる車両変更や、JRのせいではないが天候事由による運休も相次ぎ、私が札幌市民だった頃と違って全体としてまともに運行されないことが多くなった感が否めない。
2017年3月17日から札函間の特急列車がすべて「スーパー北斗」となり、前日を以って同区間から183系気動車及び「北斗」という愛称が退いた。尤も愛称については改正以降でも「スーパー」を取っ払えば「北斗」に戻るのだが、後年実際にそうなっている。いっぽう車両である183系がこの区間から退くことには、第一線からの引退という感が強かった。
キハ183系ラストランは時刻表上では旭川→札幌をノンストップ1時間32分で走破。500番台デビュー時のこの区間の最速はノンストップの「ホワイトアロー」1時間29分で、今回は往時の781系の走りに近いものとなろう。けれどもこちらはディーゼルカーゆえ、エンジンの唸りが加わって爽快感が増す。
15:29岩見沢通過、ここで車掌から15:46頃から最終の車内放送を流す旨が予告された。さて私だがここまで5時間半にわたって先述の2つのサービスを除いて「ほとんど乗るだけ」、かつての昼行特急列車とは大きく異なった乗車形態だった。けれども残り30分弱となって、その区間も岩見沢→札幌、時間帯は午後、乗っている車両はカラフルな183系。これって試乗会の帰りと同じやん。
今日乗っている列車の車両はHET色5両と登場時色2両だが、HET色は網走発車前に見ただけで、私がホームに出た遠軽でも旭川でも登場時色しか目に入っておらず、私の頭は「HET色?何それ?」状態。ついでに本日車内を歩いてみたのは登場時色をまとう1~2号車だけ。
よって今は登場時の姿で岩見沢から札幌へ、車販サービス等無しのほとんど「乗るだけ」の乗車、放送時のメロディも行路後半は国鉄時代の曲だけ。試乗会同様の状況ではないか。
かくして、往時から36年半を経て、何やら元のところへ還って来た感じとなった。最初と最後で綺麗に収まったともいえ、その巡り合わせに私は何と幸運な客であることかと思ってしまった。
八
予告通り15:46から惜別の辞の車内放送。特別急行「キハ183系オホーツク」に・・・から始まり、本日ラストランを迎えましたという旨が流れる。そして1979年から始まったキハ183系の歩みが語られ、「1980年に『おおぞら』で営業運転開始」「1986年N183系」「当時としては斬新なデザイン」「長距離輸送のエース」と私には思い当たることを耳にする。
ファンへの御礼が告げられた後、次に旭川車掌所一同から183系への感謝状が読み上げられた。この車内放送に次ぐ車内放送は乗る者の心を大きく動かしたことであろうが、これは後で判るのだが札幌駅到着セレモニー代替だったと思うのだ。
そして苗穂通過に際しては苗穂運転所スタッフが手を振っていることが告げられ、これを右手に臨んだ後に「これまでキハ183系を御愛顧いただき、ありがとうございました」で締めくくられる。
15:58札幌着、ラストランが終了。旅客機とは違って到着の旨のアナウンスは無く、乗客は単にデッキへ向かう。1986年10月に踏み入れた183系500番台の車内、ここから降りる時を私も迎えた。
札幌駅では最後尾1号車付近で到着行事を施す様子は無く、私が降りた時のホームは撮影者がわんさかいることを除いて通常。先頭1号車当りでも式典はやっておらず、この本ラストランは出発・到着時の駅行事は無しということであった。
なるほど、駅での混乱を避けるべく、それゆえ感謝状読み上げなどのお別れセレモニーを車内で済ませた訳か。またホーム行事を施すとなると規制を設けねばならず、それだと撮影者は車両を撮り難くなる。よって今日はそれらが無いので7両編成を撮り放題。
社員が分散して配置されて撮影時の注意を促し、これのおかげもあろうが私から見てこの時の混乱は無かった。私も7両を見て回り、そして苗穂への回送発車シーンを向かいのホームから撮ることが出来たが、その回送発車は16:15。
37年前との違いは、札幌駅が高架になっていること、回送列車の向かう先が手稲ではなく逆方向の苗穂になっていたことだった。
回送が苗穂へ引き上げた後ぼちぼち帰阪すべく、16:48発の快速で新千歳空港へ向かうことにした。
思えば先程までの「キハ183系オホーツク」は、車内での飲食物のみならずグッズ販売をも省き、そうして走りを味わうことに特化した列車と思えてきた。
山越えあり、平坦区間あり、エンジン音の変化を堪能出来た。そしてそれらを彩る車内放送は、他なら始終着駅で催されるセレモニーをも兼ねていたと思え、さらに苗穂スタッフが183系へ手を振る様は実質札幌到着式だったのだ。
・・・最初から最後まで、その車両の良さを味わうことで目一杯の演出が施されたといえまいか。
JR北海道定期特急列車のサービス体制に通じることに於いては、私は好くない意味で限界とこのラストランを捉えたが、いっぽう「キハ183系オホーツク」では現状のJR北海道では限界までラストランの価値を高めたといえよう。
快速列車の苗穂通過時に今日の勤めを終えた183系を見つけたが、3両が連なったキロ182を見て「ああ、特別な編成だ」と改めて思った。私が500番台を視界へ入れる最後の時でもあった。