1996年8月8日(木)J-AIRジェットストリームスーパー31が日々飛んでいる最中の大安の日、広島西飛行場に於いて株式会社ジェイエアが設立された・・・は?
この時「J-AIR」はJAFA/ジャルフライトアカデミー運航定期路線のブランド名、「ジェイエア」は同年11月からその運航をJAFAから受け継ぐ運航会社であった。このため私はジェイエアがJ-AIRを担い始める前日つまり同年10月31日までのJ-AIRを「元祖J-AIR」と呼んでいる。
なお1991年3月31日までの「西瀬戸エアリンク」も航空会社名ではなくブランド名で、運航はAAC/朝日航空。こちらについては、私は会社名を重んじて「AAC」路線と呼んでいる。
ともあれ「ジェイエア」が設立されて2021年8月8日(日)で25年。エリアニュースには載っていないけれどJ-AIRでは何か催すのではないかと思った私は、元祖J-AIR時代からのゆかりの地である松山へこの日JL2305便で飛ぶことにした。でもなあ、緊急事態宣言下なので催しは無いかもしれんなあ。
11:30発2305便搭乗口は北側端っこの24番、搭乗前アナウンスで25周年が告げられることは無し。
ボーディングブリッジを通ってJA223Jに入れば、先任CAが私へ「七夕の時以来です」。当該CAは私の素性を知っている人物ゆえ気楽に過ごせるわい。この後L2のCAへ挨拶し、私は19Cに着席。
11:26にドアが閉まると私はシート上に出ている頭数を数え、乗客は推定40人台。11:29プッシュバック、11:32タキシーアウト、11:37ランウェイ32Rから離陸。
ベルトサインが11:44に消え、先任CAが「ガーゼハンカチ」販売のアナウンス。いっぽうキャンディバスケット巡回は無く、こりゃ伝染病流行下のためパスしたか?けれども私は似顔絵シールとともに袋入りで頂戴出来、こりゃキャンディもリクエスト制やな。
ここまで「25周年」関連のことは無く、やはり今日はそれを強調することは無さそう。しかしながら私のほうでは用意しており、今日を祝して西飛行場J-AIR逆フライトログ再印刷版をCAへ。ん、その表情は。
さて飛行中は遠望が利き、瀬戸内海上空でも吉野川が見えるほど。12:00にべルトサインが灯り、眼下の今治市街を12:02にばっちり視認。北条鹿島の沖を飛び、松山空港ランウェイ14の西を回って松山市街上空へ。ランウェイ32に12:13着陸。
タキシング中に先任CAのアナウンスを聴けば、「今日でJ-AIRは25周年を迎えました」・・・なに!? 伊丹24番から何も触れられなかったのに、ここで言うか~!と私はかなり感動。同時にある疑惑、ひょっとして俺の言動からか??
12:17スポットイン、伊丹プッシュバックからの時間は47分、うち飛行時間は36分台だった。
松山からの帰阪は、空路でないこと以外はこの時点では確定していなかった。CAへは「13:00に判る」と言ったのだが、それは乗車希望列車である「伊予灘ものがたり」指定券を取れるか否かが判明する時。否なら青春18きっぷで即帰阪、可なら夜行バス。
どうなるかいなと思いつつ降りようとしたら、先任CAが「言わせてもらいました」。そうだったか!同時に今乗って来た2305便が、今日の25周年が初めて告げられたかもしれない貴重な便へと昇華した。俺はあたかも歴史伝道師??
ともあれ上機嫌で降機し、そして松山駅へ行けばおよそ30分後に発車する八幡浜行き「伊予灘ものがたり」指定券が取れた。
その乗車を堪能し、八幡浜から伊予鉄バスで松山市駅へ18:30頃戻り、そこから23:10発阪急バスで梅田へ。8月9日午前6:20頃三番街着、足腰にダメージが!2310便が運航していたら、当日それに乗って帰れたところなのに!というJ-AIR創立25周年セルフ記念旅行であった。