佐渡島は我が国の旅客機史を語る上でも重要な場所に位置付けられると私は思っており、今回私はその調査のため・・・という程でもないが佐渡へ飛ぶ。

 「え?佐渡に飛行機が飛んでいるんですか?」とJALプラザで訊き返される。島の上なら北海道やヨーロッパへ行く時に飛ぶが、今回は佐渡「空港」へ飛んで行くのだ。

 

 2005年6月22日(水)の午前6時すぎ、前夜22:55に京都駅前を出た新潟交通の高速バスは定刻6:47よりも早く新潟駅前に着いた。ここから新潟空港へ7:00発急行便バスに乗れば、こちらも定刻7:25より早く7:20に空港着。さらに今回同行者で8:15に来ると言っていた新潟県在住のSKさんが、「早く目が覚めた」ので1時間以上も早く空港に来ていて空港ターミナルにて合流。

 さあ佐渡行き搭乗手続をしましょう、と8時頃にターミナルを出て駐車場を挟んだ向かい側の格納庫へ歩を進める。目指すはKOK/旭伸航空オフィス、そこへ着けばスタッフも出勤してきたところで私は機長に挨拶。「早いですね~」という機長の台詞がこの日朝の私たちの動きを象徴する。

  

 ここで佐渡往復航空券と9:00発101便搭乗手続。1往復×2人なので4回回数券を購入、総額22040円で1回片道は5560円だ。はてさて高いと診るか安いと診るかだが、距離・機種・並行区間船舶運賃を考えたら私は「安い」と診る。

 それから機長にRAC/琉球エアーコミューターと今年3月就航エアトランセ関連文書を渡すが、後者については「トランセ」だけで通じたのが印象的だった。所によっては「エアトランセ」とフルネーム、さらには就航区間等を説明しなければならないのだから。

 

 手荷物検査を通り格納庫を抜けてエプロンの機体へ、搭乗機材レジストレーションはJA5321。乗客は私たち2人だけで、先にSKさんが3列目B席、続いて私が2列目A席の順で座らされ、その私の席は機長席の真後ろだ。

 乗った飛行機は旅客定員が9人というブリテンノーマンBN2Bアイランダーで、私はさかのぼること15日前にもRACで乗っており、本日の往復で今月は4回も搭乗。旭伸航空には2001年5月以来の2度目で、1回目の時が私のアイランダー初搭乗だった。

 

 8:55エンジン始動。タキシーアウトすると機長から「佐渡へはどちらから入りましょうか」と訊かれ、私は焦る。進入経路を俺がリクエストできるのか!けれどもここはおとなしく「キャプテンに任せます!」と伝えておく。

 新潟空港ランウェイ04から8:59離陸、所定の出発時刻より前だった。左旋回しヘディング北西310~300度で洋上飛行、機長から予め言われていた通り、下に海面が見えるだけで他は真っ白。

 高度は一旦2500フィートまで上がった後2000フィートに、これは気流が安定した高度を選んだため。速度は130~120ノット。なんで私がこのような数値を把握しているのかといえば、副操縦士席側の計器を見ていたから。

 SKさんは外を見たり機内誌を見たりする模範的乗客、対して私は計器のほかに「佐渡はいつ見えるのか?」と目を凝らす。けれども新潟~佐渡は地図で測ると39マイルあり、15日前の那覇~慶良間22マイルほどの忙しさはなく、今回は少々ゆとりがあるので機内誌に目を通せた。昨秋創刊で旭伸航空スタッフ紹介も載っている。

  

 佐渡島上空に入り両津港が近づく。「4年前も両津の上を通りました」と言えば「もうそんなに経つんですか」と機長。しかし私はさほど長いブランクを感じてはおらず、それはアイランダーに乗らなくても旭伸航空オフィスを訪ねたり、RACで機長の名が時々出るからだ。

 佐渡汽船のフェリーを臨んで左旋回、機長がランウェイの場所を教えてくれた。「28」のマーキングを視認して降下、速度75ノットで佐渡空港ランウェイ28に9:18着陸。離着陸間所要は19分でアイランダーのこの時間は長く感じるが、しかし新潟~佐渡で20分を切るとはさすが飛行機だ。

 

 折り返し102便の乗客はゼロ。101便も2人だけで、この少なさで飛び続けられるのかと思ってしまうが、アイランダーが運ぶのは人間だけではない。新潟カウンターに私たちは早々と入ったが、同時にトマトも運ばれていた。このトマト、101便で佐渡に運ばれさらに島内佐和田にあるモスバーガーに送られる。

 生鮮野菜の輸送、これもまた航空機の役割ではないかと私は改めて思う。なおこのトマトの行方をカウンターからアイランダーの貨物室まで見届けて私に伝えたのはSKさんで、当人の眼力の鋭さに私は感心した。

  

 佐渡空港は、外観・内装ともに2001年5月に来た時とほとんど同じ。若干の変更箇所は待合室の腰掛がベンチからソファになったこと、一部掲示物が別の場所に移動していたこと、市街連絡バスがなくなったこと、ぐらいだろうか。

 対してそのまま残っていて嬉しく思ったのが「離島空港紹介」貼り紙。礼文島から与那国島までの各離島空港の地図・島の人口・滑走路長などが記されており、私のような離島巡り愛好家の復習にはまことに好い資料だ。

 

 新潟行きがランウェイ10から上がるのを見て空港を後にし、まず旧両津市役所まで歩くこと約60分。そこで4年前にあった「佐渡空港ジェット化推進」の看板を撮るつもりだったが、無かった。この看板には日本エアシステムのDC10が描き込まれていたのだ。

 佐渡汽船ターミナルで食事した後は新潟交通佐渡のバスで佐渡市役所を訪ねる。両津港からバスで所要27分、そこから歩いた先は旧金井町役場。前から市制が施行されていた両津の市役所がそのまま新市役所になるのではなかった。ただし教育委員会は旧両津市役所・現両津支所にある。

 役場のある金井辺りは平野部でしかも広く、佐渡島の大きさを感じるとともに離島らしさがあまり無い。私が思ったのは「近鉄田原本線沿線みたい」・・・。

  

 さて佐渡空港に関する資料は結局今回は空港でしか見られなかった。私が目を通したのは昨年発行の小冊子で、就航会社・佐渡発着路線・使用機種が記されている。

 富士・日本国内・横浜・日本近距離・新中央・旭伸、佐渡~東京線の存在、CV240・セスナ402・BN2・DHC-6、等々文字があり、我が国の二地点間旅客輸送の歴史を語る上で欠かせない航空会社・機種が載っており、これが冒頭で記した佐渡空港が重要たる理由である。そして次なる課題は写真を探すこと。

 

 やはり島内市街地は相応の規模があり小さな離島とは雰囲気が異なるが、空港だけは小離島のそれのようで別世界。ターミナルへ戻れば、ガラス越しだがJA5321が目の前で翼を休めていた。

 オフィスから機長に来てもらいログ記入依頼やDHC-6の話をする。15:35発106便搭乗が始まれば機長にまた挨拶、ここでのSKさんの台詞は「機長に声を掛けるのも普段無いことだ」。

  

 乗客は私たちとフルフェア7350円で乗るビジネスマン2人の合計4人。15:30始動、ランウェイ10からで15:34離陸。南南東110~120度へ向かい、巡航速度は120~130ノット。高度は前半2500~後半2800フィートと往路よりも高かった。外の眺めは、往路よりも少し遠くまで見え、ジェットフォイルの航行も見える。

 やがて新潟空港を視認、ランウェイ10と並行に飛びながら高度を下げ、大きく右へ回り込んでランウェイ22へ進入、15:51着陸。ともあれ復路飛行時間は17分で往路より短かった。