ペイレイプ(pay-rape)―支払い付きのレイプ | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 これだーー!!って思った。

 あたしが性産業に対して長年抱いてきた違和感、嫌悪感を言い表す言葉は。

 大袈裟に言えば「魂までも打ち震えた」。

 

 

 だってね、性売買って不同意性交じゃないですか。

 セックスというのはもちろん、本来お互いが心から望んで、つまり、お互いの同意のみに基づき、無条件で行うものです。

 ところが性売買というのは、「ほんとはおまえなんかとヤるの嫌だけど金貰えるなら我慢してやるよ」という性質の性的関係です。

 条件付きの性行為というのは本質的には不同意性交です。不同意性交、即ちレイプです。性売買というのは金品のやり取りが発生するレイプなのです。

 

 悲しいことに、女性の中にも「風俗がなくなると性犯罪が増えるのではないか」「風俗は性犯罪の抑止に役立っている」という趣旨のことを言う人がいます。

 それは「貧困など様々な事情から(不本意ながら)こういう所に座っている女は金を払ってレイプしてもいい」という(社会を支持する)考えにならないでしょうか。

 

若き橋下徹が顧問弁護士を務めたことでも知られる遊郭街「飛田新地」。写真はあたしが撮影したものではなく、拾ったものです。半裸の女性が文字通り「陳列」されて「販売」されています。この写真を好んで使用するのは女性の傍らのキティちゃんがグロテスクにすら見える稀有な画像だからです

 

こちらはあたしが撮影したものです。もちろん通りも歩いたことがあります。通りは特別の許可を得ないと撮影禁止なのです

 

 昔の時代劇を観ていると、「娘さんが泣く泣く女郎に身を堕とす」という場面や筋書きがよく見られます。

 「その状況」は実に戦前まで続きました。

 「その状況」を何とかするために、戦後は売春防止法というものが成立したわけですが、この法律が全く機能していないことは皆さんご存じの通りです。

 あたしが言いたいのは「その状況」は本質的に二十一世紀、令和の今も大して変わっていないのではないか、ということです。

 

 つか男って「女を買わせてくれないとレイプしまくってやる」という存在なのか?

 それって男性というジェンダーに対しても失礼な考えではないでしょうか。「俺は風俗なんか行ったこともないし、もちろんレイプもしたことないよ」という男の人だって沢山いると思うのですが。

 実際「風俗がないと性犯罪が増加するかどうか」はあたしの知る限りでは統計がないのでわからないわけだしなあ、と思っていた所、「逆に、買春を合法化したらどうなったか」という統計はあるようです。それについては後述。

 

 あたしは性産業に従事する女性を一概に不幸だと貶めたいわけではない。

 だが、彼女たちが「この仕事に誇りと喜びを持っている」と言うのを耳にする時に感じる激しい違和。

 いや、喜びはあるかも知れない。だが、誇りはなかろうよ。

 男が「ぼくは風俗嬢をプロフェッショナルとして尊敬しています」と言うのが嘘であるのと同じだ。感謝はあっても尊敬はない。

 

 ということを言っていると、「人が『誇りを持っている』と言っているものを『誇りなんかないだろう』と決めつけるなんて言葉の暴力だ」と仰る方がいます。

 

 んなこと言われたって、「おっぱい募金」の出演者が「誇りを持って立たせていただきました」と言ってるのを見て、「おっぱい丸出しにして何が誇りだ?」としか思わなかったものですから。

「おっぱい募金」って何じゃ?という人はこちらどうぞ

「おっぱい募金」の是非 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る (ameblo.jp)

 言葉の暴力だったら謝ります。ごめんなさい。でも、あたしの娘が風俗嬢になりたい、AV女優になりたいと言ったら絶対嫌です。とりあえず一回は反対します。あたしは母親ではなく、なくて幸いだけどもね。

 

 この話になるといつも、往年のポルノスター、「Tバックの女王」故・飯島愛さんを思い出します。

 「誇りを持ってTバック姿になってらっしゃるわけですから」というインタビュアーのお追従に対し、彼女は「誇りなんかねえよww勉強できねえからケツ出してんだよww勉強できりゃ出さねえよww」と笑い飛ばしておられました。

 

 飯島さんと違って、「うちらは誇りを持ってこの仕事してるんだからセックスワーカーを差別するな」とか言い出す人がいるから話がややこしくなるんですよねえ。

 去年にもAV新法を巡って、新宿東口でパープルリボン(女性への暴力根絶を訴える勢力)とレッドアンブレラ(セックスワーカー差別根絶を訴える勢力)が激突したことがありましたが、しかし、彼女たちは本来、政敵や論敵の間柄ではないはずなのです。

 

 あたしはべつにセックスワーカー差別をせよ、してもいいと言っているわけではありません。

 また、性売買を労働(セックスワーク)として認めていいか、絶対に認めるべきではないかの議論をここでする気もありません。

 フェミニストの間でも両方の考え方が(それこそ明治の昔から)あることを知っていて、今のあたしは判断保留という立場です。もちろん、どっちでもいいとか、考えていないという意味ではありません。

 ここで言いたいのは、飯島さんは賢い方だった、ということです。

 

 さて、セックスワーカーの誇りのあるなしは置いときまして、ペイレイプの話に戻りますと、ビートたけしさんも「風俗は輪姦だ。他人が押さえつけている女を犯しているんだ」と言ってたことがありましたね。

 そこまで洞察できていながらなんで利用するんだろうとは思いますが。つくづく、男ってスゴイなあ。いや、たけしさんがスゴイのか。 

 「風俗を利用することでそこで働く女性たちの生活を支えている」と正当化するのはまた違うと思います。

 だって、本当に目の前にいる女性を助けてあげたいんだったら、(相手が本当は望んでいない)セックスをしなくてもお金をあげればいい話ですからね。または、女性というジェンダーを支援したいのであれば、Colaboのような女性支援団体に寄付するとか。

 

 さて、最初の方のお話に戻りましょう。

 「それまで違法だった買春が合法化されたらどうなったか」というニュージーランドの事例です。

 

 

 橋本琴絵というのはネットでしか名前を聞かない極右の論客ですが(あたしは「極右」という言い方にも違和を覚えるんだよなあ。なんか思想のあるカッコいいやつみたいやん。実際はただの頭の悪い人でなしやん)、こんなことを言っているんですね。猫アイコンのjijiさんによって気持ちいいくらい完全に論破されてますが。

 

 祖母が「売春婦」にされた人はどう考えたらいいんでしょうか。

 また、橋本さんの娘や姉妹、または彼女自身が「売春婦」にされても橋本さんは構わないのでしょうか。

 そういうものを「しょうがない」と認めちゃってる社会の枠組みの中で、なんで自分が無条件にその環境、経験から逃れ得ると思ってるんでしょうか。

 自分さえ逃れ得れば他の人にそれらを押しつけてもいいと思ってるんでしょうか。

 

 

 蛇足なようですが一応言いますと、「売春婦」にされた人というのはうちの祖母のことではないですよ。幸いそういう目には遭わずに済んだようです。

 もう随分前に亡くなりましたが、終戦時十六歳でした。戦後間もなくの頃、街の中で米兵に話しかけられて、性暴力を振るわれるのではないかと一瞬不安になったという思い出も話してくれたことがあります。

 全然そんな展開にはならず、心温まる実にいいお話だったんですけどね。

 

 「その時君のおばあさんが無事だったのもそいつがどこかでパンパンを買ったりレイプしたりして性欲を発散してたからだ」というのが橋本の考えなんだな。

 それはわからないし、レイプされたのがうちの祖母であったかも知れないだろう、だからおまえの考えには共感できん、という話なんですが。