「おっぱい募金」の是非 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

アマゾン、iBooks、楽天Koboで電子書籍を販売しています♪
メッセージボードのリンクからばびゅっと飛んで行ってね(^o^)/
A5小冊子版(紙の本)もあります♪お問い合わせ下さい♪

【2015.12.18.の再掲載です】

 

 「Change.org」で、「おっぱい募金を終わりにしてほしい」という署名の要請が回ってきて、「何だそれ!?」と思ってリンク先見てみてびっくりした。
 
 以下、要請文の冒頭のみ引用してみます。
 
 
 2015年12月5~6日、BSスカパー!の番組の企画で、おっぱい募金というイベントがありました。参加者は、「募金」をすると若い女性のおっぱいを「生で」、つまり、着衣の上からではなく、直接、揉んでいけるというものです。特設サイトで中継された会場の様子や、報道された写真では、着衣を捲り上げて乳房を出しっぱなしにした女性が横に並んで待機し、その前を「募金」を済ませた参加者が順に並んで女性の乳房を揉んでいく様子がはっきり映っていました。
 このキャンペーンでは、エロコンテンツ産業自体をなくしたり、人々が性的なことに興味や欲求を持つこと、性を商売道具とすること自体を否定はしません。それでも、この企画は許せません。
 なぜならこのイベントは「募金」とは名ばかりで、寄付する人はおっぱいを触るための対価としてのお金を払っているだけだからです。実際には、おっぱいを触らせている女性たちがその対価として受け取るはずの「報酬」を(全部か一部かはわかりませんが)放棄することで、お金が集まっているだけではないでしょうか?
 募金という言葉を使うことで「あたかも良いこと」「公益性が高い」と見せかけています。でも実際は、女性の体の中でも性的欲望を集めやすい「おっぱい」で「募金を集める」というセンセーショナルな企画アイデアで話題と人を集めることが目的です。女性の体も募金も、チャンネルの視聴者を増やし、企業が利益を上げるための口実でしかありません。
 
(後略)
 
 
 脊髄反射ですぐワンクリック署名したんですが、反対に対する反論(つまり、おっぱい募金擁護)の記事も読んで、それも間違ってはおらんなあと。
 要するに、「成人女性の自由意志で、男のスケベ心を利用して金集めて、それを寄付して何が悪い」という論旨です。
 
 こういうのはいい悪いじゃなくて、好き嫌いの問題かも知れません。
 あたしは嫌いですから近づきませんけどね。
 
 でも、こういう時は必ず性別を入れ替えて考えないといけないんです。
 
 千円払ったら憧れの男性芸能人がハグしてくれて、そのお金が何か公益性の高いことに使われるのだとしたら・・・・。
 
 あたしは絶対に行く
 何も悪くない
 
 やけど、「乳房を露出させて揉ませる」っていうのはやりすぎな感がありますわね。幾らそれが商売のAV女優でも、十八歳未満は入場禁止でも、公開のイベントとしてやって、TV中継もするんでしょ?
 やっぱり男女には生理の違いというものがあるので、逆にして考えるのは限界がありそうです。女性の場合ですと、たとえ好みの男性芸能人であっても、胸筋や腹筋を撫で回したいなどとはあまり思わないですからね(^_^;)ヌード写真集くらいなら買うかも知れませんし、裸体やラブシーンの見られる映画やTV番組くらいなら観るかも知れませんがw
 もう一つ、男性が女性と抱きあうことは、見ず知らずの相手であってもまあまあ平気~寧ろ嬉しいことだと思われますが、女性が公衆の面前で衣服を捲り上げて大勢の男性に胸を揉ませるなんて普通は嫌なことですし、そんなの他人がやってるの見てもいい気しないっていう人も、特に女性には多いですからね。
 みんなの前で裸になるのも、体を触らせるのも大好きだという女性もいるみたいですが、相当な少数派であって、だからこそ需要と供給が一致して、商売として成り立つんであって。
 (本当はそんなの嫌だけどそれしか仕事を選べない社会とかだったら困りますし、こういう時に一番問題視されるのはそれなんですけどね)
 
 例えば自分の女友だちとかがこういうのに出演してたら、べつにその人を軽蔑するとか、嫌いになるとかはないですけど、なんかちょっとショックを受けるというか、ある種の悲しみを感じると思いますし、好きな男性がこういうのに行ってたら情けなくなると思います。彼氏だったら恐らく怒りますね。
 
 このように、特に女性には、不快感、嫌悪感を持つ人が多いと思います。
 カップルで来場するヤツもあるなんて、相当の変わり者(^_^;)
 つか、あたしは男性になったことがないものでよくわからないのですが、そのような条件下、状況下で女性の胸を揉んで(二回までと決まっているそうな)果たして嬉しいものなんでしょうか。
 
 寒いのに裸で何時間も過ごして、最後の方は消毒液で乳房をヒリヒリさせながら(出演者談。参加者は会場に入る前に手を消毒させられるそうです)、頑張ったという話を聞くと、なんか痛々しいような気がしてくるんですが、そうやって、「女性=弱者、犠牲者、被害者」のように捉えたがるからフェミニズムは共感を得られないんだ、と言われることもあります。
 「その女性たちが望んで、楽しんでやっているんだからそれでいいだろうが」「そうやって肉体的な苦痛に耐えながらでも、一生懸命、社会貢献や自己表現をしようとしている女性たちの態度は健気で偉い」「かわいそうだとか、不当だとか言うのはおかしい」と言われれば、それはそうなんですよ。
 世の中には、肉体的、精神的にハードな仕事やボランティアなんか幾らもあります。あたしだって、朝四時台から起き出して、寒さに震えながら本を作っておりますしw(それを嫌だとか不本意だとか、ましてや自分が偉いなどと思うことはないのですがね)
 あと、ここでは追究しませんけど、「セックスボランティア」なんてものも存在するんですよ。
 
 だからこれから述べることは飽くまでも、あたしの個人的な感覚や経験に基づく意見、というか感想に過ぎないのですが、曾てアルバイト先の上司から、
 「接客業なんだから化粧しろ。肌が弱いっていうなら、肌が弱い人用の化粧品を試したのか。何種類も買って試したのか」
 「俺が今までつきあってきた彼女や女友だちは、おまえなんかよりずっと肌の弱い子もいたけど、みんな肌ボロボロにして、痛い痛いって泣きながら、一生懸命化粧してたよ!」
 と殆ど恫喝に近い叱責を受け、そのまま解雇された時の違和感を思い出して仕方ないのです。
 なんか、途方もない認識のズレ、世界観の隔たりを感じたんですね。
 
 そして、告発文のこの箇所。
 
>着衣を捲り上げて乳房を出しっぱなしにした女性が横に並んで待機し、その前を「募金」を済ませた参加者が順に並んで女性の乳房を揉んでいく様子がはっきり映っていました。
 
 地べたに敷いたゴザの上にずらっと横一列に並んで寝かされて、足を開きっぱなしにさせられて、タダみたいな値段で次から次へと男性の相手をさせられる従軍慰安婦やアフリカの売春婦の話なども連想されて、個人的にはとても嫌な感じがしました。
 上品とか下品とか、自分の自由意志とかそうでないとかいう以前にね、やっぱりね、「モノ」じゃないんですからね。
 
 すいません、いつになく歯切れ悪いですけど、やっぱりあんまり巧く言えません。 
 
 最後に、出演者のコメントから。
 
 「お客さんにも励まされたけど、スタッフさんの気遣いや休憩中のフレンドリーな感じにも癒されました。
 やっぱりパラダイステレビさん、すき。
 なんと最後のお客様はパラダイスの社長さんだったんだけど、もみもみかと思ったらまくりあげていたTシャツを元に戻しておっぱいに幕引きをしてもらったの。
 すごくかっこよかったです」
 
 なんか、あたしにとってものっっすごい紙一重な感じなんですよ。
 一体何なんだろう、この感覚。