続・「おっぱい募金」の是非 | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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2015.12.19.の再掲載です

 

 「人材」という言葉が嫌いと昔、高校の生物の先生が言っていました。「人間はモノじゃない」って。
 あたしはその先生のことが大好きで、今でも深く尊敬していて、その言葉、その感性にもものすごく惹かれたんですが、この資本主義社会で生きていく以上(^_^;)ある程度の人格のモノ化、商品化は仕方がないことだと思います(-”-;)
 
 皆さん、わたくしの新刊「女性の不品格」の導入部は見て下さったかどうか存じませんが、「女性の体を商品にするなんてけしからんとか言うけど、商品になるような体を持ってるなんてすごいだろ」「自分の体が商品にならんからって言うな」と暴言を吐いた人が昔おったんですね。
 
 あたしは、セックスを商品にするのはいけないとは思いません。誰だって、自分の何かを商品にしないといけないんです。
 
 でも、さっき言いましたが、「ある程度」なんですよ。何にでも、程度の問題ってものがあります。
 最低限の尊厳というものは守られなければなりません。
 
 やっぱり、「人間は(モノみたいに扱われることもあるけど本質的には)モノじゃない」んです。
 共産党の志位和夫委員長も言ってて、ポスターにもなってましたけどねw
 
 あ~前項で言葉にならんかったものがなってきた。
 
 「真冬に長時間裸にして、何千人という客が手に塗った消毒液で乳房をヒリヒリさせながらでも揉ませることを要求する」にしろ、「化粧品でアレルギー反応が出て肌をボロボロにしながらでも化粧することを要求する」にしろ、扱いが非人道的、非人間的すぎるだろってことなんです。
 でも、「公共の福祉(?)の為に」その非人道的、非人間的な扱いに文句も言わず耐える女性は偉い、異議を申し立てる女はダメだ、という価値観はおかしいやろってことです。
 「部活でミスをして顧問の男性教諭に横っ面をひっぱたかれ、『このバカ!』とか怒鳴られても、『はい、すいません!』と頑張っている女子生徒や、月百時間も(サービス)残業をさせられても、愚痴一つ零さず一生懸命働いている社員は偉い、と称えるのはおかしい」「特攻隊員を初めとした戦争の犠牲者を、『英霊』などと呼んで賛美するのはおかしい」ってのと同じことですね。
 
 「お客様もスタッフも番組制作会社の社長もみんなわたしたちを気遣ってくれました」と出演者が書いていますが(前項参照)、ほんとに気遣ってんなら最初からそんなことさすなよ、とは誰も思わないのでしょうか。自分の快楽を優先させてコンドームを使わなかった男が、彼女に中絶させてから体を気遣うようなものではないですか。
 女性を一個の人格として尊重する気があるならそんなことさせるかな。自分の家族とか、大事な人が揉ませたり、揉んだりしてたらどう思いますか?
 その女性たちの心の状態も心配です。本気でそんなこと大喜びで、感謝すらしながらやってるなら、自尊の感情があまりにも低すぎて危険なレベルに達しています。
 実際、性産業の女性には多いみたいで、そういう女性に付け入って利用、搾取しようとする男性、理屈を付けてそれを正当化しようとする男性も多いのです(-_-#)
 (要するに、普段どんなに惨く扱われても、たまにちょっとやさしくしてもらっただけですごい贈りものを貰ったかのように大喜びするDV被害者と、そういう女性を最初から見抜いて利用、搾取しようとする加害者の図ね)
 本意ではないのだったら、もうあたしが何かを言うまでもありませんしね。
 
 これは邪推かもですが、参加者やらスタッフやらがやさしいのは、「セックスワーカーとはいえ、公開のイベントで女性にここまでさせたら、女性という性全体に対して失礼になるんじゃないか」という後ろめたさがあるからではないでしょうか。
 
 擁護派や出演者は、「だったら全てのチャリティイベントやグッズを禁止しろ」「音楽や握手ならよくておっぱいはダメなの?意味わかんない」と嘯いていますが、いかにも、「音楽や握手ならいいけどおっぱいはダメ」なんです。少なくとも、「おっぱい丸出しの女性がズラッと並んで、何千人という参加者が順番に揉んでいくのはダメ」でしょう。チャリティだろうがビジネスだろうが、そんなもん公開でやらないでほしい。
 「じゃチャリティ事業は全部ダメだね」という意見に対しては、「じゃチャリティ事業なら何をしてもいいんだね」という反論が成り立つわけです。
 
 AV女優がTV番組で募金を集めるな、プロモーション活動をするなとは言いませんし、AV女優なんだから歌ったり踊ったりしても仕方ないだろというなら、せめて水着姿で握手、写真撮影くらいにできませんか。
 どうしても胸を出したい、揉ませたいんだったら、性風俗店でのイベントとか、それこそ企画もののAVとかでやって、その収益金を寄付に回せばいいと思います。
 でも、本当に募金、つまり困っている人を助けることが主要目的なんだったら、こんな多くの人が反感や嫌悪感を持つような手法は取るべきではないし、性別や年齢に関係なく参加できるイベントにすべきですよね。
 「ただの視聴者参加型のポルノを募金の美名の下に演じようとしているだけではないか」という批判を浴びても仕方がないわけです。
 「悔しかったらおまえのカラダで金集めてみろおばはん」とか言う人が必ずいるんですが、さっきも言いました通り、額の大小の問題ではないと思います。
 
 前にも書いたことがありますが、女子小中学生が、男性を誘惑するような煽情的な装いとパフォーマンスをする児童ポルノ紛いのショーを何度も観たことがあります。
 驚き、ショックを受けると同時に、その子たちの親や、成人の共演者や、大喜びしている男女の観客たちの無神経に腹が立ちました。
 そんなもの、グロテスク以外の何ものでもないという感覚を持ってほしい。
 
 「おっぱい募金は子どもに厚化粧させて裸踊りさせるのとは違う。成人女性が自由意志でやっていることだし、どっちにせよ、法律に違反しなければよい」
 と言う人もありますね。
 
 昨日、「Change.org」のコメントをずーっと読んでいて、なかなか優れた意見だと思ったので、要旨を挙げておきます。
 
 「アメリカで黒人のパフォーマーが、自ら人種差別を肯定し煽るような内容の演目を演じたとする。その時、彼または彼女の自由意志などで行為は正当化されない。パフォーマンスが社会全体に与える影響を問題視すべきなのだ」