「侠気(おとこぎ)がある」と形容したくなる女性もいますな | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 新年明けましておめでとうございます。

 ああ、去年の正月、「恋するニワトリ」の記事を書いたのが昨日のことのようだ。

 

 2016年十一月二十五日の記事の再掲載です♪

 

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 子供の頃、「銀牙 ―流れ星 銀―」という、犬を主人公にしたアニメを観ていました。

 山の中に野犬が集まって徒党を組んで、派閥争いをしたり熊と戦ったり、とかそういう任侠物の犬バージョン、みたいなハードボイルドだった記憶があります。

 で、そのパーティの一員として迎えられるには、いろんなテストを経て、仲間から「男」と認められる必要がある、という話なんですね。

 

 その野犬の群れの中に一頭、美しい雌犬が交じっていました。

 キャラクターの名前を忘れたんですが、友だちと、「あれって雌だよね」「『男』と認められた者しか入れないという設定なのにおかしい」と言いあっていました。

 

 作中ではどう説明されていたかというと、「彼女は『男』と認められた女である」。

 なんかちょっと笑ってしまうんですが、更に笑えることに、この雌犬と逞しいボス犬との間に子犬が生まれる、という展開があったんですね。

 

 確か、セックス(動物なら交尾)をすれば子供ができる、ということはまだ知らなかったくらいに幼かった気がしますが、それでも子供心に、なんかそれって絶対おかしい、なんかズルイ、この二匹なんかイヤらしい、と思ったことを覚えています。

 勿論当時はそんな難しい言葉は知らないわけですが、「軟弱」な印象を受けたと言ってもいいかなあ。

 

 近年、この漫画の主人公ワンコであります「銀」の息子を主人公にした続編が出版されておりまして、コンビニで見かけて、懐かしいなと思ってパラパラと立ち読みしておりました。

 そいでですね。皆さん、想像して下さい。わたくしは子供の頃、前作「銀牙」をTVアニメで観ていたんです。原作は読んでおりません。

 当然、TVなので音声しか流れません。下に文字のテロップなんか出ないわけです。

 つまり、こうとしか聞こえないわけですよ。「おとことしてみとめられたものしかなかまにはいることはできない」「××はおとことみとめられたおんなである」

 で、当然、子供なのもあって、「『男』として認められる」としか認識できないわけですね。

 

 しかし、漫画の「銀牙」(の続編)を読むと、文字でこう書いてあったのです。

 

 「『漢』として認められた者は云々」

 

 長年の疑問が氷解致しました。

 

 「sex」の「男」ではなかったんです。「spirit」の方の「漢」だったんです。

 あの美しい雌犬は「『漢』と認められた女」だったのです。

 そういうことなら納得いきますし、ボス犬と恋に落ちて子供を作ったってよか・・・・いや、やっぱりなんか腑に落ちないものを感じるなあ(--)

 

 ちなみにこの記事のタイトルに関してですが、あたしも言われたことがあります。

 結構嬉しいですが、果たして喜んでばかりいていいのか、いろんな意味で複雑でもあります。

 

 たとえ肉体も心もfemaleであっても、spirit()が「漢」だと認められれば仲間に入れるって昔の漫画にしちゃ意外とリベラルだよなあ、しかし、「spiritが『漢』」とは具体的にどういうことなんでしょうか。

 「正々堂々、勇猛果敢、仁義に厚い果断な人格(犬だけどね)である」ということを言い表すのに、本来なら性別を表す言葉である「おとこ」という表現を用いるということがやっぱりおかしいのではないでしょうか。

 まあ、「女々しい」とかと一緒で(あんま聞かなくなった気がしますが)、そんなことは慣用表現だからいちいち拘ってちゃいけないのかも知れませんけどね。一言で「漢」と言えば大変わかりやすいですからね。