前項の続き | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 でも暇だからちょっとだけカウンター記事書いてみよ。

 
 「一見尤もなような理屈を並べて納得させようとし」ている最終盤を引用してみましょう。
 
>若い時に、一生懸命は働くことは大切なことだし、それを否定してはいけない。
>限界まで働くことで身につくこともある。
 
 「一生懸命働くことは大切なこと」とは、それ自体としてはかなり真理かも知れません。
 でも、限界(を超えて)まで働いて若くして死んでしまっては元も子もないのではないでしょうか。
 
>人には個性があるのだから、画一的な仕組みに落とし込むのは難しい。

>モチベーションがある中での長時間労働なら苦にならないだろう。

 
 「人には個性があ」って、「画一的な仕組みに落とし込むのは難しい」と言っときながら、自分の感覚や経験だけを根拠に、「モチベーションがある中での長時間労働なら苦にならないだろう」と十把一絡げに決めつけてますわね。
 左様。人にはそれぞれ個性があるのです。モチベーションがあろうがなかろうが、月百時間も残業するなんて絶対に嫌だ、死んでしまう、という人も沢山いると思うのですが。
 そもそも、「モチベーション」って何よ。給料ですか。それとも筆者の言うように、新しい世界観とか人格的成長とか漲る自信とか、そういう抽象的なものですか。それだって各人様々じゃないですかねえ。
 最悪なのは、「モチベーションすらない長時間労働」でしょう。
 
>なんでも規制をするのではなく、自分でコントロールできる仕組み、働き方を選べる仕組み、などは考えられないだろうか。
 
 全文を読めばわかることなんですが、この人、どうも、「起業家・経営者としての働き方」と「被雇用者・労働者としての働き方」とをごっちゃにしているみたいなんですね。前にもそういう人見たことあります。
 自分の裁量の利く経営者や個人事業主ならともかく、被雇用者・労働者という立場では働き方に関するコントロールや選択権が限られるからこそ、「経営者は一日何時間、週何十時間以上、労働者を働かせてはいけない」と法律で細かく規制する必要があって、勿論企業はその法律をきっちり守る義務があるんですよ。
 【筆者の論調ですと、労働者側が自分の自由意志(とされるもの)で「長時間労働をする権利」は強調していても、「長時間労働をしない権利」「短時間労働をする権利」には全く言及してないですよね】
 やたら、「日本は」「日本は」「規制が厳しすぎる」「それでは国際競争に負けてしまう」を連発してますが、そんなもん先進国ならどこの国でもそうしてます。日本よりずっと厳格に守ってますよ。
 そうでなければ、「karoshi」(過労死)なんて縁起でもない言葉が国際語になる筈はありません。NOVAの講師は終業時間が来ると、採点の途中でも席を立って帰ってしまう、と日本人に驚かれる筈がありません。
 
 「長時間働く」ことが悪いのではないんです。楽しいなら勝手にして下さい。
 問題視されているのは、「長時間働かせる」「働かされる」ことなんです。
 
>海外を見渡すと、高所得者のエリートはおしなべて長時間労働者だ。

>日本だけが規制に縛っては、世界で戦えない。

 
 ふーんそうなのか。
 フランスだと七時間労働が実現されていてみんな四時に帰ってプライベートを充実させているし、年に一~二ヶ月くらいのバカンスもあると聞いてますが。
 これは例えばの話ですけど、フランス人が七時間でできる仕事を日本人は十四時間かけないとできないとしたら、恐らく世界で通用しないのは日本人の方ではないでしょうか。
 
>「24時間戦えますか」も「モーレツ社員」も僕は嫌いじゃない。
 
 あたしは嫌いです。そんな生き方、働き方真っ平ごめんです。
 たとえ、

 

>そのおかげで、今の日本があるのだ

 
 としても、知ったこっちゃないです。
 
 戦争で大勢の人が亡くなったおかげで今の平和で民主的な日本があって、その尊い犠牲に感謝と哀悼の意は捧げても、じゃあ自分も国の為に戦争で死にたいかって言われたら絶対に嫌ですからね。