なんて素敵にブリティッシュ | 星垂れて平野闊く 月湧いて大江流る

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 随分更新してませんでしたね~。今頃出て来ても誰もあたしのことなんか覚えてないかも知れません。
 「仕入れ期間」はまだ終わっていないんですが、どちらにせよ、今、住んでいる亀岡市の議会議員選挙で、平日は仕事終わってから、土日は一日中、街宣車に乗らないといけないので、プラベの時間がほぼ完全にありませんのです。
 「これがプラベってことで」と、元リベラルな社会科教諭のステキなN同志に言われたのですが、いや、明らかにオフィシャルでしょう。
 そもそも、「書くこと」ってあたしにとってオフィシャルなのかプライベートなのか。それを言うなら、もの書き、否、芸術家・表現者にとっては、オフィシャルとプライベートの区別、「仕事」と「遊び」の区別は本質的にはないんじゃないかと思っています。

 選挙が始まる前日、実家のある南丹市に帰ったら、友だち姉弟や母から、「あんたのブログや小説ヤバイ」って言われて、母には泣かれて、かなり激しい応酬になって、その後はどっと疲れました。
 「『世の終わりまで』は教会の人に見つかるとまずいから消したんでしょ」みたいなことも友だちのお姉さんから仄めかされました。多分、そんなつもりで言ったんじゃないと思いますが、「おまえの反骨精神なんかその程度のものだ」と言われたような気がして、嬉しくはなかったです。尤も、教会の人に見つかるとまずいだろって記事なら他にも多数あると思いますが。

 友だち姉弟にしろ絶縁した叔母にしろ他の人にしろ、割と平気で人が傷つくことをズケズケ言う人に限って、他人の不謹慎ジョークには本気で腹を立てて咎め立てするんですから世話ないです。
 友だち姉弟のお母さんは、「わあおもしろいもっとやれやれv(`∀´v)」「喧嘩上等」みたいなイカした婆さんですけどね(「イカす」って今時言うんかな)。

 「あなたの為を思って言ってあげてるの」って言い方は恩着せがましい上に、偽善的で卑怯ですね。あたしは、他人に対してその言葉だけは使わないように意識しています。「あたしはあなたのそういう所がすごく嫌で、変わってほしいから言ってるの」と言うようにしています。
 「あなたを守りたいから」とか勘弁して下さい。あたしは精神的に自立した人間を目指しているので、誰かに守ってもらう必要なんかないのです(「支えてほしい」「励ましてほしい」「慰めてほしい」「『共に歩んで』ほしい」と思うことはあります)。
 自分が言ったこと、書いたことの責任はちゃんと自分で取ります。みっちーにも絶対に迷惑はかけません。彼には一切責任はありません。

 それ何回言うねんってツッコまれそうですが、言論・表現の自由と個人の名誉やプライバシーとの兼ね合いは本当に難しいと思います。
 「わたしがそうやけど、たとえいいことであっても、個人特定できない形であっても、自分のことを書かれたくないって人だっているんやで」ってある人からも言われたし(早速書いちゃってますが)。

 ただ、作者を(よく)知らない小説の読者にしてみれば、題材になってるキャラクターやエピソードがどこまで作者の身の周りにある現実のものかなんてどうだっていいことなんです。あたしの場合は、ブログの過去記事を発掘して、小説と照らし合わせて読みこめばある程度のことはわかるようになってますが、そんな暇な、じゃない、学者並みの能力と情熱を発揮する読者がいるとは思えないし(今はまだね)、いた所で、無関係の人なら、「へえ」って思うだけでしょう。
 (参考までに。当該の記事を書いた時点では、それを小説に起こすはっきりとした計画や予定はありませんでした。つまり、記事が先で、それも小説のネタにするつもりはなかったってことです)
 「名倉マミって性格悪い奴やな」「もうこいつの書くものは読みたくないわ、関わりたくないわ」とは思うかも知れません。あたしのことを知ってる人も知らない人もです。友だち姉弟も、「そういうことを危惧したから敢て注意したんや」「最悪の場合、訴訟を起こされるし、起こされたら敗訴するよ」と言ってましたけど、そんなこと言ってたらなんにも書けへんし、「おもしろい」「別の意味で『ヤバイ』、カッコイイ」って言ってくれる人もいるんです。確かに、少数派だろうとは思いますが(^_^;)

 若干洞察めいたことを加えるとですね、「他人からどう思われるか」を過剰に気にする人、特に、「他人の否定的な心証を買うこと」「誤解や偏見を受けること」を何よりも恐れる人っていうのは、芸術活動・表現活動には向かんのですよ。少なくとも、そういう芸術家・表現者の創作したものは極めて穏健且つ平凡で、人を驚かすようなものにはならない場合が多いと思いますし、個人的にはそういう無難なのはあんま好きじゃないです。
 芸術家・表現者だけじゃなく、恐らく、政治家や起業家(経営者)などにも向かない筈です。自分の意見よりも他人のそれを優先させて、すぐに人の言いなりになっちゃう人、自分が発言や行動をしないことを他人の思いや考えのせいにする人っていうのはね。

 それと、文学でも映画でも何でもいいですが、「人間」という存在を描くものである以上、「たとえいいことであっても、特定できない形であっても、フェイクを入れていても、あの人やあの場所やあの件のことを(無断で)ネタにしちゃいけない」という考えに縛られていると、ホンマになんにもクリエイトできなくなります。食料品の注文書きを羅列したような小説が読みたいなら別ですが。

 話を戻しますが、冗談の通じない人ほど面倒くさい、鬱陶しいものはありません。どうやら生まれる国を間違えたわ。イギリス人ならこういうユーモアセンスすぐわかってくれるんだろうけどな、とイライラします。
 なんせ、「世界一クサイ映画は?」なんて投票取ってランキングするお国柄。
 とある東の国だったら、「映画を作った人たちの気持ちを考えろよ!」「みんなが嫌な気分になるだろうが!」「人の心を傷つけるような投票を取ってもいいの!?」なんてマジギレするようなメンタリティの持ち主がマジョリティですからね。
 鬱病や自殺が多いのはその辺に原因があるんちゃうかと個人的には思います。「二十世紀、一番人を殺した(って思われがちな)のは、謹厳実直でブラックジョークとかをあんまり口にしない日本人とドイツ人であった」という、それこそ笑えないブラックジョークもあるくらいです。

 ちなみに、栄えある一位に輝いたのは、「タイタニック」だそうです。