写経屋の覚書-なのは「今回からは韓国の教育の内実についての記述が続くんだよ」

写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_28
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_29
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_30
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_31
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_32


   第四 私立学校
次に私立学校に関する一般状況に就て少しく説明すへし官公立学校に関しては自然長時間を要するの虞あるを以て之を省略し今は唯韓国に於ける学校の最大多数を占め而かも韓国教育の主要部分たる私立学校に就き一言せん

    甲 韓国人の教育に対する謬見
韓国に於ける教育熱勃興、私立学校設立の径路並に其学校分布の状勢に就きては其韓国人の設立に係るものと基督教宣教師の設立に係るものとを問はす略ぼ之を前述せり然らは是等私立学校の現在換言すれは其内容実質は果たして如何是等の多くは学校として能く完全なる設備、教師を有し且つ其実績を挙け得らるゝの情態にあるや否や予は遺憾なから之を否定せさるを得す而して之か詳細なる情況に至ては予か近く公にせんとする「韓国教育の現在」なる一書中に之を論せんとするを以て就て諸君の一粲を請ひ茲には唯二三要点を紹介するに止めんとす
夫れ教育の要義たるや世に処し家を斉ふに当り実際的智識と技能を養成するにあるは言ふを俟たさるのみならず将来の開明進歩に資すへき適材を輩出せしむるにあることは何れの時何れの国を問はず共通せる教育の本領なることは韓国人と雖是れ異議を挟むの余地なかるへし而も是を韓国学校設立の跡に就て稽ふれば其動機其内容共に大に非なるものにして彼等の多くは教育の真意義を解せず学校に要する経費、設備、教員の如きは措て問はず単に時勢に挑発せられて設立し或は激越なる政治論を弄ひ褊狭の愛国心を唱道し或は喇叭を吹き太鼓を叩き課業を廃して兵式体操に熱中するか如きは教育の本旨に背戻するのみならず延て国内の秩序を攪乱し治国の基を危殆ならしむるものと謂はさるへからず現に一両年前に在ては平安南北両道の如き私立学校とは殆ど喇叭を吹き太鼓を叩くことを教授するものヽ如き観を呈し盛に兵式操練をなして近郊を横行し為めに義州に於ては日本軍隊と衝突を惹起したるか如き実に明治三十九年のことにして其他之に類する事例少からず尚極端の例を示せば平安南道永柔郡私立李花学校は其編成喇叭科、太鼓科、体操科の三科より成り就て之を教員に訊したるに彼は学校とは斯の如き学科を教授するものなるが如く信して疑はさりしが如き全く教育の真意義を解せさるに坐するものにして誠に憫憐に堪へずして深く之を咎むるよりは寧ろ指導啓発の余地あるものと信す

写経屋の覚書-フェイト「まず韓国人の教育にたいする誤解についてだね」

写経屋の覚書-はやて「学校設立の動機について、教育やのうて政治のためにする連中が多いとか、喇叭、太鼓、体操を教えんのが教育やと思いこんどる連中がおるいうんはこれまでも言うとったなぁ」

写経屋の覚書-なのは「うん。『全く教育の真意義を解せさるに坐するものにして誠に憫憐に堪へずして深く之を咎むるよりは寧ろ指導啓発の余地あるものと信す』って言ってるから、処罰するよりも矯正指導するほうを進めたみたいだね」

写経屋の覚書-はやて「獄長日記の韓国地方政況ノ概要(三)にも書かれとるんけど、義州で日本軍と衝突したいうんはほんまなんやろか?」

写経屋の覚書-なのは「えーっとね、駐韓日本公使館記録に載ってたよ」


写経屋の覚書-公使館記録212_1
写経屋の覚書-公使館記録212_2
写経屋の覚書-公使館記録211
写経屋の覚書-公使館記録210
写経屋の覚書-公使館記録209


明治四十一年五月廿一日 午後五時二十分新義州発
            午後六時三十七分京城着
第二三六号
 鶴原地方部長 岡部理事官
本日義州耶蘇学校生徒と守備隊兵士■と衝突し今学校破壊中との報告に接せり当庁にては直に警部を派遣せり

明治四十一年五月廿二日 午前九時四十五分新義州発
            午前十時四十一分京城着
第二三七号
 鶴原地方部長 岡部理事官
義州兵士と学校生徒事件は其後平穏原因は兵士に対し生徒の行動不遜なりしに因る韓人軽傷四、破壊されたる学校「は信徒の寄付に成るものなり」

明治四十一年五月廿二日 午後五時三十五分新義州発
            午後六時二十三分京城着
第二四二号
 鶴原地方部長 岡部理事官
兵士対学生事件電報追報すべき部分■「は信徒の寄付弗支出の議を決定せし旨高平大使より通知に接す右不取敢申進む

写経屋の覚書-なのは「小川原宏幸は『統監府下学部の初等教育政策の展開―「私立学校令」を中心として―』って論文の注44で、「前掲『俵次官演説要領』p31~p32 なお同史料ではこの事件が起きたのは1906年とされているが,1907年5月21日付鶴原地方部長宛岡部理事官報告(『駐韓日本公使館記録』32,国史編纂委員会(京畿道),1993)から,1907年の事件と推察される。」って書いているんだけど、明治41年は1908(隆煕2)年なんだよね」

写経屋の覚書-はやて「明治と隆煕・光武、西暦の換算ってややこしいしなぁ。大正も入ってくるし…院生の博士論文やし、そのへんはついついミスってもぉたんちゃう?」

写経屋の覚書-フェイト「それはともかくとして、この衝突は大事件に発展しなかったんだね」

写経屋の覚書-はやて「大事件に発展しとったら、ろくに内実も調査せんと日本軍の蛮行やとか言い出す連中が出てきとったやろなぁ」

写経屋の覚書-なのは「あははは、じゅうぶんにあり得る話だね。今回はちょっと早いけど、きりがいいからここまでにするね」

写経屋の覚書-フェイト「次回は何を見るの?」

写経屋の覚書-なのは「こういった韓国人の姿勢に対して学部が打ち出した政策について触れるの。今回と同じでこれまで取り上げたことの復習みたいになると思うよ」

俵学部次官演説要領(明治43年7月)(1)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(2)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(3)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(4)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(5)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(6)

参考エントリー
大韓帝国期のキリスト教(二)

写経屋の覚書-なのは「今日はGWの最中で、作者は四国九州旅行に行っているから、お休みしようと思ったんだけど、きっちり上げてみるね」

写経屋の覚書-フェイト「え?じゃぁ、旅行先からこのエントリーを書いているの?」

写経屋の覚書-はやて「ちゃうちゃう。決まった時刻になったら自動的にアップするよう設定しとるねん。で、今度は監理派の学校の状況についてやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。さっそく表を見てみるね」

写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_25
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_26
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_27
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_28

監理派メソヂスト・エヒスコーバル教育事業統計表{西暦一九〇九年(明治四十二年)韓国監理派大会報告中より摘録}
事項/管区京城公州平壌水原寧辺
学校数大学校11
神学校11
中学校224
小学校2591251718194
2891281718200
学生数大学校学生33
神学校学生20475279
中学校生徒283130413
小学校生徒1,1032613,3485644525,728
1,5902613,5565644526,423
日曜学校数7437673814230
仝上生徒数9,5891,0878,5002,2831,40322,862

  備考、日曜学校は実際に於て学校と同一視すへからさるものなり故に之を別欄に置く

写経屋の覚書-フェイト「監理派のほうは、管区が5個なんだね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。管区の所在地は以下の通りだよ」

京城:漢城府
公州:忠清南道
平壌:平安南道
水原:京畿道
寧辺:平安北道

写経屋の覚書-教派管区地図
(地図はクリックで拡大)


写経屋の覚書-はやて「全羅道・慶尚道・黄海道・江原道には管区がないんやね。やっぱし他の管区の管轄に含まれとるんやろなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうだね、地理的には水原・公州管区が慶尚道・全羅道・忠清道をカバーしていると思うんだけど…水原・公州管区の学校数が少なすぎるよね。単純に慶尚道・全羅道・忠清道では監理派の信徒が多くなくて学校も少なかったって考えたほうがよさそうだね」

写経屋の覚書-フェイト「ここでもやっぱり小学校が200校中194校、97%を占めているね」
写経屋の覚書-はやて「あと、長老派と同じで平壌管区、つまり平安道の学校数が多いなぁ。参考エントリーの記述とおうとるといえばおうとるかな」

平安道
本道は、20余年前新教の渡来以来長足の発達を成し、平壌地方の如き韓国中尤も旺盛を極めり。
平壌に於ける長老派・美以派の発達は、実に驚くべき程度に達し、毎日曜教会堂に集会するもの1,500名、時としては2,000名余の多きに達し、実に韓国基督教の中心たり。
其他宣川、江西、定州、龍川、義州等も信徒多く、近頃宣川地方の長老派にては、江界に大教会堂、学校、病院等を定設し、平安北道布教の根拠地となさんとしつつあり。

写経屋の覚書-フェイト「朝鮮半島北部のほうがキリスト教信徒が多いってことなのかなぁ…」

本表は西暦一九〇九年(明治四十二年)韓国に於ける長老、監理両派大会の報告中より摘録したるものなり今長老派に就て之を見るに京城以下七ヶ所に於ける同派管区中に存在する神学校、中学校、小学校の数実に六百五校にして生徒総数一万四千七百八人を算す監理派に就て之を見るに京城以下四ヶ所の管区中に存在する大学校、神学校、中学校及小学校の数二百校にして生徒総数六千四百二十三人を算す之に依りて是を観しも韓国に於ける宗教学校は米国両派のみを以てしても其数実に八百五校の多きに及ぶを以て尚此以外英国聖教会、仏国天主教会等に属する学校数を加ふれば学部認可の総数八百二十三校を越ゆること多数なるへきは蓋し疑を容れば而かに此趨勢は益増大して彼等の事業は日一日と旺盛の域に向ひつゝあり現に京城に於て長老派は其大学校として宏大なる校舎の建築に着手しつゝあり以て彼等宣教師か如何に布教に熱心にして而かも能く世情民俗を迎合し且つ利用して教育事業に従事しつゝあるの情勢を知ることを得へし

写経屋の覚書-はやて「参考エントリーを見たら『長老派>仏国天主教>美以派>その他くらいの勢力関係なのだろうか』ってあるんけど、学校に関しては仏国天主教より監理派のほうが盛んなん?なんか意外やなぁ」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。1910(明治43・隆煕4)年の漢城府内の学校視察の報告でもそんな感想が述べられてるんだよ」


「漢城府内基督教学校状況一斑」(『日本植民地教育政策史料集成(朝鮮編)第67巻』収録)より隆煕4年2月28日私立啓星学校視察の報告

六、概評 仏蘭西天主教は最も早く韓国に輸入せられたる基督教なり従て其教育上の経営の如きも他の教派より一層見るべきあらんと予期し居たるに右啓星学校を視察し意外にも其然らさるを認めたり同校を以て他の新教各派の学校と比較するに少くも其重もなる学校に対しては甚しく遜色あるを認む

七、ポアネルの談話大要領 学校の参観終りし後設立者たるポアネルに面会したり同人は仏国宣教師にして校舎と同一建物の一室にあり同人談話中注意すべき二三の事項を左に録す
1、仏蘭西天主教に属する学校にして京城にあるものは其数も少く規模も小にして殆んど見るに足るものなし地方にあるものはやゝ見るべきあり云々是によりて之を見れば天主教は力を地方に傾注するものにあらさるか
2、京城には独逸の天主教僧侶もあり然れとも未だ教会を有せず学校の如きも殆んと無しと云ふも可なりされとも追々校舎を完全にし教会堂をも建立する計画あり

写経屋の覚書-なのは「ま、これはあくまでも漢城府内の一学校の話だし、全体的なことを言えるかどうかは措いたほうがいいかもね」

写経屋の覚書-フェイト「とりあえず、宗教学校に関しては長老派と監理派が大部分を占めていたってことでいいよね?」

写経屋の覚書-はやて「その長老派と監理派の学校だけで805校もあるし、未認可の分とか、仏国天主教・英国聖教会の学校を足したら学部認可の学校数の823校を越えるんやろうってのは教育熱がすごいなーと言いたいんけど…問題はその内容やんなぁ…」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね…少なくとも、さっきも挙げたように漢城府内の宗教学校については視察報告があるから、どこかで紹介したいとは思ってるんだけどね。今回はここまでにするね」

写経屋の覚書-フェイト「次回は何を取り上げるの?」

写経屋の覚書-なのは「韓国の教育や私立学校の内実についてつっこんで見ていくことになると思うんだけど…先は長いかなぁ」

俵学部次官演説要領(明治43年7月)(1)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(2)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(3)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(4)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(5)

参考エントリー
大韓帝国期のキリスト教(二)

写経屋の覚書-なのは「今回は宗教学校の統計を見るね。表だけだから早めに終わると思うよ」

写経屋の覚書-はやて「ほんなら楽でええなぁ」

写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_22
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_23
写経屋の覚書-明治43年7月13日俵訓示_24


    乙 宗教学校の現勢一斑
各道中私立学校の最も盛なるを平安南北道にして之に次くものは黄海道とす而かも是以外に前述の未認可に属するものを網羅せば其三四割の増加を来すへしと信す今試に左表に就て説明を加ふへし

長老派プレスビテリアン教育事業統計表{西暦一九〇九年(明治四十二年)韓国長老派大会報告中より摘録}
事項/管区京城釜山平壌大邱宣川載寧清州江界
学校数神学校11
中学校4415115
小学校292018395138101914589
332018896143101915605
学生数神学校学生牧師たるべき学生9147338184120
専門学校学生175123
中学校生徒3231341878265411,138
小学校生徒6894834,3531,2903,6432,42419135513,427
1,0214974,8351,3713,9512,44219140114,708
日曜学校数1,0214974,8351,3713,9512,44219140114,708
仝上生徒数4,5904,96025,20011,09323,38015,3007411,91487,178

  備考、日曜学校は実際に於て学校と同一視すへからさるものなり故に之を別欄に置く

写経屋の覚書-フェイト「最初は長老派の経営する学校だね」

写経屋の覚書-はやて「京城・釜山・平壌はどこかすぐわかるし、大邱・清州もだいたいどの辺にあるかは見当つくけど、載寧と江界ってどこなん?全然知らへんわ」

写経屋の覚書-なのは「えーっとね、各管区の所在地方はこんな感じなの」

京城:漢城府
釜山:慶尚南道
平壌:平安南道
大邱:慶尚北道
宣川:平安北道
載寧:黄海道
清州:忠清北道
江界:平安北道

写経屋の覚書-教派管区地図
(地図はクリックで拡大)


写経屋の覚書-はやて「あれ?忠清南道、江原道、咸鏡道、全羅道には管区が無いん?」

写経屋の覚書-なのは「たぶん、表にある管区に含まれているんだと思うよ。たとえば忠清南道は忠清北道と同じ清州管区の管轄とかいう感じで」

写経屋の覚書-はやて「道一個で管区が成立せえへんくらい信徒が少ない地方ってことなんやな」

写経屋の覚書-フェイト「管区別だと平壌と宣川の信徒数が多いね。江界も合わせたら平安道だけで57.5%、つまり過半数もあるんだ」

写経屋の覚書-なのは「そのあたりは、参考エントリーの大韓帝国期のキリスト教(二)の記述からもうかがえるように、布教状況と関係していると思うの」

京畿道
道内各派の内美以派最も盛力を有し、其信徒2万に達し、天主教之に次ぎ信徒1万以上に及び、其他長老派、英国教会、求世軍等も各多数の信徒を有し、而して其美以派は道内各地共優等の位置に在り。
天主教は京城、水原地方に於て信徒最も多く、長老派は京畿に信徒多く、英国教会は水原・江華島・仁川に多し。
救世軍は布教日尚ほ浅く未だ充分の根拠を有せずと雖ども、目下各地方に幹部を派遣し、大に其布教に努め、漸次発展をなしつつあり。
而して就中京城、仁川、水原、開城、江華島は、各派の発達盛況を極めり。
各派外人宣教師は、概ね能く韓語に精通し、説教講義の如き自ら其衝に当り、又各地方には韓人牧師、伝道師等の助手を常置し、以て其布愆に努めつつあり。
而して宣教師所在地を距る甚だ遠からざる地方は、宣教師自から毎月数回、又遠隔の地と雖ども年数回布教を行ひ、山間僻地と雖ども多少の耶蘇教信者を見るの盛況を呈するに至れり。

江原道
本道は長老派其勢力を占め、其信徒1万に達し、英国協会之に次ぎ、美以、天主等も亦信徒頗る多し。
而して載寧、海州等外国宣教師熱心布教に従事し、又各地方は至る所韓人助手等熱心勢力の扶植に努め、其発達京畿道に譲らず。

平安道
本道は、20余年前新教の渡来以来長足の発達を成し、平壌地方の如き韓国中尤も旺盛を極めり。
平壌に於ける長老派・美以派の発達は、実に驚くべき程度に達し、毎日曜教会堂に集会するもの1,500名、時としては2,000名余の多きに達し、実に韓国基督教の中心たり。
其他宣川、江西、定州、龍川、義州等も信徒多く、近頃宣川地方の長老派にては、江界に大教会堂、学校、病院等を定設し、平安北道布教の根拠地となさんとしつつあり。

咸鏡道
本道は各派共教勢振はず、元山及咸與、城津に若関の宣教師あるのみにして、長老派独り勢力を有し、信徒の数4,500に達し、其他美以派、天主教あるも信徒の数少なし。

忠清道
本道は天主教最も勢力を有し、忠州、公州、牙山、鴻山には宣教師在住し、信徒極めて多し。
次は長老派にして鎭川、清州等に信徒多し。
美以派は公州に多し。

慶尚道
本道は長老派最も勢力を有し、其信徒数2万に達せんとし、釜山鎭、大邱最も盛にして、美以派と天主教之れに次ぎ又勢力を有す。

全羅道
本道も長老派最も勢力を有し、群山、全州、木浦、光州に信徒多く、天主教は其次に位するも、済州島に於ては優勢を占む。
美以派は其下位にあり。

写経屋の覚書-はやて「漢城府のある京畿道で信徒が多いんはまぁ当然やな。咸鏡道は『各派共教勢振はず』って書いとるけど、これは独立した管区が無いこととおうとるやんなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「平安道のほうも『20余年前新教の渡来以来長足の発達を成し、平壌地方の如き韓国中尤も旺盛を極めり』って書いているけど、これもさっき表でみた、平安道だけで信徒の57.5%を占めていることにあうよね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。さっき言った信徒の少ない管区と逆に、信徒が多いから平安道だけで3つも管区が成立しているということだと考えていいんだろうね」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?江原道も『其信徒1万に達し』って書いてるのに独立した管区になってないんだね?」

写経屋の覚書-なのは「うーん、平壌か宣川管区のどっちか、あるいは両方の管轄区域に含まれてるんじゃないかなぁ?だって、平壌188校、宣川143校ってあまりにも多すぎるでしょ。だからこれらは江原道の分まで含んでるじゃないかって作者は考えているみたい」

写経屋の覚書-はやて「そやなぁ、地理的には江原道の西が平安道なんやし、そうなんかもしれへんね。そっちはそれでええとして、全羅道のほうは『長老派最も勢力を有し、群山、全州、木浦、光州に信徒多く』って書いとるのに、なんで独立した管区になってへんのやろ?」

写経屋の覚書-なのは「参考エントリーの記述は、全羅道のなかで各教派別にみた場合に相対的に長老派信徒が多い、って意味じゃないかなぁ?地理的には比較的近い大邱管区に含まれていると考えたいけど……慶尚道と全羅道って歴史的に仲が悪いっていうし、ちょっと無理があるかなぁ」

写経屋の覚書-はやて「えーっと、大統領選とかで噴出する地域対立ってやつやね。高麗建国期に最後まで抵抗した後百済の地域を冷遇したんが発祥やとか、李朝時代の農民反乱がもとやとかいうアレや」

写経屋の覚書-なのは「ま、どこまで関係あるかなんて分からないし、ここでは結論は出せないから、これ以上つっこまないでおくね」

写経屋の覚書-フェイト「学校の種類別にみると、小学校が一番多いね。605校中589校だから…97%もあるんだ」

写経屋の覚書-なのは「そりゃ、国民の程度とか教育の普及状況を考えると初等教育のほうが必要だろうね。まだ高等教育を必要とする人も少ないし、宣教師の方でもそこまでの教科課程を用意するのは簡単じゃないだろうし。今回はここまでにして、次回は監理派つまりメソジストのほうを見てみるね」

写経屋の覚書-はやて「…けっきょくいつもより長ぁなってもぉたなぁ…」

俵学部次官演説要領(明治43年7月)(1)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(2)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(3)
俵学部次官演説要領(明治43年7月)(4)