写経屋の覚書-フェイト「今回は『第1の疑問』について見てみるんだったね」

写経屋の覚書-はやて「たしか、妥当かなぁって思える見解は出せたって言うとったなぁ」

写経屋の覚書-なのは「うん。念のため疑問部分を再掲しておくね」

朝鮮人ノ氏ノ設定ニ伴フ戸籍事務取扱方ニ関スル件

さて、まずは第1の疑問。
2月1日のエントリーの実例のように、林、柳、南、桂等の姓の者が強いて同じ氏で届けた場合、「従前の姓と同一の氏」にカウントされるのか、「内地人式氏と認めらるる氏」としてカウントされるのか。


写経屋の覚書-はやて「で、どういうふうに説明していくん?」

写経屋の覚書-なのは「まず、このエントリーを読んでみて」

朝鮮戸籍及寄留例規(三)

【1420】
従来の姓にして内地人式の読方を為し得るものを氏と為す場合、届出及戸籍記載に之を明にする要なし。
右の如き姓を他姓の者に於て氏と為すことは差支なし。

(19.3.40)(昭和15年1月26日咸興地方法院長稟伺 同年2月6日法務局長回答)

首題の件に関し左記の通疑義有之に付、何分の御指示相仰度此段稟伺す。



一.林、柳、南、桂の如き姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地人式の読み方を以て氏と為さんとする場合、届出及戸籍記載に付之を明かにするの要なきや。

二.他姓の林、柳、南、桂等を内地人式の読み方に従ひ氏と為さんとするには、昭和14年制令第20号第1條第2項の、自己の姓以外の姓を氏として用ひんとするものに該当すと認め、許すべからざるや。

回答

首題の件、左記に依り了知相成りたし。



一.其の要なし。

二.差支なし。

9月25日のエントリーで取り上げた、金英達著の『創氏改名の研究』における「林、柳、南、桂等の姓を有する者が、林(ハヤシ)、柳(ヤナギ)、南(ミナミ)、桂(カツラ)等内地式の読み方を以て氏と為さんとする場合其の届出の要なきところ」の話とはまた別の話です。

まず1番目。
林、柳、南、桂のような姓の者が、内地人式の読み方で氏の設定を行おうとする場合、届出や戸籍にはその旨書くの?という疑義に対して、いや、イラネ、と。
そもそも戸籍に読みが必要なわけでもなく、さらに理由の記載も要りませんってことでしょうね。
というか、この時点で既に林、柳、南、桂のような姓の者が、そのままで届出する場合について想定されているわけで、「事実上、設定創氏は日本風の氏の設定に限定されていた」とする論拠としてはふさわしくないですな。

次に、他姓の者、つまり金さんや朴さんが林、柳、南、桂等の氏を設定しようとする場合、昭和14年制令第20号第1條第2項「自己の姓以外の姓は、氏として之を用ふることを得ず。」に引っかかるとして、却下なの?と。
これに対しては、いや、問題ないよ、と。

んー、要は林、柳、南、桂等は内地人式の氏と見なされてるって事だろうなぁ。
良く言われる「南太郎」と創氏改名するのって、現場ではどうか分かりませんが、法令上や質疑応答上では不可能ではないんですな。

写経屋の覚書-フェイト「『林、柳、南、桂等は内地人式の氏と見なされてる』ってことなの?」

写経屋の覚書-はやて「朝鮮風の氏でもあるけど、内地人式に読み換えた場合、少なくとも『自己の姓以外の姓』には当たらず内地人式の氏として扱うって解釈やんなぁ」

写経屋の覚書-なのは「うん。そう考えるのが妥当なの。ちなみに昭和15年2月から9月までの朝鮮総督府官報の官吏創氏の彙報と商業及法人登記の広告を調べた結果、『金さんや朴さんが林、柳、南、桂等の氏を設定』した例は発見できてないよ」

写経屋の覚書-フェイト「9月以降の官報のチェックは引続き宿題になるのかなぁ?」

写経屋の覚書-なのは「緊急性はないし、優先順位としては低い方だから、時間ができたら見ておくことになると思うよ。じゃぁ今日はここまでにして、次回も見ていくことにするね」

林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(1)
林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(2)
林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(3)
林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(4)
写経屋の覚書-はやて「更新日時変更のお知らせとか、夏休み特別企画とかで長いこと中断してしもたけど、やっと今回から創氏統計についての続きやね」

写経屋の覚書-フェイト「たしか、『第79回議会説明資料』と『第77回議会説明資料』の数字が違ってるってことについて見ていくんだったよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。食い違いを対照表にするとこんな感じになるの」

別表一に於ける創氏件数の差異
月別創氏件数表第77回資料第79回資料差異
8月(10日迄)1,075,5381,067,300-8,238
3,228,9313,220,693-8,238

別表二に於ける創氏戸数及び割合の差異
道名77回資料77回割合79回資料79回割合戸数の差異
京畿道337,9780.790339,6790.7941,701
江原道238,4750.850238,9030.851428
忠清南道219,0790.844217,0690.836-2,010
忠清北道127,2490.705127,2620.70413
咸鏡南道217,1720.835217,2150.83443
咸鏡北道117,9850.646118,4450.648460
平安南道184,6770.773184,7170.77340
平安北道248,7200.873244,6950.859-4,025
黄海道236,5220.780235,2590.774-1,263
慶尚南道354,5080.843354,6070.84399
慶尚北道387,4190.838383,4370.828-3,982
全羅南道344,7530.808344,9000.808147
全羅北道214,3940.765214,5050.765111
3,228,9310.8053,220,6930.803-8,238


写経屋の覚書-はやて「総計で8,238件減っとんねんなぁ…ざっと見た限り、差異が特定の地域に偏在していると言うてええんかどうか…慶尚北道と平安北道の差異は突出しとるんやけど…」

写経屋の覚書-フェイト「うん、そうだね…あ!地域別じゃなくて月別のほう、『八月(十日迄)』の統計で数値が違うんだよ!」

写経屋の覚書-はやて「ちゅーことは、第77回議会説明資料をつくる時点では、8月1日から10日の締め切り直前の申請届出した分の集計に漏れがあって、第79回議会説明資料をつくる時にその修正ができたってことなんやな」

写経屋の覚書-なのは「そうだね…集計漏れが獄長の言う『府邑面から各地方法院等に送られるタイムラグ』のせいだと推測するけど、断定まではできないんだよね」

写経屋の覚書-フェイト「『第2の疑問』について、完全解決ってわけにはいかないんだ…残念だね…」

写経屋の覚書-はやて「ほんなら『第1の疑問』のほうはどうなん?解決できるん?」

写経屋の覚書-なのは「そっちのほうは、妥当かなと思える見解を出せたみたいなの。ちょっと早いけど今回はここまでにして、次回から見ていくね」

林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(1)
林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(2)
林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(3)
写経屋の覚書-なのは「今回は『林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(4)』じゃなくて、夏休み特別企画をするよー!」

写経屋の覚書-フェイト「夏休み特別企画?」

写経屋の覚書-なのは「うん。作者が『日韓友好資料館』って施設に行ってきたんで、その報告なんだ」

写経屋の覚書-はやて「名前からして嫌そうな感じの施設やなぁ…で、どこにあるん?」

写経屋の覚書-なのは「鳥取県の琴浦町ってところなの。作者の後輩が指導している高校野球部が鳥取県倉吉市で合宿してたので、その陣中見舞いに行ったついでに寄ったんだって」

写経屋の覚書-フェイト「琴浦町のホームページに日韓友好交流公園として載ってるね」

写経屋の覚書-なのは「えっとね、主要幹線道路の国語9号線のそばに、道の駅赤碕と一緒にあるんだよ。西から道の駅・資料館・公園の順に並んでるの。この写真だと左の建物が資料館、右の丘が公園なんだよ」

写経屋の覚書-友好資料館・交流庭園

写経屋の覚書-はやて「えーっと、2003年に造られたんか。1819年と1963年に漂着した朝鮮人・韓国人を保護して送還した史実を踏まえて『漂着地を見下ろすこの地に日韓友好の永続を願い、韓国との交流及び情報発信拠点として当公園が整備されました』かぁ…」

写経屋の覚書-なのは「作者は、合宿球場に行く途中、道の駅犬挟(いぬばさり)で休憩した時に、観光地図でこの資料館を見て存在を思い出して、建設当時、鳥取県知事が片山善博ということで韓国に媚びた施設つくったんじゃないかってネット上で言われてたような記憶があったのを思い出して行く気になったの」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、やっぱりダメな展示ばかりの嫌施設だったの?」

写経屋の覚書-なのは「そうだねぇ…竹島関係の記述は特別になかったし、安龍福についての説明も、当時の日本は鬱陵島を竹島と呼んでいたことを明記してのおおむねまともなものだったよ」

写経屋の覚書-安龍福_赤碕

写経屋の覚書-なのは「だけど、期待通りのものもあったんだよね♪ まずは高宗の説明パネル」

写経屋の覚書-高宗_赤碕

写経屋の覚書-はやて「『高宗は政治、経済、社会など様々な方面で近代化を進めましたが』って笑うとこやんなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「『1919年1月21日に日本人に毒殺されたと伝えられています』ってどういうことなの?初耳だよ」

写経屋の覚書-なのは「当時からあった風聞・デマだよ。2004年に、朝鮮日報で『毒殺の証拠見つかる』って記事が出たことがあったんだけど、高宗の娘の徳恵姫と小学校の同窓生だった日本人女性が、徳恵姫から伝え聞いた内容を自分の娘に伝えて、その娘が大阪の郷土史学者に口述したっていう文書が証拠だったの」

写経屋の覚書-フェイト「…すごく胡散臭い経緯だと思うんだけど…」

写経屋の覚書-なのは「徳恵姫と同窓生の日本人女性が誰か、大阪の郷土史学者が誰かわからないし、なによりも、これを紹介したのが金文吉という時点でオチがついてるんだよねぇw」

写経屋の覚書-はやて「獄長の選ぶ三馬鹿トリオ(李泰鎮・慎鏞廈・崔書勉)から漏れてしもた人やなw 5人そろって竜造寺四天王の例もあるし、4人で三馬鹿トリオでもええんちゃうかなぁ」

写経屋の覚書-なのは「まぁ、絞るのに苦労するほどバカばっかりだけどね…次は国債報償運動のパネル」

写経屋の覚書-国債報償運動_赤碕

写経屋の覚書-はやて「『日本政府は朝鮮の経済を破綻に陥れ、日本に隷属させるための方法として、朝鮮政府に対して積極的な借款供与政策を進めました』なぁ…なんで日本政府が国民の血税を大量に使ってそんな迂遠な手ェ使わなあかんねん。『このような日本の借款攻勢は、朝鮮政府と民間の経済的独立を根本から脅かすものでした』って、経済的に破綻しかけているから借款に頼るんちゃうんかいな」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?『そして総督府が、運動の核心勢力であった大韓毎日申報のベデルと梁起鐸を報償金横領の容疑で拘束したことから、あえなく中止となりました』って、この時代に総督府はあったかな?」

写経屋の覚書-なのは「…この展示のパネル原稿にかかわった人たちの頭の中には『韓国統監府』がないみたいなんだよ。この年表がその証拠だよ」

写経屋の覚書-日本側年表_赤碕
日本側年表
写経屋の覚書-韓国側年表_赤碕
韓国側年表

写経屋の覚書-はやて「併合より先にいきなり朝鮮総督府設置?!しかも、日本側年表やと1905年設置、韓国側年表やと1906年設置になっとる」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、韓国統監府設置は1905年12月、開庁が1906年2月、伊藤統監の就任が3月だから、どちらもまちがいとは言い切れないんだけど、それ以前にこの年表は朝鮮総督府になってるから話にならないよね」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。それと日本側年表の1904年の項で『岩美郡大谷(おおや)村(鳥取県岩美町)の奥田亀造が韓国東海』って書いてるけど、これは写真が見切れてるからで『東海』じゃないよ。続きは『韓国東海岸で試験漁業』だからね。全体的に『日本海・東海』『竹島・独島』といった言葉はなかったはずだよ」

写経屋の覚書-フェイト「さりげなく大谷(おおや)村のハングル表記が『オオタニ』になってるね」

写経屋の覚書-はやて「国債報償運動の末路に話を戻すと、だいたい、李東暉らが横領疑惑を指弾したんがベセルらの拘束の発端やし、『鍋根性』で運動自体すぐに熱が冷めてもぉとるし、結局韓国人らのせいやねんけどなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「展示パネルは韓国側で原稿を作って、それを単純に日本語訳したのかなぁって思ったんだけど、安龍福のパネルを見るとそういうわけでもなさそうだし、いったいどこの誰がどうやって原稿を書いたのかなぁ?」

写経屋の覚書-なのは「うーん、全然わからないの…そうそう、金九が殺したのは陸軍中尉土田譲亮になっているのはお約束だね♪」

写経屋の覚書-金九_赤碕

写経屋の覚書-はやて「あれ?金九って東学党の乱に参加しとったん?」