写経屋の覚書-フェイト「今日は南さんや桂さんの創氏届処理についての続きだよね…あれ、ちがうの?」

写経屋の覚書-なのは「うん。ちょっとお知らせがあるので差し替えになるの」

写経屋の覚書-はやて「お知らせ?なんか悪い予感がするで」

写経屋の覚書-なのは「はやてちゃん、そんなに悪い話じゃないよ。エントリーの更新日時の変更の話なんだ」

写経屋の覚書-はやて「変更するん?」

写経屋の覚書-なのは「今は5日に1回の更新なんだけど、これを毎月5・10・15・20・25・30日に固定して、アップ時刻も22時30分から23時00分にするの」

写経屋の覚書-フェイト「?ってことは実質的には変化はないよね?」

写経屋の覚書-なのは「そうだよ。作者が、5日ごとを数えるのが面倒くさくなったんで、5と10の日に固定してしまえっていうのが理由なんだよ」

写経屋の覚書-はやて「5と10日ってゴト日やん…売掛金回収や納品やあるまいし…」

写経屋の覚書-なのは「というわけで次の更新は明日5日だよ」
写経屋の覚書-はやて「前回は、林とか柳とか南とか桂のように、内地人式に読み替えることができる姓を持っている人の設定創氏って、内地人式にカウントするんかどうか?って話で、獄長も疑問にしとるってところまでやったね」

写経屋の覚書-なのは「うん。まず獄長のあげた疑問を見てね」

朝鮮人ノ氏ノ設定ニ伴フ戸籍事務取扱方ニ関スル件

さて、まずは第1の疑問。
2月1日のエントリーの実例のように、林、柳、南、桂等の姓の者が強いて同じ氏で届けた場合、「従前の姓と同一の氏」にカウントされるのか、「内地人式氏と認めらるる氏」としてカウントされるのか。

第2の疑問。
統計資料が、この規定に基づく数字であった場合、府邑面から各地方法院等に送られるタイムラグがあるのではないか。

一昨年の6月27日のエントリーの【1422】に見られるように、府邑面での取扱いがかなりいい加減なのを見ると、順調に送られていたとはとても思えず。


つまり、巷間総督府の強制により後半に「幾何級数的」に増加したと言われる、その統計数字について、「全て内地人式の創氏なのか」という点と、「戸主が届け出を行った時点でのカウントでは無いのではないか」という疑問ですね。

まぁ、件の数字の出典が何か分かりませんし、それが何を元にした数字なのかも分かりませんので、疑問を付するだけで終わってしまうんですがね。
数字の出所、誰か教えて欲しいなぁ。
( ´H`)y-~~


写経屋の覚書-フェイト「2つ疑問があるんだね」

写経屋の覚書-なのは「まず、金英達の持ってきた数字の出典は、当該書籍中に明記されているように「朝鮮総督府『第七九回(昭和十六年一二月)帝国議会説明資料』朝鮮総督府法務局「氏制度実施の状況」」と「『戸籍』(朝鮮戸籍協会)第二巻第四号(一九四二年四月)三一頁「創氏戸数及改名人員表」」なの」

写経屋の覚書-79回議会説明資料03
『第七九回(昭和十六年一二月)帝国議会説明資料』朝鮮総督府

写経屋の覚書-戸籍2巻4号31
『戸籍』朝鮮戸籍協会

写経屋の覚書-なのは「『第七九回(昭和十六年一二月)帝国議会説明資料』をこれ以降は『第79回議会説明資料』と呼ぶね」

写経屋の覚書-フェイト「『第79回議会説明資料』も『戸籍』も同じ数字だね。引用元は同じってことかな?」

写経屋の覚書-なのは「そう考えるのが妥当だよね…でも「何を元にした数字」かはやっぱり分からないの」

写経屋の覚書-はやて「獄長と(おんな)しで、朝鮮総督府の統計が元というのは分かるけど、どの時点でのカウントかは分からへんなぁ」

写経屋の覚書-なのは「でもね、獄長が疑ったように統計には疑義があるの」

写経屋の覚書-フェイト「どういうこと?」

写経屋の覚書-なのは「実は『第79回議会説明資料』の前に『第七七回(昭和十六年十一月臨時議会)帝国議会説明資料(以下『第77回説明議会史料』と呼称)』というのがあるんだけど、そこでの統計数字が『第79回議会説明資料』と食い違ってるの。まず『第79回議会説明資料』の数字を再掲するね」

別表一

月別創氏件数表 
2月(11日以降)15,746
3月45,833
4月95,495
5月343,766
6月580,724
7月1,071,829
8月(10日迄)1,067,300
3,220,693

別表二
道名創氏戸数実在戸数割合
京畿道339,679428,0390.794
江原道238,903280,6990.851
忠清南道217,069259,4440.836
忠清北道127,262180,5070.704
咸鏡南道217,215260,1860.834
咸鏡北道118,445182,6090.648
平安南道184,717238,9070.773
平安北道244,695284,7460.859
黄海道235,259303,5870.774
慶尚南道354,607420,5650.843
慶尚北道383,437462,5800.828
全羅南道344,900426,7680.808
全羅北道214,505280,2880.765
3,220,6934,008,9250.803

 備考
  一、実在戸籍数は戸主の所在不明、戸主相続人なきもの又は絶家手続未済等創氏を為す能はざる戸籍を除きたる数なり

写経屋の覚書-なのは「次は『77回議会資料』だよ」

写経屋の覚書-77回議会説明資料2

別表一

月別創氏件数表 
2月(11日以降)15,746
3月45,833
4月95,495
5月343,766
6月580,724
7月1,071,829
8月(10日迄)1,075,538
3,228,931

別表二
道名創氏戸数実在戸数割合
京畿道337,978428,0390.790
江原道238,475280,6990.850
忠清南道219,079259,4440.844
忠清北道127,249180,5070.705
咸鏡南道217,172260,1860.835
咸鏡北道117,985182,6090.646
平安南道184,677238,9070.773
平安北道248,720284,7460.873
黄海道236,522303,5870.780
慶尚南道354,508420,5650.843
慶尚北道387,419462,5800.838
全羅南道344,753426,7680.808
全羅北道214,394280,2880.765
3,228,9314,008,9250.805

 備考
  一、実在戸籍数は戸主の所在不明、戸主相続人なきもの又は絶家手続未済等創氏を為す能はざる戸籍を除きたる数なり

写経屋の覚書-フェイト「あれ?別表一の『月別創氏件数表』が『第79回議会説明資料』だと合計3,220,693件となっているのに、『第77回議会説明資料』だと3,228,931件になってる」

写経屋の覚書-はやて「なんでこんなに違うんやろ?」

写経屋の覚書-なのは「それについては次回突っ込んで見てみるね」

林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(1)
林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(2)
写経屋の覚書-フェイト「今回は、林、柳、南、桂等の姓の人が、その姓を氏として届け出たのを受理した例を獄長日記で見るんだったよね」

写経屋の覚書-なのは「うん、この参考エントリーを見て。画像は省略するけどね」

林、柳、南、桂等の姓を有する者

ということで、金英達の記述からは赤太字部分が抜けており、「戸主の姓をそのまま氏とする創氏届について、強いて届け出られた場合受け付けますが、何か?( ´H`)y-~~」という話になりました。

ここまでが既出の部分。
以下、追補部分。

< 林さんの場合 >
(1940年(昭和15年)8月31日朝鮮総督府官報第4085号より)
  昭和15年6月…(中略)…同月29日…(中略)…朝鮮総督府郡守林龍俊は林、…(中略)…と孰も創氏したり。

ってことで、林さんが林と創氏。

< 柳さんの場合 >
(1940年(昭和15年)8月3日朝鮮総督府官報第4061号より)
  …(前略)…7月5日同柳時煥は柳、…(中略)…と孰も創氏したり。

ってことで、柳さんが柳と創氏。
ちなみに、前半部には林鳳爟さんが林と創氏してますね。

< 南さんの場合 >
(1940年(昭和15年)6月17日朝鮮総督府官報第4020号より)
  …(前略)…5月21日同南啓龍は南と創氏し…(後略)…

ってことで、南さんが南と創氏。

< 桂さんの場合 >
(1940年(昭和15年)6月24日朝鮮総督府官報第4026号より)
  …(前略)…5月7日朝鮮総督府郡守桂燦謙は桂と創氏し、同1日謙一と改名、…(後略)…

ってことで、桂さんが桂と創氏。

まぁ、官報から拾っていますので、上記いずれの場合も官吏の創氏についてですけどね。
ついでにおまけ。

< 呉さんの場合 >
(1940年(昭和15年)9月19日朝鮮総督府官報第4101号より)
  昭和15年…(中略)…4月12日朝鮮総督府郡守南振祐は南、…(中略)…8月…(中略)…9日…(中略)…朝鮮総督府司税官呉鍾洙は呉、…(中略)…と孰も創氏したり。

呉さんでも呉と設定創氏してるんですねぇ。

ってことで、「林、柳、南、桂、呉」等の姓について、「戸主の姓をそのまま氏とする創氏届は必要ない」けども、強いて届出がされれば受け付けるし、「戸籍窓口の実際においては、そうした創氏届は受理しなかったことが推測される。」についても、戸籍窓口の実際においても受理されてますよ、という話。

勿論、『朝鮮戸籍及寄留例規』の当該記述を根拠とした「ということは、事実上、設定創氏は日本風の氏の設定に限定されていたのである。」は間違いだよね、と。


写経屋の覚書-はやて「みんなちゃんと受理しとんねんなぁ。そやけど、これらは朝鮮総督府の官吏のケースやろ。民間人のケースはわからへんのかな?」

写経屋の覚書-なのは「民間人についてもちゃんと受理しているんだよ。官報の広告欄には商業登記の変更などが載ってるんで、そこを調査したらこんな結果になったんだ」

<林さんの場合>

写経屋の覚書-林19400625

昭和15年6月25日
理事林明珣は氏設定に伴ひ昭和拾五年四月拾壹日其の氏名を林忠正と変更す
 *6月24日官報では、彙報官庁事項の官吏欄で総督府郡守として改名の記載あり

写経屋の覚書-林19400705

昭和15年7月5日
理事林文碩は氏設定に伴ひ昭和拾五年四月五日其氏名を林文茂と変更す

写経屋の覚書-林19400713

昭和15年7月13日
組合長林基台は昭和拾五年五月参拾壹日氏を「林」と設定し(後略)

写経屋の覚書-林19400716

昭和15年7月16日
監事林鳳吉は昭和拾五年参月貮拾日氏設定昭和拾五年参月拾四日改名に因り氏名を左の通変更す 監事 林勇一郎

写経屋の覚書-林19400718

昭和15年7月18日
理事林斗承は昭和拾五年六月拾九日創氏改名に依り氏名を林繁盛と変更

写経屋の覚書-林19401011

昭和15年10月11日
監事林興善は昭和拾五年八月七日氏創定に依り氏名を林興善と変更す

<呉さんの場合>

写経屋の覚書-呉19400705

昭和15年7月5日
前同監事呉秉根は昭和拾五年五月貮拾八日創氏参拾壹日改名に因り氏名を「呉秀吉」と変更す

<柳さんの場合>

写経屋の覚書-柳19401003

昭和15年10月3日付官報
歙谷金融組合監事柳尚恩は昭和拾五年七月参拾日創氏及改名に因り柳模太郎と変更す

<南さんの場合>

写経屋の覚書-南19401011

昭和15年10月11日付官報
監事南万于は昭和拾五年七月弐拾七日氏を南と(中略)夫夫設定す

写経屋の覚書-はやて「ほんまや、ちゃんと受理されとる……あ、獄長が金英達にツッコミも入れてないっていうてた宮田節子なんやけど、こんなこと言うとったで」

梁 ナムさんという人がみなみでいけるからと言って届けたら、朝鮮総督と同じだから断られたというのはあります。
宮田 それは、おかしな話ですね。そういう場合は、あえて氏設定届を出すまでもないが、しいて申請する場合は受理せざるをえないというのが総督府の態度でしたから。
              『創氏改名』(宮田節子・金英達・梁泰昊)明石書店

写経屋の覚書-フェイト「…一応否定しているのかなぁ?でも、もっとはっきりと金英達に言わないとダメだよね…で、こういった内地人式に読み替えることができる氏の設定って、内地人式にカウントするのかな?」

写経屋の覚書-なのは「実はね、獄長もそのへんを疑問に思っているんだよ。でも、今回はここまでにして、次回触れることにするね」

林、柳、南、桂等の姓と設定創氏(1)