写経屋の覚書-なのは「今回は、以前にふれたベセルの死亡についての続きだよ」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、6月25日の『ベセルの死(1)』だったね」

写経屋の覚書-なのは「最後に『…実は続きがあるの。いつやるかわからないんだけどね…」って言ってたよね。もう一度、獄長日記の『再びベセル』を見てね」

元北朝鮮の副首相であり、生涯にただ一つ書いた未完の長編『林巨正』によって、朝鮮近代文学史に名を残した、洪命憙(ホン・ミョンヒ)。
彼がベセルの死に際し、1909年6月「大韓興学報」第4号において、「吊裴公文」という漢詩を送っているらしい。
一度読んでみたいものである。

写経屋の覚書-はやて「裴公を吊るす?三角帽子かぶせて後ろ手に捩じあげて晒しものにして自己批判させるん?」

写経屋の覚書-なのは「文革の吊るし上げじゃないってw これは『とむらう』と読むの。康煕辞典には弔の俗字として載ってるよ」

写経屋の覚書-フェイト「それで、何を見るの?」

写経屋の覚書-なのは「獄長が読みたいって言ってるこの『吊裴公文』って漢詩を見つけたから紹介してみるの」

写経屋の覚書-はやて「ってことは、掲載されとる『大韓興学報』の第4号を見つけたんやね」

写経屋の覚書-なのは「半年くらい前かな?書庫出庫待ちの時間つぶしに読んでた『韓国「併合」期警察資料1』(松田利彦監修 ゆまに書房)に、内部警務局が『大韓興学報』第4号掲載のベセル追悼文を日本語訳したものが載ってたから複写しておいたんだよ。でもね…」

写経屋の覚書-フェイト「でも?」

写経屋の覚書-なのは「『輓裴公文(姜邁)』と『追悼裴公文(崔浩喜)』の日本語訳、『裴公(ベツセル)を吊ふ文』『裴公を追悼する文』は全文載ってるんだけど、漢詩のほうは『(右の外裴公を吊ふの詩十余種を掲けたり)』って省略されてるんだよね…」

写経屋の覚書-はやて「あかんやん!ほんで、まさかそのままほったらかしいうわけやないやろね」

写経屋の覚書-なのは「そ、そこはだいじょうぶだよ。8月に『大韓興学報 上』(韓国学文献研究所編 亜細亜文化社)に原文が載ってたのを複写してきたからね」

写経屋の覚書-大韓興学報第4号_2
写経屋の覚書-大韓興学報第4号_3
写経屋の覚書-大韓興学報第4号_46
写経屋の覚書-大韓興学報第4号_47

写経屋の覚書-フェイト「洪命憙の『吊裴公文』は…あったあった。えーっと、一句が七文字だから七言だけど…句数が律詩でもないし絶句でもないよ?」

写経屋の覚書-なのは「古体詩ってやつだね。じゃ、洪命憙の漢詩だけテキストに起こすね」

  吊裴公文     欲愚生 洪命憙
歳在己酉月維呉暮春 代謝景物好生感人 嗚呼裴公奄与世辞 薪已窮矣火将安之 窮泉窅々大塊茫々 一聆公訃我心孔傷 欲祖其行遥酹一觴 附大蔑小挙世皆然 国異民殊人情恝然 唯我裴公麾介超然 爰将白面尽瘁青邱 日邁月徂屡易春秋 不顧孤々欲折狂瀾 迺筆迺口晨夕麾安 董生可畏行人寔難 余於疇昔呼公以愚 人畏公直我愛公愚 愚哉々々匪公誰愚 深目一閉其愚巳遐 公志不了人多咨嗟 余之弔公弔公之愚 霊而有知昭余之愚

写経屋の覚書-なのは「この詩が漢詩としてどの程度の水準にあるかまでは、作者も不案内だし、踏み込まないよ」

写経屋の覚書-フェイト「ひょっとして、今回はこれだけ?」

写経屋の覚書-なのは「うん。獄長が見たいっていうから、いったいどんなものなのかな?って興味を持ったのがきっかけだしね」

写経屋の覚書-はやて「…もっとも、獄長がここを読んでくれるかどうかわからへんねんけどね…」

ベセルの死(1)

写経屋の覚書-なのは「今回はね、予定を変更して前回の内容の補足をするの」

写経屋の覚書-フェイト「何か訂正とかあったの?」

写経屋の覚書-なのは「うん。前回考察した、北斗星の2番目の投稿テキスト――便宜上Bって言ってたやつね――について、新しい材料が出てきたんだよ」

写経屋の覚書-はやて「っちゅうことは、南十字星(石田清史)と北斗星が同一人物かどうかっちゅう話に影響してくるんかな?」

写経屋の覚書-なのは「んー、それはどうかなぁ…とにかく、新しい素材について見ていくよ。『Yahoo!知恵袋』に2008年7月29日に投稿されたものがとっかかりになるの」

『朝鮮進駐軍』とはどの様な軍隊なのですか?

kuwanakuwanaaさん

『朝鮮進駐軍』とはどの様な軍隊なのですか?

下記の知恵袋の回答者さんのコメントの中にあったので質問させていただきました。

民主党鳩山由紀夫の父、一郎は、列車内で朝鮮人の暴行を受けている。

www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak1/120616.htm

其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に對する傷害事件がある
翁が軽井澤の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に乗って居たら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢切符も買はずに押し入って來て、

俺達は戦勝國民だ、おまへら被支配者の敗戦國民が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、此車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!

と追ひ立てた
其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのにそりゃおかしい、

と一乗客として穏やかに抗議したら、忽ち飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした
幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷高だかになった。

質問日時:2008/7/29 21:54:37
解決日時:2008/8/13 03:58:40

写経屋の覚書-フェイト「鳩山一郎の話?テキストBにも出てきたよね」

写経屋の覚書-なのは「ここで大事なのはそこじゃなくて、文中に出てくるURLなの。そこにいくとこんな文章があるんだよ」

208.三国人の暴行について

皆様おはようございます。富山は朝から雨です。

私が昨年来参加しているMLに五百羅漢ネットワークというMLがあります。
ここで今朝配信された「三国人の暴行」という記事には、これまで日本人が朝鮮人問題をかたる際に抑えに抑えてきた真実の言葉が掲載されている気がしましたので、皆様にも読んでいただき、昨今の三国人発言問題の整理をしていただこうと思いました。

ここで語られていることが事実であるという証拠を私はもっておりませんが、私にはとても重たい言葉に受け取られました。昨今 「不法滞在外国人」による犯罪の多発(?)が論議されておりますが、たとえ戦後のどさくさにおきた事件であるとはいえ、この日本においてもこのような無道が起こりえるということは肝に銘じておくべきではないでしょうか。
もちろん私の事実誤認や勘違いなどあればどうぞご指摘ください。

得丸久文(鷹揚の会)
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以下GNP02953を全文転載
著者:南十字星
Subject: [gnp:02953] 三國人の暴行
Date:Fri, 9 Jun 2000 00:31:32 +0900

御健やかに御活躍にてや

表題の件に付ては既に一通り書いたつもりであったが、本日郷土葛飾に赴いたところ、老人達が本件を論じてゐた 中にも地方議員の七十翁の回顧は愚生の筆より数段迫力有りし故、(帰宅早々、記憶により再現し)記して御参考に資せむとするものである

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終戦後の第三國人どもは本當に酷かった軍の兵器を盗んで來たらしく、三十八式歩兵銃や拳銃で武装し、銃には着剣して強盗強姦、時には殺人まで重ねてゐた

銀座浅草新宿は朝鮮人、澁谷は臺湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いてゐた
食管法は朝鮮人には適用されなかった だから彼等は堂々と闇商賣を行ひ、派手に稼いでゐた そりゃ儲かるだらう 取締を横目に犯罪のし放題なのだから
東京東部(中心地)北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆ゐなくなった
當時、あの辺は畜力として農耕牛を使ってゐたが、深夜、不逞鮮人が侵入して盗み出し、河原へ牽いて行って塗擦した 牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが銃砲刀剣で武装してゐるので追ふ訳には行かなかった 永年愛育し、慈しんだ牛が悲しさうに泣きながら引き出され殺されるのは無念で耐え難かったがどうにも出來なかった
斯うして流域一帯の牛は皆、不逞鮮人に盗まれ、殺され、闇市で賣られた 關東から、牛はゐなくなった

家畜相手ならまだしも、人間に對しても、關東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つやうな勢で数多犯罪を重ねた
其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に對する傷害事件がある
翁が軽井澤の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に乗って居たら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢切符も買はずに押し入って來て、俺達は戦勝國民だ、おまへら被支配者の敗戦國民が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、此車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!と追ひ立てた
其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、忽ち飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした 幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷高だか忘れたが、血に塗れた顔で帰京した
年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、如何に不出來でも 孫共は其を知らんのだらう

直後に總理大臣に成る程の大物でも如斯 況や庶民に於てをや 土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 殊には、空襲や疎開で一時的に空いて飽いてゐる土地が片端から強奪された

堪りかねた警察が密かにやくざに頼み込み、「濱松大戦争」になった

其で米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担當してゐた米第八軍司令官アイケルバーガー中將が、關東と言はず關西と言はず、不逞鮮人活動地域に大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機關銃を構へて不逞鮮人にピタリと狙ひをつけ、漸く鎮圧した 此時聯合國軍總司令官ダグラス・マックアーサー元帥の發した布告が、「朝鮮人等は戦勝國民に非ず、第三國人なり」と言ふ声明で、此ぞ「第三國人」なる語のおこりである

だから、外國人差別用語な筈は無い 彼等自身、マックアーサー元帥以下、一人残らず皆、外國人ではないか
聯合國軍總司令官は、本國や同盟國、對日理事會や極東委員會に氣を遣はねばならぬ外交センスの要る役職であった 何人にもせよ、敗戦國民以外を、声名發して迄差別なんぞする筈が無い
「第三國人」の語は、國際法に則って説いた専門、技術用語に過ぎない

近頃の報道人は歳も若く、當時の経緯や語感が判らないのだらう
知合ひの報道人幾人かに電話して、テレヴィにでも新聞にでも出て歴史の眞實を話して進ぜやうと申入れたら、皆、検討させて下さい、と逃げてしまった 眞面目に報道する氣は無いのかの

あんた、パソコン通信を遣って居られるさうぢゃが、インターネットとやらは随分と情報發信出來て、幾百萬人が見ると聞く 一つ満天下の正義の為に發信して下さらんか

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(Fのコメント)
本当に、戦後の混乱期を知っている老人も少なくなってきましたので早く、このような情報は収拾する必要がありますね。
昭和史研究会の中村先生、お願いします。

写経屋の覚書-はやて「南十字星の文章を記載したメルマガを配信された得丸久文が、それを転載したんやな。要するに南十字星の投稿やね」

写経屋の覚書-フェイト「内容はテキストBだね…あれ?他のBより短いよ。文章自体は同じだけど、いろいろ省かれてる!」

写経屋の覚書-なのは「うん。それが重要な問題なんだけど、詳しくは次回以降で各テキストの校合をするときに取り上げるよ。Bの投稿を時系列順に整理するとこうなるの」

2000年6月 9日:南十字星 五百羅漢ネットワーク・プロジェクト
2000年6月21日:南十字星 伊勢メルマガ
2000年7月10日:北斗星  日本会議宮城県本部

写経屋の覚書-はやて「Bの初出は6月9日の五百羅漢とみてええんやね。内容的にも一番シンプルな形やし」

写経屋の覚書-なのは「後発のほうが加筆で分量が増えるっていうのが常識的な見方だしね。そういうわけで、南十字星つまり石田清史は、五百羅漢に投稿した後、大幅に加筆して伊勢メルマガに投稿したってことは確実に言えるよね」

写経屋の覚書-フェイト「南十字星と北斗星が同一人物なら、その後さらに日本会議に投稿したことになるんだね。違う人物なら、北斗星が南十字星の投稿を盗用したことになるよね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。実は伊勢メルマガのBと日本会議のBには相違点が一つだけあるの」

写経屋の覚書-フェイト写経屋の覚書-はやて「相違点?」

写経屋の覚書-なのは「伊勢メルマガのBには『或日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、其切り警察は消滅する 七百萬の大軍を擁した彼の帝國陸海軍ですら、左様にして両總長 両大臣以下、自然廃官になった』という一節が無いの」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは2人が違う人物なら、北斗星が盗用時にこれを書き加えたことになるんだね」

写経屋の覚書-はやて「せやけど、パクんのにわざわざそんな手間かけるかなぁ。パクったんがばれへんようにするんやったら、単語や助詞を替えたり、内容に大きな変化の出ない範囲で削ったり、文章の順序を入れ替えたりするんちゃう?」

写経屋の覚書-なのは「そうだよね。そういうわけで同一人物説に影響はないと考えるの。で、Bについてさっき挙げたような展開がみられるなら、Aにもそれが当てはまるんじゃないかなって思うんだよ。こんなふうに」

2000年4月10日~30日のどこか:南十字星 五百羅漢ネットワーク・プロジェクト
2000年4月10日~30日のどこか:南十字星 伊勢メルマガ
2000年4月30日:北斗星  日本会議宮城県本部

写経屋の覚書-フェイト「前回に私が、Bが『表題の件に付ては既に一通り書き終えた心算であったが』から始まってるから、Aの続きとして書いてる形式だねって言ったんだけど、やっぱり五百羅漢・伊勢メルマガにもBに先行するAが存在したと考えるのが自然じゃないかってことだね」

写経屋の覚書-はやて「なるほどなぁ。存在しとったら、発端になった石原都知事の『三国人』発言の報道があった4月10日から日本会議投稿の30日までの間に投稿されたことになるわけやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。だから『朝鮮進駐軍』の初出は現在ネット上で確認できる限りでは2000年4月30日、日本会議宮城県本部HP掲示板への北斗星の投稿。だけど2000年4月10日から30日のどこかで五百羅漢ネットワーク・プロジェクトか伊勢メルマガへの南十字星つまり石田清史の投稿である蓋然性が高い、って結論するね」

写経屋の覚書-フェイト「じゃ、いちおうこれで初出についての考察はおしまいだね」

写経屋の覚書-なのは「うん。今回はここまでにするね。次回からは別視点からの考察に移るよ…いつ取り掛かるかわからないけどね」

疑問
映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)
『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
写経屋の覚書-なのは「せっかくだし、今日はエントリーを2つアップするよ。当然『朝鮮進駐軍』の初出について見ていく続きなんだけど、フェイトちゃん、前回の内容をおさらいして」

写経屋の覚書-フェイト「う、うん。まず『朝鮮進駐軍』の初出は2000年4月30日の日本会議宮城県本部HPの掲示板に北斗星名義で書きこまれたもの。その北斗星が7月10日に追加を書きこんだ。でもその内容は6月21日にメルマガ『JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル No184』掲載の南十字星という人のものと同じ文章だった。南十字星と北斗星の関係は?ってところまでだったよね?」

写経屋の覚書-はやて「北斗星と南十字星が同一人物なんか別人なんかいうことが、まず考えなあかんとこちゃう?」

写経屋の覚書-なのは「じゃ、まず同一人物と仮定して考えてみよっか。最初の投稿内容をA、2回目の投稿内容をBとするとこうなるよね」

2000年4月30日:A 北斗星  日本会議宮城県本部
2000年6月21日:B 南十字星 伊勢メルマガ
2000年7月10日:B 北斗星  日本会議宮城県本部

写経屋の覚書-はやて「北斗星と南十字星でHNも対応しとるなぁ。まず4月30日に北斗星名義で日本会議に投稿し、6月21日までにその続きを南十字星名義でメルマガへ投稿、それを更に7月10日に北斗星名義で日本会議に投稿ってことやな。順番として矛盾はなさそうやけどね」

写経屋の覚書-フェイト「Bが『表題の件に付ては既に一通り書き終えた心算であったが』から始まってるから、Aの続きとして書いてる形式だね。だから順番としてはA→Bだしね。あれ?」

写経屋の覚書-はやて「ん?なんかおかしいん?」

写経屋の覚書-フェイト「メルマガの方にはAを投稿していないよ?少なくとも6月21日までにAも投稿してないと不自然だよね。Bだけ投稿するっておかしくないかな?」

写経屋の覚書-なのは「正確に言うと、この投稿の発端となっている石原都知事の『三国人』発言問題が4月10日に報道されたから、4月10日から6月21日の間のメルマガにAが出てないと不自然なんだよ」

写経屋の覚書-はやて「なんでそんな不自然なことになったんやろ?」

写経屋の覚書-なのは「うーん…Aをメルマガのほうにも投稿したけど編集長の伊勢雅臣が採用しなかったか載せ忘れたか、あるいは北斗星(南十字星)が不自然な行為とは思わないでBを日本会議・メルマガの順に投稿したか、そもそもAをメルマガの方には投稿したつもりでしてなかったとか…少し苦しいかなぁ」

写経屋の覚書-はやて「同一人物と(ちゃ)うとしたら、どっちかがパクって投稿したんかな。せやけど、南十字星が北斗星をパクるいうんは無理やで。南十字星が先にBを書いとるしね」

写経屋の覚書-フェイト「ってことは、北斗星がAを書いたあと南十字星のBを盗用したのかな?物理的には可能だけど、南十字星にはBに先行するべきAの投稿が無いから、やっぱりこれも不自然じゃないかな。それと北斗星の投稿が先だから南十字星を真似てそう名乗るのは不可能だよね」

写経屋の覚書-はやて「南十字星が北斗星のAに乗っかってその続きという体裁でBを投稿し、今度は北斗星が南十字星のBをパクって投稿したとか…なんぼなんでもちょっとあり得へんかw」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよねぇ…別人説には同一人物説以上の無理があるんだよ。そういうわけで、ここからは同一人物説を前提にして話を進めるよ」

写経屋の覚書-はやて「せやけど、こいつ一体何者なん?」

写経屋の覚書-なのは「それを探るヒントはやっぱり伊勢雅臣のメルマガにあるんだ。『JOG Wing 国際派日本人のための情報ファイル』の2000年5月2日付配信のNo.163『併合と植民地化の違い』にこんな一節があるの」

写経屋の覚書-0502石田清史

おや、と思ったのは、今日の「歴史的常識」から言えば、韓国人達は独立を奪った日本を恨んでいたはず。それが独立国であった頃の韓国旗を振って、昭和天皇に万歳では、「常識」にあわないのではないでしょうか。この件に関して、南十字星さんから、懇切なるご指摘をいただきましたので、一部をご紹介させていただきます。

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                      石田清史さんより

 當時、併合は世界の流行で、弱小後發の諸國、諸民族にとって、希望に満ちた明るい進路だったのです。此事は近頃すっかり忘れられてゐます。
(後略)

写経屋の覚書-フェイト「南十字星の本名は『石田清史』ってことになるね。このメルマガには何回か投稿しているみたいだよ」

写経屋の覚書-なのは「石田というのも仮名じゃないかという疑いはあり得るけど、それは措くとして、他の投稿内容からも見るとある程度の法学の知識があって、1930年代後半から40年代前半の生まれっぽいんだけどねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「グーグル先生に訊いたら、苫小牧駒澤大学の法制史学者が出てきたけど、これは(ちゃ)うん(ちゃ)う?んー…中央大学弁論部『辞達学会』OB会への投稿者にもおるけど、投稿内容を見たらどうやらこの人(ちゃ)うかな。それやったら中央大学卒業で辞達学会に入部しとったことになるで。『52卒』が大学第52期卒業生を指すんか、1952年度卒業生を指すんかはわからんけど…後者はなさそうかな。西暦とか嫌いそうやもんw」

写経屋の覚書-フェイト「ともかく、現時点での結論としては、『朝鮮進駐軍』という言葉は、2000年4月30日に『石田清史』によって初めてネット上に登場した、ってことだね」

写経屋の覚書-なのは「うん。これより古い用例があれば変わってくるけど、あくまでも現時点での結論なの。次回からは『朝鮮進駐軍』言説の展開について見ていくことにするね」

疑問
映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)