写経屋の覚書-フェイト「前回の最後で言ったとおり、今回は『駅屯土』の話だよね」

写経屋の覚書-なのは「うん。その『駅屯土』の処分についてなんだけど…」

写経屋の覚書-はやて「どないしたん?考え込んでしもて」

写経屋の覚書-なのは「いきなり『駅屯土』って言ったって、何のことか分かる人がそうそういるとは思えないの…どこから説明すればいいかな?」

写経屋の覚書-フェイト「それじゃぁ、まるっきり最初からやったらどうかな?」

写経屋の覚書-なのは「そうだね。じゃ、駅屯土の前にまず駅について説明するよ。参考エントリーの『国有地の紛糾(八)』をぜひ読んでね」

写経屋の覚書-はやて「って、いきなり丸投げかい!」

写経屋の覚書-なのは「だって、作者の手元にある『朝鮮土地調査事業報告書』と、獄長が『国有地の紛糾(一)』以降で取り上げているアジア歴史資料センターの『朝鮮ノ土地制度及地税制度調査報告書(レファレンスコード:A06032020900)』が内容かぶっているし」

写経屋の覚書-フェイト「どういうこと?」

写経屋の覚書-なのは「臨時土地調査局が大正7(1918)年11月に出した『朝鮮土地調査事業報告書』の文章の多くが、朝鮮総督府が大正9(1920)年1月に出した『朝鮮ノ土地制度及地税制度調査報告書』に転載されてるんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「だから、獄長日記のエントリーを読むほうが早いってことなんだね。でも『駅』って鉄道の停車場のことじゃないの?」

写経屋の覚書-なのは「本来は違うんだよ、フェイトちゃん。古代中国や律令制日本の交通・通信制度で、日本の大宝令の規程を例にとると、中央政府の重要・緊急の要件で使者・官吏が利用する駅制と、急がない要件や地方行政にかかわる官吏が利用する伝馬制を合わせて駅伝制っていうの。決まった距離ごとに馬を備えた駅舎を置いて、使者は駅から駅へ馬を乗り継いで移動したり、駅ごとに使者が交代してリレー形式でつないでいったりするの」

写経屋の覚書-はやて「リレー形式なぁ…あ!陸上競技の長距離リレーを駅伝いうんは、それから来とるんか!」

写経屋の覚書-なのは「うん、正解。明治時代になって、新しい通信運搬手段である鉄道が導入されたときに『駅』を鉄道停車場の意味として転用したんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「へー。そんな由来があったんだ」

写経屋の覚書-なのは「で、李朝にも『駅站の制』があって、その駅の運営管理費用を捻出するために設置されたのが駅土なの。せっかくだし『李朝時代の財政』(友邦協会)のp82から駅と駅土の説明を引用しておくね」

         第三節 駅土
 駅とは公文書の逓伝・官物の運輸・公務をおびる官吏の往来宿泊等を便ずるために設けられた交通運輸機関で、いうまでもなく、政府の施設にかかる官衙の一つである。これまた唐制にならつたもので、新羅炤智王九年(487)、四方に郵駅を置き、有司に命じて官道を治めさせたのを、朝鮮における駅の初めとする。
 駅土とは、駅の公費及び駅員の給料を支弁するために設けられた田を称し、高麗建国の初め、全国の路駅を大・中・小の三等に分け、五百四十七駅を設けて、兵部に管轄させ、駅丞の下に駅長、駅丁を置き、軍事上の公文書を伝達させ、公須田・長田・紙位田・馬田等を設けて経費の支弁に供した。
 然るにその末葉に至り、駅土は権門・豪族のために占奪せられ、駅馬は私人の乱騎に供せられ、駅戸は流亡し、駅土はその大半が私田と化したのである。
 李朝もまた国初、高麗朝の駅制を踏襲してその制度を定めたが、高麗朝の弊害に鑑みて、適材の駅丞を選抜任用し、駅戸の流亡者を招いて役に復させた。次いで世祖三年(1458)、全国の駅数を五百三十八とし、駅丞を「察訪」と改め、四十名の察訪を全国に配置して各駅の管理を分担させ、公須田・長田・副長田・急走田・院主田・站衙禄田等を設けて、その経費支弁に充て、それ以来、始めて駅制の完備を見るに至つた。「経国大典」に規定するところは左の通りである。

駅公須田大路二十結  黄海道は二十五結を加え、平安
  咸鏡二道には十結を加える。
中路十五結  平安・咸鏡二道には七結を加える。
小路 五結  平安・咸鏡二道には三結を加える。
駅長田二結 
副長田一結五十負 
急走田五十負  緊路(交通の要衝地点)には五十負を加える。
大馬田七結  緊路には一結を加える。
中馬田五結五十負  緊路には五十負を加える。
小馬田四結  緊路には五十負を加える。
院主田大路一結三十五負 
中路  九十負 
小路 四十五負 
站衙禄田五結 
 駅公須田は、官吏宿泊時の供膳接待費に充てられ、馬田は駅馬の飼養料、長田・副長田・急走田は、駅長・副駅長・急走通報者の給料、站衙禄田=(站=公務を帯びた急行旅行者その他の便宜に供するため、要駅間に設けられた建物)は、站衙員の手当、院主田(院=交通の要衝ではあるが人煙まれな地に建てられ行旅者の便宜に供する)―(主=院の管理に当る=地方民)は、院の経費に充てられる。これらの駅土は、駅の付近における肥沃の地が充てられ、他の田土と同じく田品(田の等級)を六等に分けているが、収租率やや低く、地勢の変化によつて定額に不足を生じた場合には、廃寺の田及び属公田(犯罪その他の事由よりに政府に還付又は没収された田)をもつてこれに補充することに定められていた。
 その後百三十余年を経て宣祖壬辰の役(文禄の役・1592)に遇い、人民は離散し、諸制度は弛緩したため、これらの田土は個人の私田と化し、察訪(駅長官)・駅吏はまた、駅田の名を籍りて附近の民田を掠奪して私腹を肥やし、高麗末の轍をふむことその後三百年に及び、駅制は全く廃壊した。
 ここにおいて、李太王(高宗)三十二年(明治28)、駅・院・站を廃して郵逓司を置き、駅土を軍部の所属にした。次いで、度支部・宮内府・内蔵院に転属し、その後、他の屯土及び牧場土と同じく、一般国有地に編入された。
 光武四年(明治33)内蔵院の調査による「全国駅土斗落賭税表」には、総面積水田二十六万一千二百斗落・旱田二十六万二千九百日耕と記されている。

写経屋の覚書-はやて「え?駅屯土やのおて駅土?」

写経屋の覚書-なのは「そこは今説明するからちょっと待ってね。結局、駅は『国有地の紛糾(八)』にもあるように廃止されて、『驛屯土管理規程』にあるように、屯土、宮庄地、陵園墓附属地といった土地と合わせて最終的には国有地になるの。で、それらの国有地を『駅屯土』って総称して、小作契約の対象にもなるの」

写経屋の覚書-フェイト「小作?一般人に貸して小作料をとるってことなんだね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。ちなみに『朝鮮ノ土地制度及地税制度調査報告書』と『朝鮮土地調査事業報告書』については、これ以降のエントリーでも取り上げることになると思うの」

写経屋の覚書-はやて「作者もネタの宝庫が確保できたいうて喜んどるで」

写経屋の覚書-なのは「ここまでが、李朝・大韓帝国でのざっとした流れなの。で、総督府時代になって国有地の払下げみたいな処分をやるんだけど、駅屯土もその対象に入ってくるの」

写経屋の覚書-フェイト「その規程や処分について見ていくんだね」

写経屋の覚書-なのは「うん。朝鮮総督府が駅屯土の払い下げや貸与をする際の規程について見ていくんだけど、とりあえず今回はここまでにするね」
写経屋の覚書-なのは「今回はね、朝鮮の土地に関する伝統的な慣習について見ていくよ」

写経屋の覚書-はやて「エンコリのスレでは第6回でやったやつやね」

写経屋の覚書-フェイト「じゃぁ、獄長日記の参考エントリーはないのかな?」

写経屋の覚書-なのは「うん。今回のネタ元は統監府が出した『慣習調査報告書 韓国最近事情一覧』なの。まずは122ページを見て」

写経屋の覚書-慣習報告第34問_122
写経屋の覚書-慣習報告第34問_123


第三十四 地上権に関する慣習如何
  地上権又は之に類する権利ありとせは其目的如何(中略)
家屋其他の建物を所有するための借地は契約に因るものなるも十数年前まては無断にて他人の地所に家屋を建造する者往往にしてあり既に建築に著手したる以上は所有者は如何ともするに由なかりしと云ふ是れ第二十五問に記したる「給造家地」の規定並に造家地に付ての慣習に孕胎したる悪習にして之かため他人の土地に家屋を建築したる者は其土地の所有権を獲得するものの如く誤解せられたり(後略)

写経屋の覚書-フェイト「無断で他人の土地に家を建てても、土地の所有者はどうしようもないって…」

写経屋の覚書-はやて「ん?獄長がエンコリでこの手の史料をあげてたような記憶があるんやけどなぁ…それはともかく、むちゃくちゃな慣習やけども根拠っぽいものがあるみたいやね」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。で、根拠として書かれている『第二十五問に記したる「給造家地」の規定』については、『慣習調査報告書 韓国最近事情一覧』にこう書いてあるの」

写経屋の覚書-慣習報告第25問_75
写経屋の覚書-慣習報告第25問_76
写経屋の覚書-慣習報告第25問_77
写経屋の覚書-慣習報告第25問_78

第二十五 土地、建物の所有者は如何なる権利を有するか
  例へは政府か土地、建物等の入用ありと認めたるときは所有者の承諾なきも之を収用することを得るか若し然りとせは所有者に償金を与ふるか之を与ふるものとせは其金額は如何にして之を定むるか又土地の所有者は空中又は地下に向ひて如何なる権利を有するか例えは他人か空中又は地下に工事を施すを禁することを得るか

(前略)
また近年に至るまて家屋建設のため土地の売渡又は貸渡を求めらるるときは之を拒むことを得さる慣習ありしか今は行はれす而して此慣習は経国大典戸典給造家地の条に「京中造家地漢城府聴人状告以空地及満二年未造家之地折給若因出使外任遭喪未造家者勿聴大君公主三十負王子君翁主二十五負一二品十五負三四品十負五六品八負七品以下及有蔭子孫四負庶人二負用三等田尺」とあり大典通編に「勿論空垈及圃田許民造家本主防塞抵毀者以制書有違律論斑戸之因此図占民田対索貨賂不給貰銭(借地料)者以侵占田宅律論」とあるに基因す此他隣接地の関係として所有権に制限を受くることは次の第二十六問に記す所の如し
(後略)

写経屋の覚書-フェイト「『家を造るための土地を給付する』ってことだと理解していいんだよね。で、家を建てるという理由で土地の譲渡や貸借を要求してきたら断れないって慣習?」

写経屋の覚書-なのは「漢城の中にある家を建てられる土地で、空地や2年間家を建てていない土地を報告してきた人には、その土地を給付するってことなんだけど、これがその慣習の元ネタになっているって話なの」

写経屋の覚書-はやて「一見むちゃくちゃに見えるし実際むちゃくちゃな規定慣習やねんけど、それなりに根拠つーかネタ元はあるんやなぁ」

写経屋の覚書-なのは「それとね、『造家地に付ての慣習』についてはこういう概念もあるの」

写経屋の覚書-慣習報告第10問_40
写経屋の覚書-慣習報告第10問_41


第十 物の区別あるか
  例へは動産、不動産の別の如きもの
(前略)而して朝鮮従来の慣習として家屋と敷地とか同一所有者に属するときは家屋の譲渡又は典当は当然敷地に及ふものとせり是れ家屋と敷地と併せて売買する風習なりしより遂に家屋の売買及び典当には当然敷地を含むものと看做すに至りしものにして此点に於ては家屋を主たる物と視敷地を従たるものと視る感あり故に家屋のみを目的とし敷地を除外する売買、典当に在りては特に其旨を契約書に明記するを例としたり但光武十年十二月土地家屋証明規則の施行以来土地と家屋とは各別に証明を為すこととなりしより此慣習は漸次廃滅に帰する傾あり

写経屋の覚書-はやて「土地の上に家が建っとるんやのうて、家に土地がくっついとるちゅうような考え方なんやなぁ。このへんが日本と朝鮮の慣習・概念の違いなんやね」

写経屋の覚書-フェイト「でも、土地家屋証明規則の施行以降は廃れてきたともあるよ」

写経屋の覚書-なのは「家に土地が附随するという考え方だから、宅地である『垈』の扱いについてもいちいち細かく規定していかないといけないの。土地家屋証明規則については、獄長日記のエントリー『土地家屋証明規則』を読んでね」

写経屋の覚書-はやて「やっぱし、掘っていったら必ずどこかで獄長日記に突き当たってしまうんやなぁ。ま、そのほうがええけど」

写経屋の覚書-なのは「そういうわけで今回は土地と家屋の慣習についての史料をあげてみたんだけど、次回も土地に関する話になるからね」

写経屋の覚書-フェイト「どんな話になるの?」

写経屋の覚書-なのは「『駅屯土』についての話なんだけど、どう進めていこうかな?」

写経屋の覚書-なのは「『朝鮮進駐軍』の初出について、もうちょっとだけ絞り込めそうなんで、今回はそれを見てみるね」

写経屋の覚書-はやて「新発見があったん?」

写経屋の覚書-なのは「新発見というより、見落としていたことなんだよ。『朝鮮進駐軍』の話(4)~ネタは2つ?~のコメント欄を見て」

Commented by nanana17 さん             2010/05/25 17:58

朝鮮進駐軍という名前は、ヤクザ映画から取ってきたみたいですね。

Google先生の知ってる限りでは、「朝鮮進駐軍」に関する最も古いインターネット上の初出。

http://piza.2ch.net/log2/korea/kako/954/954988014.html のレス番35。

35 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/22(土) 14:26
先日WowWowで『残侠』という映画をみた。
はじまる前に『作品の意図を尊重して、ノーカットで放送します』と
テロップが入ったので何なのだろうと思ったらのだが、敗戦後の闇市
で朝鮮進駐軍の腕章をつけた三国人は商品略奪など非道を尽くす!
『オマエラ敗戦国民ガ、ナニイッテルカ』なんて言うは、ヤクザの
主人公は朝鮮進駐軍に連行され、拳銃つきつけられるは。
闇市世代の石原知事が三国人に対し好印象を持っていない理由がわかった。

写経屋の覚書-フェイト「あれ?でも8月25日のエントリーで見たように、『残侠』で出てきたのは『朝鮮聯盟』で、『朝鮮進駐軍』じゃなかったよね?」

写経屋の覚書-はやて「そうやんなぁ。ここで紹介されとる書き込みは間違いやで」

写経屋の覚書-なのは「でも『朝鮮進駐軍』という言葉に触れているよね。つまりこの書き込み以前に『朝鮮進駐軍』という言葉はあったと言えるんだよ」

写経屋の覚書-フェイト「この書き込みをした人が、前回なのはちゃんが存在を推測した五百羅漢か伊勢メルマガのAを見ていたってことなのかな?もし、そうだったらこうなるよね」

2000年4月10日~22日のどこか:南十字星 五百羅漢ネットワーク・プロジェクト
2000年4月10日~22日のどこか:南十字星 伊勢メルマガ
2000年4月30日:北斗星  日本会議宮城県本部

写経屋の覚書-なのは「但し、この書き込みをした人がAを見ていたかどうかは断言できないの。別の史料に拠った可能性も捨てきれないしね。それとこの書き込みをした人が『残侠』の画像を見間違えたって可能性もあるよ」

写経屋の覚書-はやて「なんにしたかて、確実な初出は4月22日に遡るちゅうことやね」

写経屋の覚書-フェイト「で、この書き込みをした人が五百羅漢を読んでいたんだったら、初出は2000年4月10日から22日のどこかで五百羅漢ネットワーク・プロジェクトか伊勢メルマガへの南十字星つまり石田清史の投稿にである蓋然性が高いってことだね」

写経屋の覚書-なのは「繰り返すけど、書き込みをした人が五百羅漢・伊勢メルマガを見ていたかどうかはわからないから、あくまでも推定だよ。今回はここまでにするね」

疑問
映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―
『朝鮮進駐軍』の初出について(1)
『朝鮮進駐軍』の初出について(2)
『朝鮮進駐軍』の初出について(3)