「今年最後のエントリーだよ。年末で忙しいから手抜きするね」
「いきなり身も蓋もないこと言うたで!w」
「それで何を見るの?」
「東学党の乱に際しての日清の対応について、原田敬一『日清・日露戦争』(シリーズ日本近現代史3 岩波新書 2007)をちょっと見るんだ」
「原田敬一?……嫌本やな」
「うん、嫌本♪ まず該当部分の画像をあげるよ」
「右側のページを読むだけでかなりアレなんだよねぇ」
「どうして?全州和約のとこかな?」
「そうじゃないの。東学党の動きに関する記述は全部旧暦で書いているって点なの。他の個所については新暦で書いているんだから、それに合わせるか、但し書きをつけなきゃダメだよ」
「あー、自分で一次史料見たんと
「そういうこと。じゃ、本文を見るよ」
五月三一日、自体は急激に動いた。朝鮮政府は清国援兵要請を決議し、翌日領議政の名で袁世凱に援兵請求の公文を伝達しようとしたが、延着する。
日本公使館の動きはいっそう素早かった。同日午後、杉村は「全州は昨日賊軍[東学農民軍]の占有に帰したり 袁世凱曰く朝鮮政府は清国の援兵を請いたりと」と打電した。二日にこれを受け取った伊藤内閣は、外国への軍隊派遣というハードルを軽々と越えた。三日前に届いていた杉村電報は、全羅道の騒動は収まりつつある、と述べていたのに、それとの矛盾を確認することもなく、この日閣議が召集され、衆議院の解散と朝鮮派兵を決議する。
「まず、「同日午後、杉村は「全州は昨日賊軍[東学農民軍]の占有に帰したり 袁世凱曰く朝鮮政府は清国の援兵を請いたりと」と打電した」ってあるのは、6月1日に駐朝鮮臨時代理公使杉村濬が発した電文のことだろうね。『日本外交文書』第27巻2冊のp155からテキストと画像を見るよ」
朝鮮国政府清国政府に援兵請求したる旨の袁世凱談話報告の件
電信訳文 六月一日京城発
東京 京城
陸奥 杉村
全州は昨日賊軍の占有に帰したり袁世凱曰く朝鮮政府は清国の援兵を請ひたりと五月二十二日附第六十三号本官の機密信を参看ありたし
「発信日がずれとるけど、内容から見たらそうやろね」
「「五月二十二日附第六十三号本官の機密信」っていうのは何なのかな?」
「それはp152に載ってる杉村から陸奥外相宛の電文なんだよ。長いけど全文引用するね」
五月二十二日 朝鮮国駐剳杉村臨時代理公使より陸奥外務大臣宛
全羅忠清両道の民乱に付鄙見上申の件
機密第六十三号本四二
五月二十八日接受
全羅忠清両道内に乱民蜂起し官吏を逐ひ城邑を屠り其勢猖獗を極むる事は追々の報告書に拠て御承知相成候義と存ず今日迄の報告に拠るに乱民の占拠若くは横行したる市邑は全羅道に在りては古阜、泰仁、扶安、金溝、井邑、高敞、茂長、羅州、咸平、務安、霊光等の各邑忠清道に在りては懐徳、鎮岑、青山、報恩、沃川、文義等の各邑に有之候へば全忠両道の凡三分一に相跨り候に付当国に取りては実に容易ならざる変乱に有之候加之近年其他の各道とも所在地方官の虐政に苦み政府を怨み動もすれば民擾を発せんとする折柄なれば全忠両道乱党の勢力如何に因ては彼等起て之に応ずるも難計左候時は京城は全く孤立の姿に陥り可申と被存候抑も当京城には新式(洋式)常備兵五千と称すれども其実数は是より減少すべく而して此等の兵卒は平生歩趨運動の訓練に止り護国の精神に至ては尋常市民に異ならず加之之を指揮する大小の隊長は大抵門地ある人々なれば唯其員に備はるのみにて平生の調練と雖も総て下士に任じ彼等自身に兵隊を指揮する例に無之由に候斯る有様なれば嚮きに派遣せられたる壮衛営の兵丁は各営中精練と称せらるゝにも拘らず彼地に至るや逃亡者日々不絶之が為めに士気沮喪し進んで乱民の鋭鋒に当ること能はず終に再び新兵を派遣する詮議に至りたるものと被推察候故に官民勝敗の境は新送兵到着の後に定まる事なれば今後三四週日内には略相決し可申万一不幸にして官軍敗続し民軍勝に乗じて北上する如きことあらば当政府には如何に処置するが予め之を今日に研究するは頗る必要と被考候鄙考には
第一策 政府は民願を容れ民望に応ぜんとの目的を以て咄嗟に内政の改革を行ひ国民が最も悪む所の弊害を除去し以て乱党を懐柔し徐々に鎮定の方法を執ること
第二策 兵を支那に借り以て乱党を勘定すること
第一策は諸大臣中二三の人是議を持するも公言を憚り上奏中陰に之を言ふものゝ如く第二策は閔泳駿主として之を唱ふるも異議多く未だ行れざるやに致漏聞候要するに第一策は目下権勢共に盛なる閔氏に不利益なれば国王の英断と雖も容易に行はるべしと思はれず之を行はんとするに閔氏を振離して之を政府外に逐出さゞる限りは其目的を達し難かるべく而して斯る大事業は韓廷諸臣の微力にて成功し能ふべしと思はれざれば今後乱民の勢力益々相募りたる暁には是非なく第二策の姑息手段を執るに立至り可申と被推察候扨支那兵が万一入韓(公然通知の手続を践み)するに至らば朝鮮将来の形勢に向て或は変化を来すも難計に付我に於ても差当り我官民保護の為め又日清両国の権衡を保つが為め民乱鎮定清兵引揚迄公使館護衛の名義に依り旧約に照し出兵可相成や又は清兵入韓候ども我政府は別に派兵の御沙汰に及ばれざるや右は大早計に似たりと雖も予て御詮議相成候様致度候尚又前陳の如く当国の形勢に異変を来したる場合に当り拙官の心得べき要項は兼て御訓示相成候様致度候
右全忠両道の民乱に付鄙見及上陳候也
明治二十七年五月二十二日
臨時代理公使 杉村濬
外務大臣 陸奥宗光殿
「赤字部分が重要なの。清の派兵が朝鮮情勢に変化を及ぼすかもしれないから、日本も派兵するのかしないのかを検討しておいてほしいってことなんだよ」
「あー、そう言うたら、そもそも官民保護・公使館護衛のための派兵は済物浦条約によって規定されとるんやから、派兵自体に問題はあらへんかったわけやしな」
「ってことは、原田の「二日にこれを受け取った伊藤内閣は、外国への軍隊派遣というハードルを軽々と越えた」っていうのは主観的な感想でしかないよね」
「そういうこと。次に「三日前に届いていた杉村電報は、全羅道の騒動は収まりつつある、と述べていたのに」というくだりなんだけどね。「三日前」というのは、6月2日の3日前ってことだろうから5月30日に収受された電報のことだと考えるんだけど…」
「よっしゃ、『日本外交文書』と『日韓外交史料』を探してみるで!……あれ?30日収受と明記されたもんで全羅道の状況について触れた電文は見当たらへんやん!どないなってんの?」
「そうなんだよねぇ。ただ『日本外交文書』第27巻2冊のp154に、収受日は書いてないけど、5月29日に駐朝鮮臨時代理公使杉村濬が発した電文があるの。発信日と内容から判断して、原田の言っている杉村電報はおそらくこれを指していると考えるよ」
清国援兵を望むに就いては反対意見多き旨報告の件
電信訳文 五月廿九日発
東京 京城
陸奥 杉村
閔泳駿は清国援兵を望むの傾きあれとも朝鮮政府は閣臣多数の意見を容れて閔泳駿に反対の方針を執りたり全羅道の騒動は初めの如く重大ならす
「…え?「全羅道の騒動は収まりつつある」じゃなくて「初めの如く重大ならず」だよ?「初めの如く重大ならず」つまり「最初のように重大なものではない」と「収まりつつある」とでは意味が全くの別物だよね」
「せやせや。全然
「そうなの。「全羅道の騒動が収まりつつある」とは解釈できないし、もしそうであったとしても、居留民保護と公使館護衛のための出兵そのものを止めるだけの価値を持った情報とはならないんだよねぇ」
「原田ってなんだかすごく頭の悪い人みたいに見えるよね…」
「正直、こういうひとがこういうこと言ってるのを見ると、頭が痛くなるよ」
植民地台湾と朝鮮の政策は、「進んだ日本」の、技術や資本を「遅れた地域」に移しただけで、欧米のような「極悪な植民地支配」をしたわけではない、という言い訳が二〇世紀末以来この日本に広がりつつある。これまでの詳細な研究によれば、そんな「言い訳」は一笑に付される低い水準のものでしかない。(p238)
書くのは苦しかったが、その間にこの二〇年間の日本近代史研究が相当進んだ、という思いが強くなっていった。しかもいつの時代でも破壊の旗手として現れる若手研究者だけでなく、成熟した研究者も含め、鋭い問題意識と確かな実証を通じて、深く新しい認識が示されている。そうした大きな成果を吸収し、貴重な到達点と、私自身のささやかな試みとを合作させたものが本書である。(p241・242)
「…破壊せなあかんのはこういう人の頭やいう気がする…」
「この人もやっぱり結論に史料解釈を合わせるタイプなんだろうねぇ…」
「今年最後のエントリーがこんなものって言うのはちょっと心苦しいけど、ここまでにするね。ではよいお年を」












