「当時の韓国では、大韓毎日申報社と並ぶ大新聞だったんだよね」
「うん。その皇城は1907年(光武10年)2月25日付の論説「断烟報国債」で大邱断烟同盟会を紹介・称賛したの」
「えーっと「吾敢て此の機が挙国の一動に響応することを信ず。将に六洲列国をして我大韓国に敬服せざることなからしめんとす、将に五種民族をして我大韓人を崇拝せざることなからしめんとす。即ち此の20世紀の今日世界に大韓国民の名誉声価が全球を照耀することは壮ならんや」って、所謂ホルホルやね」
「そうだよねぇ。この運動によって世界諸国がウリナラに敬服するニダ!世界の全民族がウリたちを崇拝するニダ!20世紀のこの世界、ウリたちの名誉と声価が全地球上を照らすのは素晴らしいハセヨ!だもんねぇw」
「最後に「此の好時期に乗じ国民の義務を為すことを失うなかれ」って言ってるし、大韓毎日申報と違って最初から全面的な応援姿勢をとっているんだね」
「うん。国債報償運動(2)で見たように、国債報償期成会が2月25日付の皇城新聞に掲載した趣旨書の中でも報償金受入先に指定されてたんだけど、3月1日付紙面に報償金受入の広告を出したの」
「申報社みたいに他の団体に移管はしないで、自社で全部受け取って銀行に保管するんだね」
「申報社と総合所みたいに特定の団体と連携せえへんねんな」
「3月2日付皇城新聞の記事によると、国債報償中央義務所って団体が皇城を受け取り先に指定したんだけどね」
「ほんとだ。規程の6番目に「一 収金所は皇城新聞社に定む」って書いてるね」
「実際に3月12日には義務社から43円20銭が皇城に渡されているの。まぁこれは皇城から要求したことでもなさそうなんだけどね。皇城は国債報償運動(4)で触れたように、3月9日付紙面で各団体を統括する上位団体の設立を提議してたんだよ」
●国債報償金募集에対処理方法〔公衆注意〕
爾来에断烟報償事로京城内一般有志之十들이紛紛然起議야趣旨書를刊佈고結社集会発起人이不可指数이며各地方人十들이従以継焉으로京城内議事諸氏들이総会所를特設고事務員一百人으로選定다니此説이果然인지不知되或如所伝이면十分穏当措置라謂케難기로該事에対方法을左開홈
一総会所와事務員百人은置之勿設홈 |
「総会所は大韓自強会の事務所内に置くってあるんだけど、この提言は自強会の動きと関係があったのかな?」
「上位団体設立に関与はあったかもしれないね。自強会員の李鍾一は総合所の発起人に名前が載ってるんだけど、金光済と同じ広告で総合所とは無関係だって表明したから、それ以上は関与できずに離脱したんだろうね」
「構想通りに進まへんかったとか、主導権を取れへんかったとか、排除されたとか、そのへんの話なんかなぁ」
「そういうわけで総合所自体はできたんだけど、皇城は4月4日付の論説でそれに対して疑問を呈しているの」
「えーっと「今此の義金の集送はこれ乃ち高尚純潔の愛国心から湧出したものであり、以て一毫の依頼性もその中に渾入すべからざるに、今その事務所をなんすれぞ毎日申報社か」って、総合所の事務所を申報社内に置くことに疑問を持っているんだね」
「実際にできた総合所が完全な上位団体になってないことに対して批判したってことだよ」
「一毫の依頼性も混入するなって言うとるから、この運動は韓国民が自主的主体的に行なわなあかん!ってことなんやろね」
「うん。「該報筆は曰く言論激揚して我が国を愛すること自国の如く、我が国人を憐れむこと自国人の如し。此に固より衆心の歓迎するところと雖も、該報主筆は即ちこれ英国人裴説氏」と続くから、英国人に頼るようなことはするなって言いたいんだろうね」
「額面どおり受け取ってええんかなぁ?新聞社同士の主導権争いってことはないんかな?」
「総合所のあり方について衝突はあったとは思うんだけどね」
「発起人の6人に対しても、各団体の代表者じゃなくて個人の資格で発起したことを疑問に思ってるね。「各社会代表者を以て一処に結合し、総議所を以て指定し、善美規程を以て構成し、天下の人心をたやすく一団となし、すべて一人の岐を二とするものなからしむるかな」って書いてるし、これも先の論説での提議に則った態度だよね」
「各団体の代表者を集めて総会所をつくらなあかんって主張やったね。国債報償運動(4)でなのはちゃんが言うとったように、総合所を各団体の上位団体にするにはそれしかあらへんしね」
「上位団体の監督があったら期成会の横領も防げたかもしれないよね。それと、最低限でも総合所が申報社外にあったらベセルも簡単に横領できなかったかもしれないよね」
「そうだよね。結局、各団体の調整と統合ができなかった運動参加者のグデグデが大元にあるんだよねぇw 皇城が報償金を総合所に渡さず自社で管理し続けたのも、運動消滅後の処理の段階でもなかなか処理会に渡さなかったのも、グデグデな他団体から一線を引いて態度を一貫したってことだと思うよ。皇城は報償金を500円一口にして、500円貯まった時点で銀行に預けていくってかたちをとったんだけど、皇城新聞広告からその状況をまとめるとこの表になるの」
移管日 | 回次 | 金額 | 月合計 |
1907年3月6日 | 1 | 500 | 3,500 |
11日 | 2 | 500 | |
15日 | 3 | 500 | |
25日 | 4,5 | 1,000 | |
29日 | 6,7 | 1,000 | |
4月2日 | 8,9 | 1,000 | 12,500 |
3日 | 10 | 500 | |
4日 | 11,12 | 1,000 | |
5日 | 13,14 | 1,000 | |
8日 | 15 | 500 | |
9日 | 16 | 500 | |
10日 | 17,18 | 1,000 | |
11日 | 19,20 | 1,000 | |
18日 | 21,22 | 1,000 | |
19日 | 23,24 | 1,000 | |
22日 | 25,26 | 1,000 | |
23日 | 27,28 | 1,000 | |
26日 | 29,30 | 1,000 | |
29日 | 31,32 | 1,000 | |
5月2日 | 33,34 | 1,000 | 16,000 |
6日 | 35,36 | 1,000 | |
8日 | 37,38 | 1,000 | |
9日 | 39,40 | 1,000 | |
14日 | 41,42 | 1,000 | |
15日 | 43,44 | 1,000 | |
17日 | 45,46 | 1,000 | |
20日 | 47,48 | 1,000 | |
21日 | 49,50 | 1,000 | |
23日 | 51,52 | 1,000 | |
24日 | 53,54 | 1,000 | |
27日 | 55,56 | 1,000 | |
28日 | 57,58 | 1,000 | |
29日 | 59,60 | 1,000 | |
30日 | 61,62 | 1,000 | |
31日 | 63,64 | 1,000 | |
6月2日 | 65,66 | 1,000 | 13,000 |
3日 | 67,68 | 1,000 | |
5日 | 69,70 | 1,000 | |
7日 | 71,72 | 1,000 | |
10日 | 73,74 | 1,000 | |
17日 | 75,76 | 1,000 | |
18日 | 77,78 | 1,000 | |
20日 | 79,80 | 1,000 | |
24日 | 81,82 | 1,000 | |
25日 | 83,84 | 1,000 | |
26日 | 85,86 | 1,000 | |
27日 | 87,88 | 1,000 | |
28日 | 89,90 | 1,000 | |
7月4日 | 91,92 | 1,000 | 4,000 |
5日 | 93,94 | 1,000 | |
12日 | 95,96 | 1,000 | |
29日 | 97,98 | 1,000 | |
8月5日 | 99,100 | 1,000 | 1,000 |
10月30日 | 101,102 | 1,000 | 1,000 |
12月10日 | 103,104 | 1,000 | 2,000 |
18日 | 105,106 | 1,000 | |
1908年1月10日 | 107,108 | 1,000 | 2,000 |
24日 | 109,110 | 1,000 | |
4月9日 | 111,112 | 1,000 | 2,000 |
18日 | 113,114 | 1,000 | |
総計 | 57,000 |
「こっちは6月から7月の落ち込みようがすごいなぁ」
「ただ、これは銀行預入の状況だから、その月に皇城にどれだけ報償金が集まったかを見るには、毎日の皇城新聞の広告欄を確認しなきゃダメなんだよ。で、実際に1907年7月分まで計算して確認したんだけど、ちゃんと500円あるいは1,000円を銀行に預け入れた後は500円未満しか残らなかったよ」
「それを次回の預け入れまで繰り越してたんだね。申報社と違って報償金処理はちゃんとしていたんだね」
「うん。ただね、申報社みたいに月ごとの集計を出してないから、最終的に皇城に繰越金がどれだけ残ったか、どう処理したかは毎日の皇城新聞の広告欄の数字を積み上げていかなきゃいけないんだよねぇ…それで7月分までで挫折したの」
「さすがに1年分を計算するんは嫌やなぁ…申報社は処理方法がええ加減やけど統計はしっかりしとって、皇城は処理方法はええんやけど統計が見えにくいってことやね」
「そうなんだよ…だから、上の表の57,000円は銀行預入額の総額だけど、皇城の報償金保管残額がどれくらいかはちょっとわからないんだよ」
「最終的にはどう処理されたのかな?さっきなのはちゃんは「運動消滅後の処理の段階でもなかなか処理会に渡さなかった」って言ってたけど…」
「それについては、10月15日のエントリーから見ていく予定の費消事件後の報償金の後始末の中で触れるんだけどね、最終的な結果だけを言うと1910年8月に国債報償金処理会に引き渡したの」
1910年8月10日付皇城新聞
○本社에셔各銀行에保管얏던国債報償金과同本社에留置얏던銀属物을国債報償金処理会에越交기로本社総会의可決을経얏기該通帳及印鑑과並銀属物을該会로如左히越交고茲에広佈오니国内同胞 照亮
左開
韓一銀行定期預金二万九千九百九十五円三十六銭
漢城銀行定期預金二万九千八百二十九円三十二銭
漢湖農工銀行定期預金八千百十八円一銭
銀属物二十四両二十三分重
玉歯兒筒一件
皇城新聞社
「各銀行に預けた現金の合計が67,942円26銭9厘?なんで10,000円も増えとるん?そんなに金利が良かったんかなぁ?」
「どうなんだろうねぇ?ともかく、横領等もなさそうでよかったと思うよ。じゃ皇城についてはこれでおしまい。今回はここまでにするね」
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