「うん。その移管は1907年5月から7月の間に計7回行われたの」
「え?1908年7月じゃなくて、1907年7月まで?たった2ヶ月間だけなの?」
「そうなんだよねぇ。申報の広告から表にまとめるとこうなるの」
申報社から総合所移管金額
移管日 | 移管金額 | 累計 |
5月 3日 | 7,000 | 7,000 |
14日 | 2,500 | 9,500 |
25日 | 2,300 | 11,800 |
6月 8日 | 4,500 | 16,300 |
17日 | 3,000 | 19,300 |
7月 1日 | 5,000 | 24,300 |
12日 | 8,000 | 32,300 |
「報償運動の熱狂が冷めてからは全然移管してへんわけやね。6月以降、申報社に移管できるだけの報償金が集まらへんかったいうことなんかな?」
「それはないよ。申報社の月別の報償金集金額を申報の広告から見ていったんだけどこんな状況だったし。あ、金額の小数点以下は銭・厘だからね」
申報社集金金額
月 | 集金額 | 累計 | 掲載日 |
1907年4月 | 19,213.766 | 19,213.766 | 6月15日付紙面広告 |
5月 | 19,664.196 | 38,877.962 | 8月10日付紙面広告 |
6月 | 9,128.505 | 48,006.467 | 8月10日付紙面広告 |
7月 | 4,974.782 | 52,981.249 | 掲載なし |
8月 | 1,733.685 | 54,714.934 | 9月6日付紙面広告 |
9月 | 1,118.798 | 55,833.732 | 10月2日付紙面広告 |
10月 | 1,068.685 | 56,902.417 | 11月2日付紙面広告 |
11月 | 152.550 | 57,054.967 | 12月3日付紙面広告 |
12月 | 371.990 | 57,426.957 | 1月9日付紙面広告 |
1908年1月 | 668.520 | 58,095.477 | 2月6日付紙面広告 |
2月 | 1,324.725 | 59,420.202 | 3月14日付紙面広告 |
3月 | 483.280 | 59.903.482 | 4月3日付紙面広告 |
4月 | 1,138.850 | 61,042.332 | 5月16日付紙面広告 |
5月 | 56.675 | 61,099.007 | 6月1日付紙面広告 |
6月 | 32.050 | 61,131.507 | 警秘第248号から算出 |
「1907年7月の分は掲載がなかったから、8月時点の総合額から6月時点の総合額を引いて出したよ。1908年5月の分は総合額と書いてなかったけど、これ以降金額の掲載もないし日付から5月分と判断したの。6月分は7月4日付警秘第248号「国債報償金に関する件」に「五六両月の計算は未た広告せさるも已に公告したる総金額と調査書の金額を比較すれは八十九円十七銭五厘の差あるを認む」から計算したの」
「1907年6月からの減り方がすごいね。5月から6月、6月から7月、7月から8月で毎月平均50%以上も減少してるよ」
「原因はやっぱり熱しやすくて冷めやすい鍋根性と期成会の横領でのマイナスイメージ、国債報償費消事件(10)でも出てきたハーグ密使事件なんやろね」
「そう考えるのが妥当だよね。月ごとの総合所移管額と申報社の残額を表にするとこうなるの。あ、申報社残額はベセル横領の22,500円を除かない帳簿上の数字だよ」
総合所移管金額・申報社残額
申報社集金額 | 総合所移管額 | 申報社残額 | |
1907年4月 | 19,213.766 | 0.000 | 19,213.766 |
5月 | 19,664.196 | 11,800.000 | 27,077.962 |
6月 | 9,128.505 | 7,500.000 | 28,706.467 |
7月 | 4,974.782 | 13,000.000 | 20,681.249 |
8月 | 1,733.685 | 0.000 | 22,414.934 |
9月 | 1,118.798 | 0.000 | 23,533.732 |
10月 | 1,068.685 | 0.000 | 24,602.417 |
11月 | 152.550 | 0.000 | 24,754.967 |
12月 | 371.990 | 0.000 | 25,126.957 |
1908年1月 | 668.520 | 0.000 | 25,795.477 |
2月 | 1,324.725 | 0.000 | 27,120.202 |
3月 | 483.280 | 0.000 | 27,603.482 |
4月 | 1,138.850 | 0.000 | 28,742.332 |
5月 | 56.675 | 0.000 | 28,799.007 |
6月 | 32.050 | 0.000 | 28,831.057 |
総計 | 61,131.507 | 32,300.000 | 28,831.057 |
「横領、流用するための資金を確保するために、7月中旬月以降総合所への移管を止めたん
「資金に余裕ができるのを待って、マルタンに22,500円を貸し付けたのかもしれないね」
「ほんまやったら申報社の報償金を総合所に全額移管したかてええやん。それやのに小出しに移管して申報社に報償金を残しとくいうんは、最初から横領用の報償金を貯めとくつもりやったん
「もしそうなら、社長のベセルが当初から横領を視野に入れて運動に参加したってことも疑えるようになってくるよね?」
「うーん、さすがにそれは可能性の話で、蓋然性を問うところまで行ってないんじゃないかな。でも金銭処理の仕方として非常にまずいやり方を取っていることは否定できないよね。ベセルが動機から手口まで全部自白してくれていたらよかったんだけどねぇw」
「総合所が申報社内にあったことは、やっぱり良くなかったんだね」
「そうだね。総合所設立の際に誰がどういう主張をしてどうまとまったせいなのかはわからないけど、総合所を上位団体でもなければ完全に独立した団体でもなく、申報社の付属物のような存在にしちゃったわけだからね」
「国債報償金費消事件(10)で見た憲機第429号にあったように、ベセル糾弾の動きとともに総合所を鐘路商業会議所に移転したのは、総合所を申報社から切り離すためだったんだろうね」
「そういうことだろうね。っていうか、総合所役員たちはそれまで何をしてたんだって話でもあるけどねw」
「案外、主要幹部の何人かはベセルの共犯やったんかもしれへんでw で、費消事件の後はどうなったん?」
「国債報償運動自体が1907年7月以降事実上終わってたんだけど、この費消事件以後は報償運動は完全に死に体になっちゃったの。当然募金も集まるわけがなく、そのまま日韓併合を迎えたんだ」
「それは申報社と総合所だけの話じゃなくて、他の団体もなんだよね?」
「うん。他の団体についてはまた詳しく説明するけど、1908年11月に国債報償金処理会が結成されて、報償金の調査・処理を行なうことになったんだけど、申報社・総合所はその処理会とは別に報償金を保管し続けたんだよ」
「募金者に返還できるとも思えへんし、結局どないしたん?」
「1910年12月14日、朝鮮総督府の警務総監部に移管して、最終処分となったの」
1910年12月15日付毎日申報(大韓毎日申報が改称)
国債報償金処分
兪吉濬、南宮薫、金柱炳氏等의管理던前国債報償金処理会目下教育基本金管理会所管에属報償金九万余円은去十二日에其全部를総監部■納入얏고前国債報償金総合所長尹雄烈、梁起鐸、朴容圭、金允五、金麟氏等의管理에関報償金四万二千余円은昨日브터其全部를警務総監部의保管에移얏다더라
「これが報償金処分の最終的な解決だね。国債報償金処理会改め教育基本金管理会って何なのかな?」
「国債報償金検査所いうんは国債報償金費消事件(14)でちょっと出てったけどなぁ」
「それについてはまた今度説明するから今は措いといて。ここで総合所の保管金が42,000余円になっているんだけど、その内訳について気になるんだよ」
「流れから行くと申報社の保管分を総合所に移管してたんと
「そう考えるんだけどね、申報社で募金した61,131円50銭7厘から総合所に移管した32,300円とベセルが横領してマルタンに貸し付けた22,500円をを引いた6,331円50銭7厘と、総合所で募金した12,978円60銭、申報社から総合所へ移管したうちベセルが横領しないで残した2,300円を足すと、21,610円10銭7厘になるんだよね」
「あれ?それじゃ42,000円に20,389円89銭3厘足りないよ?」
「どういうこと?その約20,000円、費消事件後にまた集まったいうわけあらへんやろし、ベセルが弁済したん?」
「でもそれだったら国債報償費消事件(15)で見たように、総合所役員たちがベセル夫人やマルタン、コールブランに返還交渉を持ちかけないよね?」
「その問題があるから、国債報償費消事件(15)のときに後で整理するって言ったの。金鉱会社の株を売却して現金弁済したか、マルタンが20,000円~22,500円だけをベセルに返還してベセルが申報社に弁済したか、それだけの報償金が申報社の帳簿外にあったかのどれかと思うんだけどね…」
「マルタンが返還したいうんは金額的には辻褄合いそうやけどちょっと不自然
「5,000円はマルタンに貸し付けたんじゃなくて、最初にベセルが尹致昊に白状したようにベセルが自宅修繕に使いこんだから返せなかった、というのはどうかな?」
「西岡隊長が指摘しとったように、1908年4月に総合所口座から5,000円を引き出して、先にマルタンに貸し付けとった22,500円と合わせて貸付契約をまとめたんは辻褄合わせのため
「うん。9月の27,500円貸付のうち5,000円はベセルが取り込んで、あとでそれをうやむやにして辻褄を合わせるために、5,000円を引き出してマルタンに貸し付けて、さらに貸付契約をひとまとめにしてそれまでの貸付金の経歴を消去したんじゃないかってことが考えられるの」
「でも、9月時点で申報社の保管額は23,533円73銭2厘だから、27,500円は貸し付けられないよ?」
「総合所の方からも横領したんかな?」
「その点の説明が苦しくなるのがネックなんだよね…それは措くとして、弁済の方は、それだけの金銭が帳簿外にあったというのはさすがにかなり無理があると思うし、現時点では、金鉱株売却で弁済というのがもっとも無理がなく妥当な解答ってことにするよ。じゃ、今回はここまでにするね。次回は総合所について見る予定だよ」
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