写経屋の覚書-なのは「前回の最後で言ったように、今回は国債報償金費消事件についての韓国人の動きを見ていくね。国債報償金費消事件(4)の憲機第421号「七月二十九日憲機第四一六号続報」は覚えてる?」

写経屋の覚書-フェイト「えっと、7月30日に開かれた会議でベセルが糾弾されたって話だったよね」

写経屋の覚書-はやて「そやそや。糾弾と詰問だけで終わってもぉたんやったな。あれからどないなったん?」

写経屋の覚書-なのは「そこなんだけどね、まずその会議の出席者たちは7月31日にベセルに対する討議準備会を開いたの。憲機第429号(7月31日憲機第421号参照)国債報償金に関する件(『統監府文書5』p219収録)でその様子が報告されているの」

 七月三十一日午後自一時至三時間左記六名は南署誠明坊後洞会員(評議員)趙存禹の家に集合し国債報償金の件に関し「ベツセル」に対する討議準備会を開催し決議したる要領左の如し
    左記
趙存禹閔泳玉李恒儀李康鎬李華栄安重植

 会議要領は

一.国債報償志願金総合所に収金の分なる金四万二千八百六十三円一銭を徹頭徹尾「ベツセル」より取戻すこと

二.「ベツセル」より前項の金額受領と同時に所長尹雄烈を免黜し所長を更に撰挙する事

三.鍾路商業会議所(韓人)に照会して同二階を事務所に借入るゝ事


 以上三項共可決第二項中改撰所長の候補者として趙存禹と略ほ内決第三項事務所借入の件は本日国債報償志願金総合所評議員長趙存禹の名義を以て鍾路商業会議所会頭白瀅洙宛書面を以て借入方交渉の処早速協議纏まり趙存禹より事務所を鐘路商業会議所二階に移転せしに付爾今集合の際は同所に集会せらる可きを会員一同に通文せりと云

一.一両日中新事務所にて「ベツセル」に対する討議大会を開催の予定なりと云ふ

以上
明治四十一年八月一日     

写経屋の覚書-なのは「討議大会そのものの報告はないんだけど、8月10日に『国債補償韓人委員会』ってものが開かれたことが機密号外(機密受第2142号)「国債報償金費消事件に関する件 附梁起鐸大韓毎日申報社に逃入したるに付引渡交渉顛末」(『統監府文書8』p306収録)に報告されているんだけどね」

一.昨十一日英国総領事より別紙第一号の通り公文を以て八月十日午後開会したる国債補償会韓人委員会に於て李康鎬なるもの「ベセル」を暗殺すへしと公然宣言したる旨「ベセル」より同領事に訴へ出てたるに付殺害の企図を予防する手段を執る様警察官憲へ直ちに通告方本官に照会し来りたるに付即刻丸山総監へ右の旨を移牒すると同時に別紙第二号の通り英領事へ回答旁々照会致置候本件は日本人特有の豪傑流に一笑し去れは夫れまてに候得共英領事は恐くは之を我警察の不利益に使用するか又は「ベセル」の保護の為めに利用するの掛念なしとせす又「ベセル」は之を口実として今後委員会等に出席を拒絶するやも知れす
梁起鐸裁判の日取及場所も併せて同領事に好意的に知らせ置候尤も同領事は既に承知し居りたり
昨十一日夕刻小松書記官より電話にて鍾路監獄より梁起鐸を大韓医院に移送前梁は逃れて大韓毎日申報社に入りたりとの報に接し次て南部警察署より獄吏多数同新聞社を囲み梁の引渡を要求するも応せさる旨通知を受けたるを以て一応事実を確めたる上石塚長官代理に請訓し別紙第四号の通り認めたる英領事宛の書束を懐中して午後八時二十分英領事を往訪し事実を陳述して梁の引渡を要求したるに本国政府に電話したる上にあらされは取計難しとの回答を得たるに付簡単明白なる本件の如き事件に本国政府の訓令を請ふの必要無之にあらすやと述へたるも応せす領事曰く此の事件に付ては初めより既に七八回も電報を本国政府より受け取りたり今回も政府の訓電を待たさるへからす併し明後日 (十三日) には返電に接するならん又曰く「ベセル」にも同日逢ひたるも彼も此事件に付ては少なからす当惑し居れり義捐者多数且不明にして事件の始末を付けんにも何人を相手にして宜しきやを知らす云々本官曰く果して然らは「ベセル」氏は何人より委任を受けて報償会の委員となり居る訳なりや委員と自称するならは可笑き次第ならすや特に新聞紙上に於て收支を明白に広告すへきに広告したる所と実際の処分と相違し居るは何そやと反問したるに領事は黙して言ふ所なかりき依て本官は十五日には梁起鐸の裁判公開せらるへきに付事実は明白となるへし其の時は何れ証人として「ベセル」氏其の他に出廷を要求するやも知れす応すへきやと問ひたるに領事は然らんと答ふ,次て本官は理事庁出発の間際に「マーナム」より受取り封の儘持ち行きたる別紙第三号の書面を英領事館にて披見し且つ之を英領事にも示し尚梁の引渡に付ては本国政府の電訓を要すると云ふ事にては自分一存にて承諾し難き旨を述へて一応同館を辞去し転して石塚長官代理を経て閣下の御訓令を領し別紙第六号の抗議書を認め之を衣囊に納めて午後十時再ひ英領事を訪ひ別紙第五号の証言書を目前にて認めんことを請ふて之を受取ると同時に第六号を領事え手交し直ちに退出帰途大韓毎日申報社を警戒中の京城監獄典獄神尾虎之助に警戒を解くへき旨を伝へ帰庁後更に別紙第七号の通り梁の逃亡事情及病院に移すに至りたる次第を認め今 (十二日) 早朝同領事に送付致置候
尚英国領事に於ても昨夜十時半頃館員「ホルムス」を呼ひ寄せ直ちに電報発送に取掛らんとする模様に有之候

一.第八号第九号及第十号は「マーナム」か昨十一日梁起鐸に監獄にて面会したる件に関する本官の往復にして第十一号は報償金を「コールブラン」に預け入れたる件問合に對する米領事の再度の回答に有之何等新たに得る所に無之候得共為念添付致候

一. 国債報償金に関する事件発生以来英国領事「コーバーン」氏と屢々交渉を重ねたる直接の実験より考察するに如何にしても同領事の所作及態度は公正にして好意的なりと認むること能はす尤も在京城各国領事より宣教師等に至る迄何事に拘はらす清国又は従来韓国に臨みたる高慢の態度を改めすして些細の事迄喧々囂々甚た厭ふへきものあるは先つ一様認められ候得共報償金費消事件特に梁の引渡の一条に対する英領事の不穏当なる態度は黙過し難きものと深く相感候此の儘に打捨置候ては十五日以後開廷すへき梁の裁判の進行も思ひ遣られ候のみならす昨夜既に閣下の御訓令の下に英領事の直ちに梁引渡を承諾せさることは友誼に反する態度なりと公然抗議を申入れたる上は之より來るへき当然の結末は速かに收めさるへからさる儀と確信致候卑見にては此の際同領事の不都合なる挙動を挙けて英国政府に同領事の召還を要求するの手続に出候方可然と存候併し若し其の交涉の開始自然延引致候様にては恐らく先方より機先を制せらるゝの虞多々に可有之に付急速の御取計を偏に希望致候但し一歩を譲りて英国政府より同領事に対し本件に関して従来の態度を改め事実の真相を明かにする為め充分の援助を日本官憲に与へよとの訓令を発せしめ候ても差向き本件の進捗には大に便利を得可やに付已むことを得さるに於ては夫れ丈けにても御取計相成候様致度実は彼是の考にて取急き本信を認めたる様の次第に有之候

一. 昨日梁起鐸を鍾路監獄より濫りに放すに致りたる責任は果して誰にあるやは取調を要する事と存候得共曩には大韓毎日申報社差押の為め警部か同社に踏み入りたる様の遣り損ひも有之事外国人に係るを以て其の都度彼等より弊を招くか如き失態を演するは誠に遺憾に存候此の類の場合に於て監督大官たるものは呉々も理解能力の乏しき下級日韓官吏に再三反覆命令を言ひ聞かして注意の下層迄貫徹する様致さしめ候事至極肝要に有之は申迄も無之候典獄神尾虎之助の言ふ所に依れは梁に附し置きたる韓人看守は大韓医院に梁を送ることを知らすして普通釈放免囚と心得依て例の通り放出したるならんとの事に有之候

右報告旁々及具申候也
明治四十一年八月十二日   
京城理事官 三浦 彌五郞
     統監代理 副統監 子爵 曾彌 荒助 殿


写経屋の覚書-はやて「李康鎬がベセル暗殺するべし、って言い放ったんやな。ほんでそれを知ったベセルがコバーンに訴えて、コバーンが三浦に殺害計画を予防する措置をとるよう警察官憲へすぐ通告してほしいって言うてきたんやな」

写経屋の覚書-なのは「まだ三浦とコバーンが反目してない時点の話だよ。で、三浦は丸山警視総監に通知してその旨をコバーンに回答したの」

写経屋の覚書-フェイト「でも三浦は「本件は日本人特有の豪傑流に一笑し去れは夫れまてに候得共」なんて言ってるよ。笑い飛ばせばオッケーって楽観的というか、本気にしてないというか…」

写経屋の覚書-はやて「コバーンがこの事態をベセル保護のために利用するかもしれへんいう懸念と、ベセルがこれを口実として今後この手の委員会等に出席を拒絶するかもしれへんいう読みはたしかにありえるんかな」

写経屋の覚書-なのは「李康鎬が本気でそんなことをするわけがないと思っていたのか、ベセルが大げさに感じたと見たのかは分からないけど、ベセル保護のための利用されるかもしれないって読んだのなら、その口実を与えるような隙を見せない処置をしなきゃダメだよ。一笑しておしまい、なんかじゃなくてね」

写経屋の覚書-はやて「そやけど、その委員会でベセルは具体的にはどんな言動とったん?よほどの態度を取らんとあんなこと言われへんと思うんけど」

写経屋の覚書-なのは「うん。細かいことまではわからないんだけど、往電第49号「梁起鐸問題に関する英国政府への注意要請の件」(『統監府文書5』p229収録)によると、報償金の保管について主張したみたいなの」

明治四十一年八月十四日午後五時五〇分 京城発
   午後九時二五分 舞子着
曾禰 副統監     
     伊藤 統監
 梁の件に関し寺内外務大臣へ左の通電報し置けり
 貴電第百四十二号に関し英国大使へ朗読したる同国政府来電には英国の輿論之か為に八釜敷かるへく然かも同政府外務大臣は議会に於て弁護すること能はすとあれとも本件に関し何故英国の輿論沸騰すへきや殆んと了解に困む所なれとも察する所英国政府は在京城同国総領事の事実を表明せさる報告に基き梁起鐸の逮捕を以て「ベセル」裁判事件に関連するものと誤解したるによるか如し尤も在英国我か大使代理に対する貴電に依り事情判明することゝは信すれとも目下の情況に付在本邦英国大使及英国政府の注意を促したきものあり抑々国債報償金消費の嫌疑は「ベセル」の裁判事件以前より一般公衆の抱きたる所にして梁の逮捕当時に至り公然取調を訴へ出つるものありたるに付当局者に於て偵察を遂けたる結果大韓毎日申報社の募集金は同新聞紙上総て「コールブラン」銀行に預け居る旨を広告したるに拘はらす或は礦山会社の株券を買入れ又は個人に貸し与へたる事実あること往電第二十四号の通りにして其証迹充分なるを以て不取敢梁の取調に着手し予審に於て有罪と認め既に公判に付するの運ひに至りたる次第にして公判廷開始せは直に英国政府の誤解釈然たるへきは勿論なりと雖前記毎日申報社内に設置せられたる中央集金所を韓人商業会議所に移し「ベセル」の保管に係る募集金を取戻さんとしたるに右商業会議所に於ける集会の席上に於て「ベセル」は右金員を英国総領事の保管に移すへしと称え然らされは日本官憲に取去らるゝの虞ありと弁したるに韓人等は右募集金は外国領事に渡すへきものにあらす宜しく之を韓人の銀行に預け入るへしと主張したりとの報あり又英国総領事か我か理事官に送りたる書簡に依るも去る十日右会議所に於て役員の一人李康鎬は報償金問題に付「ベセル」と激論し「ベセル」退出の後「ベセル」を暗殺すへしと公言したることあり右等の事情より察するも韓国人か報償金の不当処分に付如何に激昂し居るか明なるのみならす梁起鐸の逮捕は徹頭徹尾「ベセル」裁判事件に関係なきことは在韓国一般内外人の承知する所にして英国政府と雖も容易に了解し得へき筈なり前電屡々開陳したるか如く本件に対する英国総領事の態度に就ては日韓人とも甚たしく憤激し居り新聞紙上にて之を攻撃せんとするもの少からす之に対しては程なく円満の解決を見るへしと凡て之を抑制し置きたれとも英国総領事及同国政府にして今日の態度を悛めさるに於ては到底輿論の激昂を抑圧すること能はさるに至るへし右の趣旨を以て重ねて英国大使の注意を促し且在英本邦代理大使にも通告せられたし


写経屋の覚書-フェイト「マーナムが金庫と帳簿を自宅に持ち去ってたんだよね。ベセルは報償金を英国総領事の保管に移さないと日本官憲に持っていかれるおそれがあるって言ったんだね」

写経屋の覚書-はやて「大韓毎日申報社かてイギリス人所有物やねんから、官憲が簡単に踏み込まれへんやろ?それに総合所の役員(ちゃ)うベセルが申報社への募金ならともかく総合所の報償金保管に関わろうということ自体おかしいやろ?」

写経屋の覚書-なのは「そうだよね。どうやら特に李康鎬はベセルと激論になって、ベセルが帰った後で暗殺を公言したみたいだね。ちょっと後のことになるんだけど、8月26日にマクドナルドからこの件について確認要請が来たの。機密送第45号「梁起鐸事件に対する駐日英国大使書翰写本五通送付の件(8月28日付 小村外務大臣発曾禰副統監宛)」(『統監府文書4』p391収録)の別紙3 第75号「8月26日付 マクドナルド駐日大使発寺内外務大臣宛 韓人の為せるベセル殺害危脅に関する英国大使覚書」を見るよ」

British Embassy,
August 26, 1908.

No.75.
Monsieur le Ministre;
I have the honour to inform Your Excellency that I am in receipt of a despatch from His Majesty's Consul-General at Seoul stating that on the 10th instant at a meeting of the Committee of the Corean National Debt Redemption Fund a Corean named Yi Kang-ho publicly threatened to assassinate Mr. Bethell, a British subject. Mr. Cockburn, on a complaint being made by Mr. Bethell, approached the Resident, Mr. Miura, on the subject, who replied in a letter dated August 15th last that the Chief of police had ascertained that Yi had expressed his opinion in the presence of several persons “that Mr. Bethell's management of the Fund was improper and that unless he will see that he was wrong and correct his way he might be killed by the offended Corean people.” Mr. Miura further state that this seemed to him a mere expression of criticism, but that it sounded a little too strong. According to Mr. Bethell's information Yi declared his own private intention of assassinating him and inquired of a lawyer what was the penalty for murdering a foreigner.
My object in addressing this Note to Your Excellency is to draw your attention to the extraordinary nature of the opinion expressed by Mr. Miura, the threat that if Mr. Bethell did not correct his ways he might be killed by the offended Corean people being described by Mr. Miura as a “mere expression of criticism.” I should be greatful if Your Excellency would inform me whether that Japanese Government concur in the view officially expressed by the Resident at Seoul.
I avail myself of this opportuntiy, Monsieur le Ministre, to renew to Your Excellency the assurance of my highest consideration.

Claude Mr. MacDonald.
British Ambassador

His Excellency
General Viscount Teraoutsi,
Minister for Foreign Affairs.

写経屋の覚書-なのは「李康鎬の発言は「ベセルは報償金の管理は不正で、彼が間違っていたことを認め、やり方を修正しない限り、怒った韓国人に殺害されるだろう」ってもので、丸山警視総監はこの発言の事実を確認したの」

写経屋の覚書-フェイト「あれ?もっと直接的な発言だと思っていたよ」

写経屋の覚書-なのは「で、三浦はこれを単なる批評の表明と思われるけど語気が強すぎるものだったとコバーンに返答したんだけど、マクドナルドはこの三浦の意見の異常性について注意を喚起したい、日本政府は統監府の公式見解と一致しているのか教えてほしいって言ってきたの」

写経屋の覚書-はやて「なんつうか、「月夜の晩だけと思うなよ」とか「何をしでかすか分からん連中も出てけえへんとは限りまへんでぇ」とか言うて遠回しに脅す台詞と似とるなぁ。そやけどそれは脅迫対象に向かって言わな意味あらへんやん。この場合はベセルが帰った後で言うとるわけやしなぁ」」

写経屋の覚書-なのは「そうなんだよね。正直、これだけで殺害意図を立証するのはちょっと無理なんじゃないかなと思うよ。外務省のマクドナルドへの返信と思われる文書が「ベセル殺害を公言した李康鎬の脅迫に関する件」(『統監府文書5』p267収録)なんだけどね…」

Department of Foreign Affairs
Tokio, August 31st, 1908.

Monsieur l' Ambassador:
I have the honour to acknowledge the receipt of the Note (75) Your Excellency was good enough to address to me under date of 26th inst. on the subject of the remarks made by the Resident of Seoul in his letters of the 15th inst., to the British Consul General of same place, concerning the statement of Yi Kang-ho, a Korean, in reference to the Bethell in connection with the administration of the Corean National Debt Redemption Funds.
It seems that on the 11th inst. Mr. Bethell complained to Mr. Cockburn that on the previous day Yi had declared his intention assassinating him, Mr.Bethell. In the same day Mr. Cockburn brought the complaint to the attention of Mr. Miura and stated that the Police Authorities might be at once informed, and they might take steps to prevent Yi from carrying out his intention. Mr. Miura at once complied with Mr. Cockburn's complaint and in his Note informing Mr. Cockburn of his action ( ) the 11th inst. he characterized Yi's threat as “barbarous” ( ) copy of Mr. Miura's letter of the 15th inst, but from Your Excellency's Note under acknowledgement it would appear that ( )
Your Excellency
Claude M. MacDonald
etc,etc,etc.

写経屋の覚書-フェイト「え?かんじんの箇所が空白になってるよ」

写経屋の覚書-はやて「ほんまや。最後が「閣下の覚書に接しそれは(   )らしく思われました」やもんなぁ。そこがいっちゃん大事なとこやのに」

写経屋の覚書-なのは「というか、これ文書番号も付いてないし、実際に送ったものじゃなくて草稿だったのかもしれないんだよ。これもPublic Record Office, London所蔵のイギリス外交史料で該当する電文があるかを確認しなきゃいけないんだよねぇ…」

写経屋の覚書-フェイト「とりあえず、史料批判の段階で留保つきの史料ってことだね」

写経屋の覚書-なのは「そうだねぇ。まぁこの後の推移から見ると、結局李康鎬はベセルに対して何も行動はとらなかったんだけどね。さて、総合所のベセル追求の方だけど、8月28日にベセルを招いて評議員会を開いたの。その様子は29日付の大韓毎日申報にも載っているの」


写経屋の覚書-19080829皇城新聞

写経屋の覚書-なのは「でも警秘第291号「総合所評議員会の状況」(『統監府文書4』p385収録)のほうが詳しいから、申報のテキストは起こさないでこっちを見るよ」

右及報告候也

一. 国債報償金総合所は既報の如くにして金曜日午後二時商業会議所に評議員会を開く会するもの臨時評議員長韓錫鎮以下十三名会員は「ベセル」を会場に招致せしに「マーンハム」同道来場せり
評議員長は先つ「ベセル」に向ひ総合所より預りたる義捐金の措置を問ふ「ベセル」答へて曰く「コールブラン」の金礦株券の買入及「アスター,ハウスホテル」に預入其他電気会社の銀行に貯置せり其証拠は現に携帯する書類にて明暸なり必竟するに其金礦株券を買入たるは利殖を図らんか為めにして今より三ヶ月の後機械完備礦業着手の曉には多大の利益を受くるものなれは国民か其利益に依り斯の僅少の基金を以て他日夫の巨額の負債を償還するを得は洵に本懐ならすや云々
評議員長は忿然容を改めて曰く国民か此報償金を捐する何ん利殖の為めならんや即時現金を調へ返納すへしと強硬なる談判を試みしに「ベセル」は恬然として曰く朴容圭,梁起鐸の如き役員已に辞し去れり更に信用ある役員を置き其連署したる請求書を携帯し且つ其措置に付て一ヶ月新聞紙に広告の後受取に来らは交付せんと放言せり如此にして問答再三遂に要領を得さる儘午後六時閉会せり

一. 評議員中金麟外六名は「ベセル」の一味にして此評議員会を利用し報償金費消問題を揉潰さんとの魂胆ありとは既報の如し然るに本日に於ける会場の光景全く之に反せしは大韓協会の尹孝定及一進会総代六名は昨日来金允五其他「ベセル」派の評議員を訪ひ報償金費消者を庇護する言動あるを詰り忠告を与へたるか為めなりしと形勢如此なるを以て英国領事舘へ現金保管等の議は成立せさるへしと認む尚此後の成行観察中

               隆熙二年八月二十八日
警視総監 丸山 重俊
     副統監 子爵 曾禰 荒助 殿

写経屋の覚書-フェイト「株を購入したのは利殖のためだ。三ヶ月後に機械が完備して鉱山操業が始まったら多大な利益が生まれるから、それによって償還すれば本望ではないか、なんて言ったんだね」

写経屋の覚書-はやて「そやけど、それはただの横領・流用や。韓錫鎮臨時評議員長が即時返金するよう詰め寄ったけど、ベセルは恬然として「信用ある役員連署の請求書を持ってきて、その措置について一ヶ月間広告を新聞に出した後に受け取りに来たら払うたる」って言うたんやな。むっちゃ上から目線いうか挑発的いうかお前が言うなって感じやで」

写経屋の覚書-なのは「それなら、ベセルは報償金を株購入に充てた措置を広告したのかなと。西岡隊長はベセル氏出席総合所会議の様子で、「信用できる奴を役員に据えろって、誰を役員にしても信用できんといわれるのがオチで、仮にベセルが信用できる奴を指名したらそいつは連署にサインしない奴とw」「つまり返さないと言ってるのも同様ですな」って言ってるけど、その通りだろうね」

写経屋の覚書-フェイト「そういう意味だったんだね」

写経屋の覚書-なのは「おそらくね。憲機第524号「国債報償会評議員会開催の件の報告」(『統監府文書5』p259収録)のほうでは簡単に報告されているけど、これには韓国人たちもかなり怒ったみたいだね。この件は日本の新聞でも報道されたらしくて、まだ日本に滞在していた伊藤が曾禰に送った照会が来電第31号「ベセル国債報償金濫費事件報導に対する事実与否確認の件」(『統監府文書5』p260収録)なの」

明治四十一年八月三十日午後一時 発
伊藤 統監
     曾禰 副統監
 本日発行の国民新聞に二十八日開会の国債報償会委員会に強制的に「ベセル」を出席せしめ募集金の所在を詰問せしに費消せんことを自白せしも彼は飽迄不遜の態度を示したるより一同非常に激昂し其罪を厳責し弁償を迫りしに一言の返答さへなし得す太く面目を失せり彼は一進会大韓協会よりも威嚇的に注意を受け殆と死地の境に在り云々の京城電報を掲載す
 右は果して事実なりや御取調の上回答を望む此の事たる韓人の所為なれとも之れか為に何事か起りたる場合に於ては外国よりは其の責任を日本に帰せしむるは勿論なれは単に韓人の所為として等閑に附すへきものに非すと思

写経屋の覚書-フェイト「「彼は飽迄不遜の態度を示したるより一同非常に激昂し其罪を厳責し弁償を迫りし」ってそりゃそうだよね。あんな開き直り方をされてしかも挑発じみたことを言われたら怒るよね」

写経屋の覚書-なのは「曾禰は往電第83号「来電第三一号新聞記事内容確認報告の件」(『統監府文書5』p261収録)で返信してるんだけど、そこで丸山警視総監はベセルの身辺の危険はないって言ったの」

明治四十一年八月三十一日午後一時三二分 京城発
   午後七時四〇分 大井着
曾禰 副統監     
     伊藤 統監
 貴電第三十一号国民新聞記事に関し警視総監の報告に依れは去る二十八日午後二時十三名の評議員韓人商業会議所に会合し「ベセル」を招きたるに「マーハム」同道来場し総合所より預りたる募集金の取扱に関する質問に答へ金鉱株券を買入れ利殖の途を講したる旨を述へたるに評議員長は国民か報償金の募集に応したるは利殖の為めにあらす即時現金を返却すへしと迫りたるに「ベセル」は朴容奎・梁起鐸等の役員辞し去りたれは信用ある後任者を挙け其の連署したる請求書を携帯し且つ其の措置に就き一ヶ月間新聞紙に広告の後受取に来らは交付せんと放言し猶ほ問答数字遂に要領を得さる儘午後六時閉会せり尚ほ丸山に問究したるに「ベセル」等の身の上に就ては何等懸念するの要なしとのことなり尚ほ当府は目下此の事に付き全然関係せさるを策の得たるものと信す

写経屋の覚書-フェイト「マクドナルドの照会の後だし、やっぱり尾行とか身辺探索とかそれなりの措置はしていたのかな?」

写経屋の覚書-なのは「そうかもしれないね。一方、総合所長の尹雄烈はベセルに対して報償金の返還を請願してきたの。警秘収第7764号「「ベセル」の詐取した国債報償金返還請願に関する件」(『統監府文書4』p376収録)にその請願書が転載されているんだけどね」

 前軍部大臣尹雄烈より大韓毎日申報内に設立せる国債報償総合所長として募集せる金額中金三百円を英国人「ベセル」に詐取せられたりと称し其返還を英国領事に照会せられんことを請願せり其請願書別紙添文の如し右及報告候也
                   隆煕二年八月二十三日
                         内部警務局長 松井 茂
        副統監 曾禰 荒助 殿

○別紙
  請願人
                                  尹雄烈
 右請願の事実は本人昨今田中中宗氏の推薦に由り国債報償総合所長となりしも知識なく又老年にて常時不健康なるを以て百方之を辞せしも遂に意の如くならす其時総合所は英国人発行大韓毎日申報社なる故之に赴き役員及入金取扱等を尋ねたるに財務監督兼事務長朴容奎の答に役員は名簿に見られ外受入金は所長出席前は副所長金宗漢と財務監督たる自分と会計梁起鐸の連署にて鍾路韓英電灯会社内銀行に預入るとの事にて別に不合意の廉もなく又既往の事にして此名義を主とする場合故其儘に為し居たり昨今六日の騒擾の後より会議も為し難く諸般事務を整理し能はさりしのみならす各道よりの入金も僅少にて本所の経費を支保する能はさるを心配せしか本年二月の初に至り「ベツセル」より会見を求めし故翌日彼を往訪せしに朴容奎の通訳にて本人に語て曰く電気会社の利子は三円二三厘なるものゝみにあらす不信用なれは該金額中三万円丈仁川の匯香銀行に預替すれは利子も六厘にて利害殊に明に且本所の経費も心配なしとの事故孰れも西洋人の銀行なれは本人は其確実と否とを知るに由なし只貴下其確実なる所へ貯置せられよ但人民の引付に来る日には遅滞なく払渡されたしと述へしに其後三十日に「ベツセル」より人を以て一片の横文書を送り未た是は三万円予替の手形なれは之に捺印せられたしと依て其言に従ひたるに今日に聞く所にては該三万円「ベツセル」に於て随意弄奸し米人「コールブラン,ボストウヰツク」の金礦株を買たりと云ひ仏国人旅館に貸付たりと云ふにて三万円を本所に還納せす種々曖昧の説あり是れ大に法理に違ふのみならす英国人にして韓国人民の熱血中より出せる義金を濫用せる奸状此の如く露出せるも少も慚愧せす一向還給せさるに付ては私力にては如何とも致し難し依て茲に請願を乞ふ英領事館に照会し韓国人民の義金四万二千八百六十三円三銭を元利共に「ベツセル」より本人へ還付する様希望す
                      隆煕二年八月十七日
         内部大臣 宛

写経屋の覚書-フェイト「松井茂の300円って30,000円の間違いだよね?それに請願書の最後では42,863円2銭になってる」

写経屋の覚書-はやて「それと「昨今六日の騒擾の後より会議も為し難く諸般事務を整理し能はさりしのみならす各道よりの入金も僅少にて」の「昨今六日」って、文脈から見たらハーグ密使事件のあった「昨年六月」(ちゃ)うん?」

写経屋の覚書-なのは「そう思うだろうけど、ここは本年六月と解釈する方がいいんだよ。国債報償金費消事件(4)で見た尹雄烈が調査結果を8月6日付~8日付大韓毎日申報に載せた広告を憶えてるかな?」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、あ、ここには本年六月の地方騒擾以後って書いてるね」

写経屋の覚書-なのは「そういうわけで本年六月が妥当だと思うんだよね。但し、8月4日付皇城新聞に載せた広告のほうでは本年陰六月なんて書いてるんだけどね」

写経屋の覚書-はやて「それはそれでええ加減な話やなぁw 私はてっきりハーグ密使事件のことしか思い浮かばへんかったで」

写経屋の覚書-なのは「たしかに、1907年6月はハーグ密使事件とそれにともなう高宗譲位の動きなどで韓国社会が動揺して、一時の熱狂が去っていた報償運動の退潮が加速したのは事実なんだけどね。じゃ今回はここまでにして、次回はようやく梁起鐸の裁判の話になるよ」

国債報償金費消事件(1)   国債報償金費消事件(2)   国債報償金費消事件(3)
国債報償金費消事件(4)   国債報償金費消事件(5)   国債報償金費消事件(6)
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