写経屋の覚書-なのは「じゃぁ、『朝鮮進駐軍』検証のまとめをやっていくよ。まず結論その1」

『朝鮮進駐軍』の実在を示す史料は存在しない。
(少なくとも現時点に於いては)

写経屋の覚書-フェイト「どの史料を見ても出てこなかったしね」

写経屋の覚書-はやて「『朝鮮進駐軍』の実在を証明する史料があるってネットで見て、その史料を確認したら、単に朝鮮人の集団不法行為の記述で『朝鮮進駐軍』なんて言葉全然出てこぉへんかったとかばっかしや。『試し腹』『貢女3000人』と(おんな)しやで」

写経屋の覚書-なのは「『朝鮮進駐軍』が出てくる史料は南十字星(北斗星)の話と70歳地方議員への聞き取りのテキストA・Bだけなんだけど、『朝鮮進駐軍』の実在を担保できる内容じゃなかったし、テキストの信頼性自体が怪しいものだったしね。次は結論その2」

朝鮮人の関わったどの事件にも、『朝鮮進駐軍』は登場しない。


写経屋の覚書-はやて「作者は全都道府県の警察資料や公安関係者が執筆した資料に載ってる終戦直後の朝鮮人の関係した事件の記述は全部読んだんやけど、どこにも『朝鮮進駐軍』なんて出てこぉへんかったんやて」

写経屋の覚書-フェイト「在日本朝鮮人連盟(朝連)の保安隊・自治隊や、在日朝鮮民主統一戦線(民戦)は『朝鮮進駐軍』とは違うものだしねぇ」

写経屋の覚書-なのは「うん。実在する朝鮮人の集団名や集団不法行為をいくら集めてまとめても、それは『朝鮮進駐軍』の実在を証明するものにはならないよ」

写経屋の覚書-はやて「保安隊等の存在と行動を示して『実質的には存在した』とか言うんは証明主題のすり替えやもんなぁ。しつこいようやけど、『朝鮮進駐軍』の実在を証明するんやったら、『朝鮮進駐軍』と名乗った集団そのものの実在を提示証明せなあかんもんね」

写経屋の覚書-なのは「実在した集団や集団不法行為については、またそれはそれで別に取り扱って考察するものだよね。じゃ最後は結論その3」

『保安隊』『自治隊』といった実在した朝鮮人組織は『朝鮮進駐軍』ではない。


写経屋の覚書-フェイト「…多分ね、『朝鮮進駐軍の実態にふさわしい保安隊・自治隊の横暴があったから、朝鮮進駐軍の実在は否定できない』『朝鮮人の集団不法行為をカテゴライズして便宜上の通称として朝鮮進駐軍と呼ぶのはありだろう』って意見は出るんじゃないかなって思うんだ」

写経屋の覚書-なのは「だからといって実在しないものの名前を使うのはダメだよね。前も言ったけど『従軍慰安婦』『強制連行』肯定派と同じ穴の狢になるよ」

写経屋の覚書-はやて(じぶん)らがいっちゃん(きろ)とる連中と(おんな)しレベルに堕ちてまうわけやしね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。そうそう、ウィキペディアの『朝鮮進駐軍』の項目が別の内容で2010年8月23日に復活してるんだよね。2011年10月9日時点だとこんな記述になってるの」

朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん) 終戦直後の混乱期の日本において、在日朝鮮人の一部[1]が、自らを「戦勝国民」と位置づけ、治外法権であるとして日本各地で略奪や暴行を行う際に[2]、あたかも日本と連合国の間で取り交わされたポツダム宣言受諾や降伏文書等の規定による占領軍(進駐軍)としての立場であるかのように僭称していたとされる名称[3][1]である。なお、GHQは朝鮮人を「戦勝国民」「中立国民」のいずれにも該当しない「第三国人」と規定した[4]。しかし、実際にこの名称が使われていたとする史料は存在しない。

関連項目
 鉄道警察隊
 パチンコ
 朝鮮総連
 直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
 富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
 長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
 富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
 尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
 東成警察署催涙ガス投てき事件(1951年12月1日)
 岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
 高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
 奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)

参考文献
 1.野村旗守、宮島理、李策、呉智英、浅川晃広他 『別冊宝島 嫌韓流の真実!ザ・在日特権』 宝島社、2006年。ISBN 4796653295。

脚注
 1.野村旗守、宮島理、李策、呉智英、浅川晃広他 『別冊宝島 嫌韓流の真実!ザ・在日特権』 宝島社、2006年、p.86
 2.鄭大均『田岡一雄自伝・電撃編』徳間文庫、『韓国のイメージ』中公新書[要ページ番号]
 3.山野車輪『マンガ 嫌韓流』晋遊舎[要ページ番号]
 4.野村、宮島、李策、呉、浅川他 2006 p.73

写経屋の覚書-はやて「『僭称していたとされる名称』まで後退したんか。妥当言うたら妥当なライン言うてもええかな?」

写経屋の覚書-なのは「本文についてはそうかな。でも、相変わらず直江津駅事件とかを関連項目に入れているのはダメだと思うけどね」

写経屋の覚書-フェイト「参考文献として紙媒体資料が載ってるね。どんな内容なのかな?」

写経屋の覚書-なのは「まぁ別冊宝島だし、『在日特権』だしねぇ(苦笑)p86は野村旗守って人が書いた『ザ・在日裏面史 朝鮮人タブーのルーツから新・在日問題まで』っていうタイトルの文章なんだけどね、こんなのなの」

 とりわけ一部の朝鮮人たちの行動は目立った。敗戦に打ちひしがれている日本人に暴言を浴びせるなど序の口で、「朝鮮進駐軍」を僭称した一部の朝鮮人たちは、無賃乗車を駅員に注意されれば集団でこれを取り囲んで袋叩きにした。

写経屋の覚書-はやて「んー、まず僭称したいう根拠がないやんなぁ。ほんで、これってテキストBの鳩山一郎の話が元ネタなん(ちゃ)うん?

写経屋の覚書-なのは「多分それだよ。CLOを読めば、無賃乗車とその取締に対する暴行事件が実在したことはわかるんだけど、野村がそこまで調べて書いてるようには思えないしねぇ…」

写経屋の覚書-はやて「そやなぁ。ウィキペディア本文で『僭称していたとされる』という表現に留めとるんは妥当な姿勢やね…なんて思とったら、またいろいろ編集されてるやんw 11月13日の時点でこんなんになっとるで」

朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)[*1]とは、主に「嫌韓」を冠した一部の書籍[1][*2][*3]で主張されている説の中で用いられる用語[要検証][*4][*5][*6][*7]。終戦直後の混乱期の日本において、在日朝鮮人の一部が、自らを「戦勝国民」と位置づけ、治外法権であるとして日本各地で略奪や暴行を行う際[2][3]に、あたかも日本と連合国の間で取り交わされたポツダム宣言受諾や降伏文書等の規定による占領軍(進駐軍)としての立場であるかのように僭称していたとする[*8]。なお、GHQは朝鮮人を「戦勝国民」「中立国民」のいずれにも該当しない「第三国人」と規定した[4]。

編注
^ 本来の意味は、朝鮮に進駐した米軍あるいはソ連軍のこと。「南朝鮮進駐米軍」(神谷 1976, p.168)。「ソ連軍が朝鮮に進駐したとき、」(神谷 1976, p.230)
^ 「日本の敗戦後一部の朝鮮人は『戦勝国民』であると主張し『朝鮮進駐軍』を名乗り日本各地で略奪・暴行など暴虐の限りを尽くした」(山野 2005, p.81)
^ 「朝鮮人は自らを『戦勝国民』『朝鮮進駐軍』などと名乗り日本の法律に従う必要はないと主張して日本中で暴れまわった」(山野 2009, p.65)。「戦後に朝鮮人が『戦勝国民』『朝鮮進駐軍』と自称して日本全国で暴れまわっていたこと 朝鮮半島でも朝鮮人が多くの日本人に対し虐殺や強姦などしていた歴史については 日本人はほとんど知らない」(山野 2009, p.87)
^ 「一部の朝鮮人が『解放民族』を称してしばしば集団的に実力行使をした。」(金昌烈 2003, p.23)
^ 「日本の敗戦によって自分たちは『解放国民』となったとの認識から、日本の法に従う必要がないという意識が強く、」(金賛汀 1997, p.152)
^ 「公安調査庁坪井豊吉氏は、終戦間もないころの在日朝鮮人の犯罪状況について『法務研究』に次のように書いている。(中略)各地の保安隊、警備隊(朝連の自衛組織)などの警察類似行為、(中略)などがみられた」(若槻 1989, p.193)
^ 「朝鮮人帰国同胞救護会(中略)は『(中略)恰も警察と協力するかに装ひ』、隊員一五名の『自治隊(コリアンポリス)』を組織し、警察類似行為をおこなっていたという(一四一)。」(出水 1993, p.17th)。「バリケード(中略)の警備・検問には、日本の警察官や占領軍兵士とともに救護会『自治隊』員も参加していた(一三、(中略))。(中略)そのような行動が日本当局や占領当局によって『容認』されていたのであった。(後略)」(出水 1993, p.18th)
^ ただし、朝鮮進駐軍という名称が当時実際に使用されていたことを示す史料は、これまでWikipediaには報告されていない。

出典
^ 「『朝鮮進駐軍』を僭称(せんしょう)した一部の朝鮮人たちは、」(野村旗守 「ザ・在日裏面史! 朝鮮人タブーのルーツから新・在日問題まで」(野村、宮島、李策、呉、浅川他 2006, p.86))
^ 「これまで過酷な労働で軍部から抑圧されて来た朝鮮人、台湾人たちの一部は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。」「こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身に着けていた。袖に腕章をつけ、(中略)腰には拳銃をさげ、」(田岡 1982, pp.173-175)。「これにくわえて一部の悪質な米兵の暴行も目にあまった。(中略)米軍(中略)が神戸へ進駐してくると治安はさらに悪化し、」(田岡 1982, p.175)
^ 鄭 2010, pp.64-68
^ 宮島理 「戦後進歩派メディアが在日を『聖域』にした!」(野村、宮島、李策、呉、浅川他 2006, p.73)

参考文献
出水薫、1993、「敗戦後の博多港における朝鮮人帰国について : 博多引揚援護局『局史』を中心とした検討」、『法政研究』60巻1号(1993年11月)、九州大学法政学会、ISSN 0387-2882 pp.71-101. 「『局史』からの参照・引用註(中略)を( )にくくって本文中に折り込む。」 (p.1st)
金賛汀(キム・チャンジョン) 『在日コリアン百年史』 三五館、1997年。ISBN 4-88320-130-9。
金昌烈(キム・チャンヨル) 『朝鮮総聨の大罪』 宝島社、2003年。ISBN 4-7966-3552-1。
田岡一雄 『山口組三代目 田岡一雄自伝 電撃篇』 徳間書店〈徳間文庫〉、1982年。ISBN 978-4-19-597322-6。
鄭大均 「第三章 戦後イメージの原型 『〈悪者〉のイメージ』」『韓国のイメージ 増補版』 中央公論新社〈中公新書〉、2010年、pp.63-71。ISBN 978-4-12-191269-5。
野村旗守、宮島理、李策、呉智英、浅川晃広他 『嫌韓流の真実!ザ・在日特権』 宝島社〈別冊宝島〉、2006年。ISBN 4796653295。
若槻泰雄 『韓国・朝鮮と日本人』 原書房、1989年。ISBN 4-562-02073-3。
『朝鮮問題戦後資料』第一巻、神谷不二(編集代表)、日本国際問題研究所、1976年。


写経屋の覚書-フェイト「『ただし、朝鮮進駐軍という名称が当時実際に使用されていたことを示す史料は、これまでWikipediaには報告されていない』って文章が編注に移動してるね。それと参考文献が増えてるよ」

写経屋の覚書-はやて「出水論文?ああー、獄長日記でもちらっと出とったアレやな。『法務研究』は坪江豊吉の執筆やけど若槻からの孫引きやねんなぁ」

写経屋の覚書-黒なのは「正直なところ、孫引きじゃなくて出典元に直接当たれって言いたいところなの。その気があれば坪江の著作は調査確認できるんだからね。あと編集ノートを見るとひどいことになってたよ。『別冊宝島 嫌韓流の真実!ザ・在日特権』を『公刊された資料』として『しっかりした出典』だなんて言ってるし。史料批判って知らないのカナ?」

写経屋の覚書-フェイト「作者は泥仕合に加担する気はないので、生温かく見守って嘲笑するだけにするみたいだよ…」

写経屋の覚書-はやて「もし作者が書くんやったら『朝鮮進駐軍:戦後に不法行為をした朝鮮人集団が名乗ったとされる名称。但し、その実在を証明する信頼できる史料は現在発見されていない』っちゅう程度やろね」

写経屋の覚書-なのは「あとは『マンガ嫌韓流』『マンガ嫌韓流4』でも『朝鮮進駐軍』という言葉は出てくるけど、これもやっぱり論拠が書かれてないし、『朝鮮進駐軍』実在の根拠にはならないねぇ」

写経屋の覚書-フェイト「えーっと、『マンガ嫌韓流4』のp70・p80に載せてる事件は全部テキストDの主な事件一覧から抜き出したものだよ。つまりただの朝鮮人集団不法行為ってことだね」

写経屋の覚書-はやて「それも削除される前のウィキペディアを見て描いたんやろなぁ」

写経屋の覚書-なのは「うん。朝鮮人の集団不法行為が存在したのは事実なんだけど、無理に『朝鮮進駐軍』なんて実在しない名称をつけてまとめる必要なんてないんだよ。これって『従軍慰安婦』と同じでかなり非論理的な愚行なんだよねぇ」

写経屋の覚書-はやて「『祖父が確かに言っていた』『大叔父がメンバーだったと告白してた』とかいう証言の類を持ってくる連中もおるんと(ちゃ)うん?まぁ、言うのは勝手やけど、それを裏付ける史料がないと無意味やねんけどね」

写経屋の覚書-なのは「そういうこと。『朝鮮進駐軍』が出てくる唯一の史料になるテキストA・Bについて、南十字星(北斗星)や70歳地方議員の発言が、記憶違いや錯誤、思い込みはあるけどもある程度の事実を伝えているっていう前提で考えるんだったら、在日本朝鮮人連盟葛飾支部の構成員が仲間内だけで自称『朝鮮進駐軍』グループをつくっていて、地元ではその名称が部外者にも知られてたけども、死者が出るような大きな事件も起こさなかったため、他の本部や支部、警察やマスコミ関係者にはその存在が知られなかった、ということはあり得るのかもしれないね」

写経屋の覚書-はやて「在日本朝鮮人連盟葛飾支部?そんなんあるんや…あ、1947年10月11日時点で1,068人が所属しとる。東京本部管内に10個ある支部のなかで足立支部(2,608人)・荒川支部(1,600人)の次に大きい支部なんやね」

写経屋の覚書-フェイト「南十字星(北斗星)や70歳地方議員は葛飾の出身だもんね。まだ小さくて世間的視野や行動範囲が狭い年頃だから、葛飾であったことは世間一般でも当たり前のことと思い込んでても不思議じゃないよね」

写経屋の覚書-はやて「そやなぁ。中学生くらいまでは、自分の住んどる所、校区、生活圏の慣習とか方言は世間全体でも常識やと思いこんどることはあるやろね、それと、南十字星(北斗星)の文章からしたら70歳地方議員は当時15歳くらいやから、なんぼ頭良ぉても、情報インプットや保存の時点で割と残念な感じになってまうことはあり得るやんなぁ」

写経屋の覚書-フェイト「阪神教育事件の時に、米軍憲兵が出動したのを戦闘部隊が出動したと勘違いしたとか、非常事態宣言を戒厳令と混同したとか、大阪神戸だけの話なのに全国各地でそういう事態があったと思い込んだとかいう感じだね」

写経屋の覚書-なのは「ま、そういう形で実在したとしても、『保安隊』『自治隊』といった朝鮮人行動組織の一つでしかないから、『朝鮮進駐軍』を朝鮮人行動組織の代名詞や代表的存在にすることはできないんだけどね」

写経屋の覚書-フェイト「『四国愛虎会』が全国の阪神タイガース私設応援団の総称・代表だと主張するくらい無茶な話だよね」

写経屋の覚書-黒なのは「そんな感じなの。何にしても、これはあくまでも可能性の上に可能性を積み重ねた妄想一歩手前の話だしね。だいたい、検証してわかったようにテキストA・Bはグダグダで使えないシロモノだし、ぶっちゃけた話、東郷が李舜臣を讃えたことを証明するのと同じくらい無理ゲーだよネ」

写経屋の覚書-はやて「なのはちゃん、作者の本音ぶっちゃけ過ぎやでw」

写経屋の覚書-なのは「今シリーズで検証したもの以外のソースがあればいつでも調査するけど、『朝鮮進駐軍』の実在を主張する人がちゃんとした根拠史料を提示しないと話も始まらないよね。じゃ『朝鮮進駐軍』そのものについての検証は一応これで完結とするね」

写経屋の覚書-フェイト「いちおう?」

写経屋の覚書-なのは「うん。次は、戦後、実際に朝鮮人が何をしたかを見ていくんだよ。でも取りかかるのは来年からだよ」

写経屋の覚書-フェイト「先の方でも言ってた『実在した集団や集団不法行為については、またそれはそれで別に取り扱って考察する』ってことだね」

写経屋の覚書-はやて「もうちょっとだけ続くんやw」

映画『残侠』―『朝鮮進駐軍』検証―

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