DAS MANIFEST VOM ROMANTIKER -5ページ目

大阪旅行記① 品川から車中まで

先日、大阪に出掛けた。難易度の高さゆえ演奏頻度の低い伊福部昭「リトミカ・オスティナータ 」を飯守泰次郎が指揮するというので(オーケストラは大阪を本拠地とする関西フィル )、これを逃す手はないと思って遠征することにしたのだった。飯守はバイロイト(毎年ヴァーグナーの音楽祭が開かれている)で研鑽を積んだことからヴァーグナー演奏に定評が高いが日本人作品にも力を入れており※、特に芥川也寸志(伊福部門下)の管弦楽作品を網羅的に収録した芥川也寸志forever では自作自演盤 をも凌ぐ見事な演奏を披露している。

※飯守が常任指揮者を務める東京シティ・フィル の「ティアラこうとう定期演奏会」では、演目に日本人の作品を必ず入れるのが慣例となっている。

一度大垣夜行(現在は『ムーンライトながら』と改称)に乗ってみたかったので、好機到来と切符を買った。しかし夜行なので出発時間が遅い。煽りを食って品川で深夜まで私に付き合わされたのは親友の S だった。観念に淫して思想だの音楽だのに惹かれてばかりいる私と違い、S には視覚的なものに対する関心が一貫して流れている。ヨーロッパで喩えるなら、フランス人とドイツ人のようなものか(フランス人は視覚的な民族である、とよく言われる)。それなら、今度彼にドビュッシーを薦めてみようか。いや、短絡的過ぎるか。

S の笑顔に送られて、品川駅を出る。折角の電車の旅なので窓の外を楽しみたいところだが、当然暗くて何も見えない。横浜を過ぎてから見えるものといったら、闇夜に不夜城の如く浮かび上がるラブホテルばかり。他に何も見えなかったせいかも知れないが、東海道線沿線には何故かラブホテルが多い。それも遠くに見えるのではなく、線路のすぐ傍に立っている。車で乗りつけるなら分かるけれど、線路沿いにある必然性は?と訝しく思いながら、シートを倒して眠ることにした。起きてからの話は次回。

芥川也寸志forever/新交響楽団
東京音楽学校の卒業作品「交響管絃楽のための前奏曲」※から「赤穂浪士」などの映画音楽に至るまで、芥川作品を網羅的に収録。芥川は指揮も達者で(特に伊福部の管弦楽選集 は殆ど自作自演の如き感がある)自ら指揮した録音を多く残しているが、「絃楽のための三楽章」を除いては、私はこの飯守盤の方が好きだ。

※この曲のみ山田一雄が指揮している。演奏は全て、芥川が育てたアマチュアオーケストラ「新交響楽団 」による。

アメリカ合衆国の神

忘れないうちにメモしておこうと思うが、年頭の米議会「コーラン騒動」は国家と宗教について考える上でとても興味深かった。

騒動の簡単な経緯は次の通り。アメリカでは連邦議員に就任する際、聖書に手を置いて宣誓するのが慣例となっているが※、ムスリムとして初めて下院議員となったキース・エリソン氏は宣誓の際に聖書ではなくコーランを使用。これに対して議院内外の保守派が反発した、というもの。

※少なくとも憲法にそうした規定は見当たらない。日本の国会法に相当する法律にはあるのかも知れないが、そこまでは調べなかった。 大統領も同様だが、宣誓文については憲法で定められている。

保守派が反発するということは、彼らが想定する神は、例えば理神論的におけるようなものではなく、明確にキリスト教の神であることを意味す る。一方で容認する人々もいるのだから、アメリカの「神」観もこの限りでは多様だということになろう。非キリスト教徒の大統領が誕生するということにならな い限りは、かえって突き詰めて考えない方が良いのかも知れない。

それにしても、エリソン議員が第3代大統領ジェファソン(1743-1826)蔵の英訳コーランを持ち出してきたと聞いた時には「やるなあ」と思ったが、このコーランはどういう出自のものなのだろう。井筒俊彦によれば「ごく最近まで、アラビア以外の回教諸国では、『コーラン』の翻訳ということは 禁止されていた」(岩波文庫の解説より)という。ジェファソンの時代に英訳のコーランを入手するのはなかなか大変だったのではなかろうか。

コーラン 上 岩波文庫 青 813-1 井筒俊彦訳、1957年
井筒はコーランの翻訳禁止について、「決して単なる宗教的頑迷といったものだけではなく」、「日常茶飯事を話題としてもどことなく荘重で、悲劇的な色調をともすれば帯びやすい」アラビア語の性質と、「人為的には仲々真似のできるものではない」文体上の技巧(鋭角的な語句の積み重ね、執拗に振り下される脚韻)によるものであるとする。

昨日の選挙について

(「機械」発言の影響を問われ)大きな敗因の一つだ。政策も戦略も吹っ飛んでしまった
ー中村明彦自民党福岡県連幹事長、北九州市長選確定後の発言

もっと女性の声が大きくなると思っていたが、必ずしもそうではない。腹の中では怒っていると思うが、なかなか日本人は行動に出ない
ー小沢一郎民主党代表、投票日当日の講演で

この二つの発言をどう読むか。昨日の選挙はずいぶん投票率が上がったけれど(愛知:38.91→52.11、北九州:38.32→56.57)、共に前回は無風選挙だったようなので投票 率の上昇は当然と言えば当然である。実際のところ「機械」発言の影響はどれほどのものだったのだろうか(無かった、と言うのではない)。小沢発言からは選挙期間中の手応えが思ったほどではなかったことが窺われるし、そもそも野党が失言をさかんに取り上げたのは負けた愛知の方だったという(一方、保守が強い愛知でこの結果は大健闘との評価もある)。民主党は相変わらず女性に不人気のようだけれど、今回の発言に不快感を持つのは女性に限った話ではないだろう。ここらへんもなかなか読みきれない。

投票率の上昇には、意外なところで「そのまんま」効果も一役買ったんじゃないかと想像するのですが、どうでしょうか。少なくとも「投票したって何 も変わらない」という雰囲気には一石を投じたのではなかろうか。ただ、現時点では人が変わっただけなので「誰がやっても同じ」という政治不信を払拭 するには実績が必要となる。期待されている分、東国原知事の責任は重い。頑張って欲しいと思います。

節分の思い出

節分になると、いつも高校1年生の時を思い出す。その時、僕は男子寮にいた※。子供というのは何でも遊びにしてしまうものだけれど、僕達は豆撒きを遊びにして楽しんだ。高校生を「子供」と呼ぶのは少々無理があるかも知れないが、僕らは遊びに飢えていた分、まだそうした稚気が残っていたのかも知れない。何しろ学年毎にテレビジョンが一台しかないという環境である。だから、その3年間については流行歌なんかの知識が完全に欠落している。娯楽と言えば、僕の周りでは映画。ちょっと古風な高校生活だった。

※実はその後も男子寮 にいた。特に深い意味はない。

ところで、北海道では豆撒きに落花生を用いる。これは合理的な家庭ならそこでもそうなのだろうと思いこんでいたが、どうやら北海道の風習らしい。最近では東北や信越地方にも広まっているようだ。「年中行事に合理性を持ち込むとはケシカラン」という向きもあろうが、これはこれで慣習に囚われない北海道らしさなのかな、とも思う。一方、節分の鬼と言えば赤塚不二雄、というのは北海道も変わらない。これもすごいことだ。

そんなわけで、節分には自習室毎に落花生が配られる。自習室というのは、寮におけるクラスのようなものだ。1年生は大部屋(通称百人部屋)で暮らすので、自分の部屋はない。その代わり、いくつかに分けられた自習室に各自机が割り当てられる。20:00以降はそこで勉強しなければならないので(義務自習)、ここが寮での生活最小単位となる。

自習室には室長というのが存在するのだが、後期に室長を務めた彼は所謂「いじられキャラ」で、鬼にされてしまった。何故か上半身裸にされた彼に向けて、一斉に豆が放たれる。圧巻だったのはKだ。ハンドボール部所属の彼は、飛び上がって空中でフェイントをかけつつ、室長に豆を投じた。今に至るまで、あんな見事な角度から繰り出される豆を私は見たことがない。豆が肌に当たって立てる「ピチッ」という音が、今も耳に蘇るようだ。実際にはそんな音はしなかったのだろうけれど。

気が済むまで豆を投げた後は、落花生を拾ってみんなで食べた(豆の数はお構いなし)。室長が部屋の隅にうずくまって泣いていた、なんてことはなかったはずである。私にとっては愉快な思い出だが、実際のところ彼にとってはどうなのだろう。一度訊いてみたいが、もう久しく会わずにいる。

作曲家にとっての視覚

先日或る作曲家の新作を聴きに行ったら、プログラムに「私の最後の作品になるだろう」とあった。後日お話しする機会があったので「もう作品をお書きにならないのですか」と尋ねたところ、「もう僕は目がほとんど見えないからね」という答えが返ってきた。

「口述筆記では駄目なのか」という思いが脳裏を過ぎったが、よく考えてみればこれは無理な話だ。楽譜というのは、専門教育を受けていなければ正確に写譜をすることさえ難しいものであるらしい※。新たな曲を作るとなれば何をか言わんや、である。適任者を見つけるだけでも大変だろう。

※武満徹「弦楽のためのレクイエム」の楽譜について、「作曲の専門教育を受けていない夫人(武満浅香ー引用者注)の浄書は、それにしては実に立派にできているものの、残念ながら多くの写譜ミスを含んでいる」という指摘がある(『レコード芸術』2006年12月号 、長木誠司の連載)。

ベートーベンの有名な逸話があるために、作曲家にとって欠くことの出来ない感覚は聴覚とばかり思いこんでいたけれど、それには限らないようだ。例えば著述業ならば口述筆記は可能であろうし(これとて誰でも出来るわけではないが)、点字で調べものをすることも出来ようが、作曲家は同じようにはいかない。

盲目の作曲家も、いるにはいる。例えば「春の海」で知られる宮城道雄である。彼は点字タイプライターを用いて作曲をしていたようであり、その写真が残っている。しかし、門下生の小野衛が「宮城道雄にはオーケストラの作曲はできないのであった」と証言している。実際、宮城は箏とオーケストラのための協奏曲を4曲残しているが、管弦楽パートは全て他人の手によっている※。これは視力によるのか宮城の管弦楽についての力量によるのか分からないが、少なくとも器楽曲ならば視力がなくとも作曲が可能であるということだけは言えようか。

※『越天楽変奏曲』 近衞秀麿、直麿編曲
 『神仙調箏協奏曲』 菅原明朗編曲
 『壱越調箏協奏曲』 下総皖一編作
 『盤渉調箏協奏曲』 松平頼則編曲  

 以上、小野『宮城道雄の音楽 』より。なお壱越調など雅楽の調についてはこちら

ここでは思うままに文章を綴っただけであって、「だから視力が衰えても作曲して欲しい」などと不遜なことを言うつもりで書いているのでは決してない。念のため付け加えておく。

表記について(ローマ字、片仮名)

伊福部昭の同志早坂文雄は、自らの名前のローマ字表記を”Humiwo”としていた。「フはハ行だから子音はH」という考えに基づいてのことであったという。一見どうでもいい話に思われるかも知れないが、そうでもない。

先日コメント をやり取りしている中で「F社」(例のお菓子屋さん)という言葉が出てきたのだが、一瞬、それが指示する会社名が出てこなかった。思い浮かぶのはフリューゲルスだのフォンテックだの、横文字ばかり。これは、少なくとも私の頭の中では F と日本語の「フ」が結びついていないことを示している。となると、同じローマ字でもヘボン式よりも訓令式※の方が良いのではないかという話が出てくる。

※「フ」の表記は、ヘボン式が”fu”、訓令式が”hu”。

表記についてはもう一つ気になることがある。それは「ヴ」のことだ。例えば、最近ではBeethoven を「ベートーヴェン」と表記するのが主流であると思われるが、本当に「ベートーヴェン」と発音しているだろうか。日本語で口に出して言う時は、「ベートーベン」と言っていることの方が多いのではないだろうか。更に言えば、英語では「ベートーヴェン」※と発音するかも知れないが、原語のドイツ語では「ベートホーフェン」といった音である。こうなると「ヴ」の自明性は薄れていく。他の例で言えば、「インタヴュー」はどうか。ほとんどの人は恐らく「インタビュー」と発音しているのではないか。

※或いは「ベイトウヴェン」の方が近いか。しかし片仮名にするとえらく読みにくい。

ただ、何でも彼でも v(ドイツ語なら w)の音は「バビブベボ」だと言うつもりもない。例えば Wagner を「ワーグナー」でなくわざわざ「ヴァーグナー」と表記する時、これを「バーグナー」と発音するだろうか。「ヴェーバー」にも同じことが言える。これは「ベートーベン」とはまた異なる問題を含んでいると言えよう。梅棹忠夫が日本語について、「現代の文明語で、正字法をもたない言語というのは、ちょっと類がないのではないだろうか」(『知的生産の技術 』1969年)と指摘しているが、この問題はその一端を示しているように思う。

Humiwo Hayasaka: Piano Concerto; Ancient Dances
黒澤明の映画音楽で知られる早坂文雄の交響作品集。最初に収録されているピアノ協奏曲の第1楽章は、日本人の作品としてはちょっと類がないほど息の長い音楽。また、2曲目の「左方の舞と右方の舞※」冒頭の木管の響きは、伊福部「リトミカ・オスティナータ 」のやはり冒頭のホルンに通じるような気がするが、どうだろう。

※それぞれ、雅楽の「左舞」「右舞」に由来する。但し、あくまで着想を得たのみであって旋律等を借りたのではないという。

地域、言語、宗教

ひょっとするとスコットランドが独立するかも知れないという。今年5月に同地方議会選が予定されているのだが、そこで同地域の独立を標榜するスコットランド国民党 Scottish National Party が多数を占める可能性が濃厚だというのだ(以上、今月7日の毎日新聞「時代の風」欄より。執筆者は浜矩子)。

同地域が「大英帝国」に併合されたのは丁度300年前の1707年。場合によっては300年経ってもアイデンティティが消失しないというのは実に面白い。300年前というと、日本は徳川綱吉の時代。「生類憐みの令」真っ直中である。1705年には伊藤仁斎が没している。

世界の他の地域におけるアイデンティティ事情はどうなっているのだろうか。例えばドイツの中で「地域アイデンティティ」が最も強いのはバイエルンであろうが、これがプロイセン主導のドイツ帝国に組み込まれたのが1871年(バイエルン王国自体は1918年まで続いた)。約130年が経過したが、「バイエルン人」という感覚は残っているらしい。スコットランドほど強烈ではないと思われるけれど。

ドイツのお隣フランスでは大統領候補ロワイヤルが失言を重ねているらしいが、その一つは常に独立が取り沙汰されるカナダのケベック州(フランス語圏)に関するものだった。これは地域アイデンティティでもあるが言語アイデンティティと解することも可能だろう※。現在のカナダの原型が成立したのは1867年。ドイツ帝国の成立に近い。なお、大政奉還も1867年の出来事である。

※ドイツも、元来は言語共同体であったと言い得る。ドイツという国が出来る前からドイツ語が存在したのだから。

また、今のイラクを眺めているとアイデンティティの根拠が地域や言語に限らないと気づかされる。彼の地では、どこに住んでいるかよりシーア派かスンニ派かということの方が意味を有するようだ。

おすすめ演奏会


ノッポさん
すごい演奏会を見つけてしまった。ノッポさんがプロコフィエフの「ピーターと狼」をやるらしい。更に、ラデツキー行進曲(ニューイヤーコンサートで必ず演奏される、あの有名な曲)はノッポさんのタップ・ダンスつきだそうだ。ちょっと気になる。

この「ピーターと狼」という語り付の音楽は、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」と並んで子供のためのクラシック音楽入門曲として知られており、これまでも様々な人によって演じられてきた。シャロン・ストーン がやったのもあるし、クリントン、ゴルバチョフと冷戦終結祝祭管弦楽団(ウソ)による豪華盤 も存在する※1。因みに私が持っているのは、熊倉一雄※2とト ニー谷が出演する山田一雄盤 (カップリングは岸田今日子の『ヘンゼルとグレーテル』)。

※1 厳密に言うと、二人が「ピーター」をやっているのではない模様。詳しくはこちら
※2 「ひょっこりひょうたん島」の海賊トラヒゲなどで知られる声優。

ところで、「ピーターと狼」の後にノッポさん作詞による「グラスホッパー物語」 を演奏するらしいのだが、このノッポさんがすごい。と言うか怖い。

グラスホッパー物語

「報道機関を名乗る資格がない」だと!

今日の毎日新聞の社説は、「報道機関を名乗る資格がない」であった。何を言うか、と思う。毎日新聞だって捏造記事を放置しているのだ。伊福部昭が亡くなった時、同紙は梅津時比古専門編集委員の記事を掲載したが、その中に「交響曲 オホツク海」なる存在しない曲への言及があった。私は訂正を求めて手紙を出し、梅津記者と直接電話もしたが、未だに訂正はなされていない(詳しくはこちら )。

社説の中に「ねつ造が引き起こした社会的な影響の大きさという意味から、今回の番組は特に悪質だ」という表現があるが、こうした経緯故に、じゃあ社会的な影響が小さければ抗議は握りつぶせばいいと思っているのだな、と悪意的に解釈してしまう。実際、企業で広報を担当した方から「新聞は裁判で勝たない限り訂正しない」と聞いたこともある。

これは企業も含めての話だが、極論すれば、彼らは人が死にさえしなければ何をしても良いと考えている。もちろん、個々人レベルではそんなことを考えている人はほとんどいないだろうが、集団としての行動を見た時、基準がそこにあると思われても仕方ないことがよくあるのではないか。私の経験で言えば、東芝EMI という会社もそうである(クレンペラーのCDの製造ミス)。

最近ではこんなこともあった。昨年12月中頃、ガスターという会社の風呂釜に欠陥があることが報じられたが(ガスターHP )、私の部屋の風呂釜が正にそれなのである。電話をしてみたら1月中旬(!)には部品交換をするという話だったが、まだ修理に来ない。昨年はパロマの事故があったからガス業界は敏感になっているのかなと思ったら、そうでもないらしい。

話を新聞に戻そう。人の批判ばかりしていると、いつの間にか「正義は(常に)我にあり」という錯覚に陥ってしまう。人の資格を云々するような物言いにそれが表れている。更に言えば、これは個人の行動にもありがちなことだ。人前で発言する以上正しいと信ずるところを堂々と述べるのは当然のことであるが(そうでないなら口を閉ざすべきだ)、その態度が一線を越えてしまわないように、よくよく心してかからねばならないと思う。

死刑を前にした二人-サダムと幸徳秋水

明治時代に関心がある人なら、サダムが処刑されたというニュースを聞いて大逆事件(1910-11)の幸徳秋水を想起したのではないか。サダムは判決から4日で刑が執行されたが、秋水は6日だった。この日数は、両者が当時の政府にとって如何に危険な人物であったかを示唆しているのだろう※。一方、裁判に要した時間は秋水の方が短かった。サダムは拘束から処刑に至るまで3年を要したが、秋水の検挙から死刑までは8か月であった。

※飛鳥井雅道は、「いかに大逆罪とはいえ、ふつうは判決後、執行まで一、二ヵ月はありそうなものだった」と記している(『幸徳秋水―直接行動論の源流 』)。

その死刑判決が世界的な意味を有したことも両者の共通点である。パレスチナではサダムの死刑に反対する声が上がり、死刑を廃止したヨーロッパ諸国は判決をどう受け止めたら良いのか戸惑っているようだった。秋水の場合、アナキスト等が中心となって欧米で抗議運動が展開された。特に、ロンドンのアルバート・ホールで開かれた集会には2万人(一説には1万5千人)が集まったという。

秋水は獄中に於いて「生前の遺稿」として『基督抹殺論』を書き上げ、尊敬する哲人ジャーナリスト三宅雪嶺に序文を依頼した。雪嶺は序文の中で、「生前の遺稿」という表現を捕えて「其の師たりし中江兆民の、死に瀕して無心無霊魂論 を著ししと、相照応せずとせず」と述べ、彼のように師恩を忘れぬ者が大逆を試みることがあろうか、と秋水を擁護する。また「神の子を抹殺せんとするような人物が大逆を企てるのは当然」という非難を想定し、同時代アメリカの雄弁家にして不可知論者のロバート・インガソルを取り上げて、彼はキリスト教を攻撃しつつも並の宗教家が及ばない功績※を残したではないか、と反論している。意を致した文章だと思う。

※彼の格言は、今日においても引用されることがあるようだ。

雪嶺の序文を読んだ秋水は感激して、高島米峰※に宛てて「先生の慈悲、実に骨身に沁みて嬉しく、何となく暗涙が催された。僕は、此引導により、十分の歓喜、満足幸福を以て成仏する」と手紙を書いた。罵声の中で死なねばならなかったサダムとは対照的だったのではないかとも思うが、どうだろう。

※『基督抹殺論』を出版した丙午出版社の社長を務めていた。