私の September 11th | DAS MANIFEST VOM ROMANTIKER

私の September 11th

アメリカ人の9割以上が「あの時私はどこにいたか」を鮮明に覚えているそうだ(米国孤立させぬ工夫を 、毎日新聞9月10日東京朝刊)。現代社会での出来事であるから、私も「あの時」を共有した。それを書き記してみる。

あの時私はノルウェイの森 ※に住んでいたので、秋の体育祭に向けてのマラソン練習をしているところだった。確か、当時は携帯電話にニュースが配信されるようになったばかりの頃だったと思うのだが、練習が始まる直前に誰かが「ニューヨークで飛行機がビルに突っ込んだらしいよ」「マジ!?んなわけないじゃん」といった会話を交わしていたのを覚えている。

※和敬塾という学生寮。ノルウェイの森の舞台だが、男塾 っぽくもある不思議な場所。

走り出したらそんなことはすっかり忘れていたのだが、練習が終わって部屋に戻ると大変なことが起きていた。みんな誰かの部屋に集まって、テレヴィジョンにかじりついていたと思う。事件直後は情報が錯綜していて、「ハイジャックされたのは計11機」という報道もあった。NHKでは、現在は作家となった手嶋龍一ワシントン支局長が朝まで(その後も)出ずっぱりであり、その間私はM君とやはり朝まで話していた。何を話したかは忘れてしまったのだけれど。S君に電話もした。彼は「いつかけてくるかと思ってたよ」と笑っていた。和敬塾のすぐ傍には当時外相だった田中真紀子が住む田中邸(いわゆる目白御殿)があるのだが、特に何事も起きなかった。

その後 9.11 を強く意識したのは2年後。ドイツの金融の中心地はフランクフルトなのだが、そのフランクフルト証券取引所を見学しようとしたところ、守衛に「許可が必要だ」と言われた。「ガイドブックには自由に入れると書いてあるぞ」と返すと、彼は「ゼプテンバー※・イレヴンス」とか何とか言っている。何が9月11日だ、そんなもん知るか・・・・・・としばらく考えているうちにようやく話が飲み込めた。どうやら米同時多発テロ以降は許可制になったということらしい。私の持っている『地球の歩き方 』は金額がドイツマルクで表示されているような代物だったから、そんなことが書いてあるはずもなかった。

※「セプテンバー」じゃなくて「ゼプテンバー」なのは、ちょっとドイツ訛りなのだ。

それから日本に帰るとイラク戦争が始まり、駅からはロッカーとゴミ箱が消えた。そうとは知らず、私はロッカーをあてにしてウォーキングシューズで隣の駅まで行って酷い目に遭ったことがある。ウォーキングシューズをロッカーに入れて、そこで革靴に履き替えようと思ったのだが、その試みはテロ対策によって粉砕されてしまったのだった。

私の「あの時」はこんなところです。