親友の事をうやむやにしたくない! ~4~(終) | ★小細胞肺癌の父と家族の物語★

★小細胞肺癌の父と家族の物語★

2013年5月に小細胞肺癌(Ⅲb)と診断され、その後脳転移、そして2014年6月には、骨転移と癌性髄膜炎にもなり、同年8月7日父自身の誕生日が命日となりました。最悪な状況の中でも、最期まで前向きに諦めなかった父と、その家族の日々の出来事などを綴っていきます。

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親友の事をうやむやにしたくない! ~1~



親友の事をうやむやにしたくない! ~2~



親友の事をうやむやにしたくない! ~3~



親友が永遠の眠りについた後は、悲しむ時間を邪魔するかのように、父の時もそうだったけど、病院の嫌な部分は、一気に作業に変わってしまうこと。

早く病院を出て行って下さいと言われてるかのように、とにかく急かされます。


葬儀場の手配や支払い、荷物の運び出しなど・・・現実に戻されてとにかくバタバタです。


ただ親友のお清めの時間の時だけは、私もご家族の方達と一緒にお手伝いさせてもらって、この時間だけはゆっくりと親友に、色々声をかけながらする事が出来ました。


とても綺麗好きだった彼女・・・

体も髪も綺麗にしてお化粧もしてたら、今までの苦しくて辛かった事から、解放されたかのように安らかな表情になり、しかも笑顔になったんです。

本当に綺麗でした。


でも彼女は思い残す事が本当に沢山あったと思います。

大切なご家族の皆さんの事・・・そして私の命と言うぐらいに、大事に大事にしてた娘さんのこれからの成長を、誰よりも楽しみにしてました。


未来を心に色々描いてたと思います。



だからこそいい加減な対応で、一つの命を粗末に扱われた事が、どうしても許せなかったんです。

もしも自分の大切に思う人が、同じような事をされたらどう思うのでしょうか。





先日までやってたドラマ

ドクターXで

【医者からすればたくさんいる患者の一人かも知れないけど、患者からすれば医者はあなた一人】

というような言葉だったかな・・・あれは本当に共感しました!!



あの耳を疑うようなひどい言葉を言い放ち、管も点滴もはずしたままで、それ以降一切病室に来る事はなかった女医!!!



病院でのお別れの時は、診察も始まってる時間だったので、その日が診察とかなら無理だとは思いますが、緩和病棟の方が勢揃いでお見送りをしてくれた中でも、やはりいるはずもありませんでした。




緩和病棟からそのまま父の病棟に行くと、担当の看護師さんがいたので目が真っ赤に腫れてる私を見てすごく心配してくれて

「ヒマリさんちょっとデイルームでお話しましょうか。」

と言ってくれたので

これまでの経緯を全て話したら


看護師)「それはご家族の方は納得されてますか?」


私)「納得するも何も、管も点滴もはずされて、あのように言われて、急にあんな形になってしまって、それから一切病室も来ないから、ご家族の人達は何も言ってませんけど、快くは思ってないと思いますよ。ご家族の人が何も言わなくても、私はこういう医師がこの病院にいた事が、ショックで最悪だと思ってますけどね!!」


看護師)「治療に関しては、病状が詳しくは分からないので、それはなんとも言えないですが、医師の発言や行動はこれはかなりの問題だと思うので、病棟が違いますが、師長に話してもいいですか?もしかしたら場合によっては、大ごとになってしまうかも知れないですけど。」


と言われたので


私)「別に嘘をついてる訳ではないし、たった今あった真実を話してるだけなので、構わないです。緩和で聞いても実際に起きてる事なので、色々分かると思うので、よろしくお願いします。」

と伝えました。


そして看護師さんは、全く関係ないのに同じ病院で起きた事なので、本当にごめんなさいとまで言ってくれました。



後日父の病棟の師長さんは、この件で怒ってたと聞き、父の担当医も知ったようで

「お友達の事で、本当に辛い事がありましたね。ご家族の方達は大丈夫ですか?」

と励ましてくれましたが、同じ病院でも病棟が違うので、どこまで話が伝わったのかは分かりません。


それ以降その話が出る事もありませんでした。


そしてあの日以降ご家族へも病院からそういう話は一切なかったようです。



このまま何もなかったで済まされようとしても、この事は私達の心から絶対に消える訳ではありません。



時間が過ぎて、親友の事が風化されるのだけは避けたかったので、すぐに病院の投書箱にきちんと書いて伝えようとも考えてましたが、私の勝手な行動で、ご家族の方達にご迷惑がかかるのも嫌でしたし、父もこの時にはすでに大変危険な状態であったので、自分にも余裕がなくなってしまい、父の担当の看護師さんに伝えるだけが、せめてもの救いだった気がします。



ただ父の場合は、担当医でも代理の医師でも、看護師さんなども、とにかく周りの環境に恵まれて本当に親身になって良くして頂きましたので、それに関しては感謝の言葉しかありません。



でも運が悪すぎたと思うしかないのでしょうか・・・

入院したあの日に、彼女の担当医がいてくれたら、もしかしたら色々と違ってたのかな?

腹水の事とかも・・・とも思いました。



私も以前、医療関係の仕事をしてた事があるので、病院の仕事などの大変さはすごく分かります。

でも患者や家族は病院にかかれば、頼れるのは医師だけです。

どうかこれ以上、こういう事が二度と起きないようにと願うばかりです。



親友は旅立ってからも、すぐに父の夢に何回か出てきて

「おじさん頑張ってね!まだこっちに来ては駄目だよ」

と笑顔で励ましてくれてたらしいです。

父が泣きながら何度も話してたので、旅立っても気にかけてくれてたんだと思います。


本当に彼女らしいですニコニコ



形見分けでもらった、彼女が愛用してたアクセサリー



私の一生の宝物です宝石ブルー



大好きだった親友の事を支えられなかった分、今度は私がご家族の方達の事を、少しでも支えられる存在になれたらと思います。


この事を書いていいと了承してくれた、ご家族の方達に感謝しています。



長くなってしまいましたが親友の話はここまでです。

読んで下さいまして本当にありがとうございました。




今年の6月にブログを始めて、本当に沢山の方達と交流する事が出来ました!!

父と同じ病気と闘ってる方、違う病気と闘ってる方、そしてその方を支えるご家族の方・・・


コメントやメッセージでも、温かいお言葉を頂いたりと本当に嬉しかったです。

沢山勇気や希望をもらったり、励みや支えになりました。

本当にありがとうございました!!


沢山の出逢いの中で、悲しい事も沢山ありました。

ブログを見て、号泣した事もありました。


今も闘病されてる全ての方が、良い病院や医師、そして治療に出逢い、一日も早く快復される事を、心から願ってます。

そして皆様にとって、2015年が嬉しい事や楽しい事でいっぱいの、幸せな一年でありますようにお祈りしています。


少し早いですが、皆様良いお年をお迎え下さい。




長文ですが、読んでくれてありがとうございます♪

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