親友の事をうやむやにしたくない! ~3~ | ★小細胞肺癌の父と家族の物語★

★小細胞肺癌の父と家族の物語★

2013年5月に小細胞肺癌(Ⅲb)と診断され、その後脳転移、そして2014年6月には、骨転移と癌性髄膜炎にもなり、同年8月7日父自身の誕生日が命日となりました。最悪な状況の中でも、最期まで前向きに諦めなかった父と、その家族の日々の出来事などを綴っていきます。

ダウンダウンダウンこれまでの内容ですダウンダウンダウン



親友の事をうやむやにしたくない! ~1~


親友の事をうやむやにしたくない! ~2~




親友が緩和病棟に移った、次の日の朝6時半頃に、お姉さんから電話があり


「○○が危篤なので、今から来れますか」


との言葉に頭の中が一気に真っ白になり、信じたくなくて失うのが怖くて、体の震えがずっと止まりませんでした。


7時過ぎに旦那に病院まですぐに送ってもらい、緩和病棟に入り、彼女の部屋まで看護師さんに案内してもらうと

ご家族全員揃ってて、酸素の管を通してる状態で、意識不明の状態で、いつもの彼女の姿は全くありませんでした。


心電図モニターは、緩和病棟だからかは分かりませんが、ありませんでした。



ご家族の方が

「良かったー○○!!ヒマリちゃんが来てくれたよ!会いに来てくれたよ!」

って言ってくれて


私は我を忘れて泣きながら、必死に彼女の手をマッサージしながら名前を呼びました。


何度も何度も・・・

彼女に気付いてもらえるように・・・みんなで何度も何度も声を張り上げて呼びかけました。


首に脈を感じて、ドクンドクンと動いていたので

その時はそれだけでも嬉しかった。

彼女が、頑張って生きてくれてるって感じられたから・・・。



手足をみんなでマッサージしてると、少し冷えてたのが、数日前に会いに行った時と同じように、温かくなって首の脈もよく動いていたので、絶対にまた目を覚ましてくれると思ってました。


少ししたら突然ガラーと勢いよく扉が開いて

私担当医ですと言って、あの女医が入って来ました。



そして聴診器で心臓の音だけを聞いて、いきなり


「心臓の動きが止まりましたので、死亡確認を取らせて頂きたいのですが、どなたか他に呼ぶ人はいませんか?」


との言葉に、お母さんやお姉さんは


「大切なお友達にも来てもらえたので、もう大丈夫です」と言った後に


女医は

「では時間の確認をしますので、少しお待ち下さい」

と言って、酸素の管と点滴を抜いて、部屋を出て行ってしまいました。


私はおかしいと思いました。

首の脈がまだ動いてるのに、目の中や首の脈の確認もしないで死亡?って・・・


ドラマの影響もあるのかも知れないのだけど、そこまで確認してから死亡と判断すると思ったので。


私はご家族の方達に

「まだ首の脈動いてますよね?生きてますよね?これってもう駄目なんですか?」

と泣きながら言ったら


みんなも驚いて本当だ!まだ息してるって気付いて、走ってお母さんは女医を呼びに行きました。


そしたらお母さんと女医が病室に戻って来て、そこで言った女医の一言!!!!


「あっ本当ですね!まだ息してますね。でもこれ以上は良くならないので、手でも握って声をかけてあげて下さい」


淡々と言い放ち、嫌そうな顔をして病室を出て行きました。


これ以上良くならないから手でも握っててあげて下さい?

こんな事を言う人って実際にいるんだって思いました。


自分のミスを一切謝ることなく、すぐに部屋を出て行くのは普通ではないと思いました。



そして私は以前彼女から聞いてた親身で時には厳しいこともハッキリと言ってくれる担当医で、そんな先生が私は好きだと言ってた話とは随分女医のイメージが違ったので、ご家族の方に聞いたら


「あの先生は担当医ではないよ。○○先生って人が担当医だから。」

と言われてショックでした。



私担当医ですと言って、最初ノックもしないでいきなり勢いよく入って来たのに、担当医でも何でもなかった・・・担当医がいなかったからただの代理??だったと・・・。



それから緩和病棟の担当の男性の先生が入って来て


「どうですか?」


と言われたのでこの事を私が半分怒り口調で伝えたら

聴診器で心音、首の確認などもして、先生も驚いた感じで


「まだ生きてます!!!ちゃんと脈もあります!!!しっかり声をかけて手を握ってたら、温もりで起きるかも知れないので、皆さんでしっかり声をかけてあげて下さいね!」


と言われて、酸素と点滴もまたつけてもらいました。


はずされてからまたつけてもらうのに、5~10分ぐらいは経ってたと思います。


緩和病棟の担当医に対しても、一度出て行った後に

女医はこの事を何も言ってなかった

のかと思うと苛立ちさえ覚えました。


それから体がどんどん冷えて、首の脈が弱まって来て・・・

ついに首のドクンドクンと動いてた脈も止まってしまい、みんなで必死に手足や体を温めてマッサージしてたけど、彼女は二度と動くことはありませんでした。


午前8時22分に彼女は静かに旅立ちました。



あの時もしかして判断ミスされずに、酸素や点滴をはずされなかったら、親友はまた復活して目を覚ましたかも知れないし、1分1秒でも長く、ご家族の方達とも一緒にいられたかも知れないと思えば思うほど、腹も立ったし悔しくて仕方なかったです。



話はここで終わった訳ではありませんでした。






~4に続きます~






長文ですが読んでくれてありがとうございます♪

↓ランキングに参加してます。↓

良ければポチッと応援して頂けると嬉しいです(o^―^o)

にほんブログ村 病気ブログ 肺がんへ
にほんブログ村