親友の事をうやむやにしたくない! ~2~ | ★小細胞肺癌の父と家族の物語★

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2013年5月に小細胞肺癌(Ⅲb)と診断され、その後脳転移、そして2014年6月には、骨転移と癌性髄膜炎にもなり、同年8月7日父自身の誕生日が命日となりました。最悪な状況の中でも、最期まで前向きに諦めなかった父と、その家族の日々の出来事などを綴っていきます。

前回の内容はこちらですダウンダウンダウン


親友のことをうやむやにしたくない! ~1~



親友が緊急入院してから、父の病棟から親友の病棟に会いに行くのが、一つの楽しみでもありました。


正直父もその時は、体調もかなり悪化してて、毎日のように病院に行ってたので、普段は楽天的な性格の私でも、さすがに精神的に少し落ち込んでたというのもあったからです。



彼女は私のくだらない話にも、いつも爆笑してくれてました。


「ヒマリは本当に面白い~笑える~」

って本当によく笑ってくれましたニコニコ



私で役に立つ事は何もないのかも知れないけど・・・


今まで沢山励まして支えてくれた親友。

今度は私が楽しい話を、いっぱいしていっぱい笑ってもらって、NK細胞を沢山増やして、絶対に元気になってもらうんだって思ってました!!



入院した当日に母と会いに行き、次の日は1人で・・・この日は1時間半ぐらいいました。


その時はご家族の方達もいて、それまでは彼女も体調があまり良くなかったのが、少し冷えた体をみんなで一緒に、優しくマッサージしながら、父の面白い話とかをしてたら、少し苦しそうにしながらもお腹を抱えて笑ってくれました!!



笑ってたら多少気が紛れたのか、体調もその時少しだけ良くなったみたいで、手足も温かくなったと言われて、それが本当に嬉しくていつも以上にバカな事を言ってた気がします。


声はあまり出てなくて、話す時も小声になってしまってたけど、あの時の笑顔は今でも忘れられません。




その次の日の朝に

「昨日は本当にありがとう音譜

っていうのと他にも元気そうに入って来てたので、少し安心はしてました。


でも一つ気になったのは、今までメッセなどで誤字で打つことなんて全くなかったのに、誤字やひらがなの文字がすごく多くなってました。



その時も腹水は抜かれてました。




その次の日・・・


前日の事もあったので大丈夫だと思い、連絡とかはしないで、もう一人の仲の良いお友達がお見舞いに来てくれたので、驚かそうと思って、一緒に彼女の病棟に行ったら、旦那さんが体を擦ってて


今まで見たこともないぐらいに、顔色も悪くてお腹を押さえ込んでる彼女がいました。



また調子が良くなった時にと、この日はご挨拶だけして引き返しましたが、何かこの時嫌な予感がしました。




病院に行ってから、そのまま入院になってしまった親友。


最初は個室を希望してたけど、金曜の夕方でしかも土日祝も運悪く重なってた為、手続きもきちんとされないまま大部屋になってしまいました。



それから夜中などに、泣き声やうめき声などで、全然眠れなかったりとかで、日に日に体調も悪化して精神的にもかなり追い詰められてしまったので、他の部屋に移動しましたが、前よりも環境が悪かったようなので、急きょ【緩和病棟】に移動する事になってしまいました。



私は彼女の体調が少し落ち着くまでは、ご家族からの連絡を待つ事にしました。



緩和病棟で、少しでも穏やかにゆっくりと過ごして、精神的にも落ち着いたら、一般病棟に戻って、抗がん剤治療をするはずでした。



緩和病棟にいる間は、普段のようには治療は出来ないとの事ですが、父の事でも担当医から、何回か説明は受けてたので、少しは理解はしてるつもりでした。



精神的に良くなれば、体調も良くなって、緩和病棟から一般病棟に移られた方、そして退院された方もいると聞き、心配ではあったけど、少しでもストレスが軽減されれば、体調も少しずつ回復すると思ってました。



緩和病棟に移って、彼女は部屋の綺麗さや静かさに、とても喜んで嬉しそうにしてたらしいです。




でもまさか緩和病棟に移って、次の日にこんな事になり、そしてその時にあの女医の行動と言葉が、ずっと頭から離れられなくなる出来事が、訪れるとは思ってもいませんでした。



~3に続きます~






長文ですが読んでくれてありがとうございます♪

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