【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
チェルノブイリ原発事故 後遺症で600人死亡 ウクライナ保健相公表

【キエフ(ソ連ウクライナ共和国)21日=渥美好司】

チェルノブイリ原発事故5周年を前に20日、ウクライナ共和国のユーリー・スピジェンコ保健相は朝日新聞記者(渥美)と会見、チェルノブイリ原発事故の後遺症でこの5年間にウクライナ共和国だけで少なくとも約600人が死んだことを明らかにした。共和国政府が具体的に死者数を挙げたのは初めて。これまで連邦政府が発表している事故処理作業による死者数31人と大きく食い違い、今後遺族に対する補償をめぐって共和国と連邦政府との間で対立するのは必至だ。
同保健相は医師チームに命じて、ウクライナ共和国在住の事故処理参加者でこの5年間に死んだ者のカルテを詳細に調べた。その結果、約600人が事故発生時の消火活動や汚染除去作業で大量の放射線を浴びたために免疫機能が衰え、主に心臓血管系の病気にかかり死亡したとの診断を下されていたことが判明した。

(朝日新聞 1991/04/22)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
チェルノブイリ事故 死者7000~1万人 被ばく科学者が“真相”

【ロンドン14日共同】

14日付の英紙インディペンデント・オン・サンデーによると、1986年4月26日に起きたソ連チェルノブイリ原発事故の科学調査担当幹部のウラジーミル・チェルノセンコ氏(50)は事故の規模が当局発表よりはるかに大きく、死者が7000人から1万人に達していることを明らかにした。同氏自身が放射能被ばくで余命2-4年と宣告されており、このことも真実を話す動機になったという。
同原発の周囲30キロの避難圏担当のチェルノセンコ氏の話では、事故による原子炉炉心部の損壊状況は国際原子力機関(IAEA)に後日、出された報告よりも深刻で、炉内の放射性燃料190トン中、放出量は報告にあるわずか3%ではなく、60-80%と推定されている。
ソ連当局は事故による死者を31人とし、その後の被ばくによる死者を秘密にしているが、同氏によると死者の多くは、事故後、現場で清掃作業などに加わって被ばくした軍人や鉱山労働者だった。

(中日新聞 1991/04/15)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
米国で初の高レベル処分地 安全性、政府の科学者も疑問

米国で初の高レベル放射性廃棄物の処分地に選ばれたネバダ州ユッカマウンテンの安全性について、政府の科学者の間からも、火山噴火の可能性や地下水の上昇などわかっていないことが多すぎ、いくら研究をしても安全の確証は得られないだろうという悲観的な考えが出されている
ユッカマウンテンはラスベガスの北西にある。米政府は150億ドル(約1兆9500億円)かけて処分施設を建設し原発の使用済み核燃料はそのまま、エネルギー省の軍事施設などから出た廃液はガラスで固めて地下300メートルに埋設する方針。2010年には処分をはじめ、最終的には9万5000トンの廃棄物を処分する計画だ。
AP電などによると、この計画に対して、エネルギー省のジェリー・シマンスキ氏(地質学)はユッカマウンテンに地下水が上昇してできたとみられる石灰岩の一種が存在していることから、「地下水が上昇、放射性廃棄物を地表にはんらんさせるかもしれない」、別の地球物理学者も「地下水が高温の廃棄物に接触、水蒸気爆発で山が崩れる」などと不気味な予測をしている。

(朝日新聞 1991/02/20)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
チェルノブイリ原発事故 原因は設計ミスと運転上の安全無視

【モスクワ19日河野健一】

86年4月に発生したチェルノブイリ原発事故の原因究明にあたってきたソ連の国家原子力・産業技術安全委員会は19日、主要な原因は原子炉の設計ミスにあり、これに安全軽視の運転ミスが重なって事故が起こったとの調査結果を発表した。
タス通信によると、事故を起こした原子炉には制御装置、バックアップ装置など10カ所にわたって安全基準および原子炉建設基準からの逸脱がみられた。設計者はこうした逸脱の結果によって起こり得る危険を考慮せず、また、原子炉の運転に際しても重大な安全無視があったとしている。
同委員会は同種の事故再発防止のため、なお事故原因を徹底的に究明する必要があると強調している。



チェルノブイリ原発事故の約4カ月後、ソ連が国際原子力機関に提出した公式報告書は、事故の原因について「運転員の6つの重大な規則違反」と述べていた。今回の調査結果は人為ミス説を撤回したことになる。
設計ミス説は新しいものではなく、事故後に開かれた国際会議で西側の多くの専門家が指摘していた。日本のある専門家は「ソ連がやっと設計ミスを認めたことになる」と評価している。

(毎日新聞 1991/02/20)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
ソ連の核兵器工場 労働者も大量被ばく
白血病やがんを多発

ソ連・南ウラルの核兵器用のプルトニウム生産工場の労働者に、大量の放射線を浴びたのが原因で白血病やがんが多発していることが、ソ連の研究者の調査で分かった。この核兵器工場は1949年から約2年間放射性廃液の垂れ流し事故を、1957年には「ウラルの核惨事」を起こし、多数の住民が被ばくしているが、労働者の健康被害が明らかにされたのは初めて。原爆開発を急いだことが関係しているらしい。
東京で開かれた日ソ専門家会議におけるN・コシュルニコワ・ソ連生物物理研究所主席研究員の講演や、ソ連の科学雑誌「自然」によると、このキシュチュム核兵器工場では、48年6月から12月にかけて、ウランを燃やす原子炉施設と、燃やしたウランからプルトニウムを取り出す再処理工場が操業を開始、49年8月にソ連最初の原爆を造った。
72年までに働き始めた労働者約1万2000人の追跡調査では、年間平均被ばく線量が最も高かったのは、原子炉施設で49年の0.93シーベルト、再処理工場で51年の1.13シーベルトだった。当時のソ連の被ばく線量限度年間0.3シーベルト、日本の現行限度0.05シーベルトに比べかなり高いが、これは初期のトラブル修理などのためという。
また、48年から53年の間に再処理工場で働いた男性約1800人についてみると、がんで197人が、白血病で25人がそれぞれ死亡したソ連の成人平均に比べて明らかな差があり、白血病では3.5倍、がんでは1.28倍も高い。しかし広島、長崎の被爆者と比較すると、線量当たりの死亡率は、2分の1から4分の1だった。
一方原子炉施設でのがん死亡率は今のところ差は見られない。ただ全死亡率では、初期に働き始めたグループは、54年から58年に働き始めたグループと比ベ、2倍近く高くなっているという。
核兵器工場で働く労働者の被ばくは米国、英国、フランスでも問題になり、追跡調査が行われた。しかし多発性骨髄腫という特殊ながんを除いて、がんが多発しているといえるはっきりした結果は出ていない。

(朝日新聞 1991/02/16)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
「ウラルの核惨事」起こしたソ連工場 40年前にも核惨事
住民10万人が移住 規模は史上3位

ソ連で1957年に「ウラルの核惨事」を起こした核兵器用プルトニウム生産工場で、49年から約2年間にわたって周辺住民が大量の放射能汚染を受け、約10万人が移住させられる事故があったことが分かり、住民の健康への影響などを詳しく知るため、原子力安全研究協会(田島英三理事長)などがソ連の研究者を招いて、24日から東京で専門家会合を開く。
ソ連側のこれまでの話では、放射能を含んだ廃液を川にたれ流し続けたもので、住民には白血病が多発、事故の大きさはチェルノブイリ原発事故、ウラルの核惨事に次いで、原子力開発史上3番目になるという。
来日するのは、ソ連生物物理研究所チェリャビンスク支所のミーラ・コセンコ臨床部長ら6人。コセンコ博士は昨年6月、チェルノブイリ事故などの影響などを中心に東京で開かれた「放射線影響研究に関する日ソセミナー」に出席。「これまで秘密にされていた話だが」と前置きして、この事故について初めて明らかにした。
それによると、チェリャビンスクの北約100キロにあるキシュチュム核兵器工場は、49年から操業を開始。原子炉で燃やしたウランからプルトニウムを取り出す再処理施設から出る廃液を十分に処理しないまま、オビ川の支流で近くを流れるテチャ川に51年末まで流していた。
廃液の中には放射性のストロンチウム、セシウムなどが含まれており、放出された放射能は約300万キュリーと、チェルノブイリ事故で放出された約5000万キュリー(希ガスを含まず)の約20分の1にのぼった。この放射能の影響は200キロ以上の流域に及び、飲み水やかんがい用水として川の水を使っていた住民計10万3000人が避難のため、他の地域に移住させられた、という。
コセンコ博士らは、被ばくした住民のうち2万8000人について事故後の追跡調査を実施している。事故によって浴びた放射線の平均は0.4シーベルトで、日本の放射線従事者の被ばく限度0.05シーベルトの8倍。すでに白血病の患者が37人出ており、他の地域の白血病発生率に比べると約2倍。
しかし、この数字は広島、長崎の被爆者の白血病発生率に比べると3分の1から4分の1程度と低い。コセンコ博士らを招く原子力安全研究協会と、日本原子力産業会議では、「長期間にわたって放射線を浴びる場合には、一度に大量に浴びる場合に比べると危険が低いのかもしれない」と、ソ連側のデータに注目している。30日まで開かれる専門家会合では、浴びた放射線量をどのように推定したのかなどについて、突っ込んだ話を聞きたいとしている。


<ウラルの核惨事> 1957年9月にキシュチュム核兵器工場で、再処理施設の廃液を貯蔵するタンクが、冷却装置の故障から、過熱して化学爆発を起こし、大量の放射能が放出された。汚染範囲は長さ約300キロ、幅約50キロに及び、住民1万人が緊急避難した。英国に亡命したソ連の反体制科学者、J・メドベージェフ氏が70年代に著書などで初めて事故の存在を明らかにし、ソ連当局も89年6月、32年ぶりに事故を公表した。

(朝日新聞 1991/01/23)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
土壌からプルトニウム検出 仏の放射性廃棄物置き場
高レベル コンテナ野積み

【パリ=清水特派員】

フランスで放射性廃棄物置き場の土壌からプルトニウムが検出され、事態を重視したラロンド環境担当相が現地を視察した。検出されたプルトニウムはきわめて高レベルと伝えられるだけに、国内関係者は驚いている。
10月24日付フランスの新聞パリジャンによると、場所はパリ南方75キロにあるエソンヌ県サントバン。コンクリート製のコンテナが野積みになった現場から取った約4キロの土壌を、ドイツ・ブレーメンの大学で分析したところ、プルトニウム238が土壌1キロ当たり98.3ベクレル、プルトニウム239と240が2153ベクレル検出された、という。同大学ではただちに研究室の除染作業を行った。現場から数百メートルにはサクレイ原子力研究センターがある。
現場では、十数年前から、各種の放射性廃棄物を詰めたコンテナが捨てられていた。コンクリートに亀裂が入ったものもある。一般は立ち入り禁止だが、9月下旬、放射線測定器を持ったパリジャンの記者が侵入、土壌を採取した。フランス国内の研究所の分析で、これまでに放射性のセシウム、バリウム、コバルト、ユウロピウム、ウラニウム、アメリシウムなどが検出された。アメリシウムの存在で、プルトニウムの検出が予想されたため、土壌をドイツに送っていた。
フランス原子力庁の幹部は、「この数字は驚きだ。ユウロピウムとセシウムの存在は分かっていたから、プルトニウムも予想はできたが……。とにかく、事実をたしかめる必要がある」と語っている。


「想像を絶する値」 動燃事業団

動力炉・核燃料開発事業団によると、日本では原子炉等規制法によって1平方センチ当たり4ベクレル以上のプルトニウムが検出される場合は立ち入り制限区域とすることが決められているが、実際は環境中からその数百分の一程度でも検出されれば、大騒ぎになるところで、2000ベクレルというのは想像を絶する数値だという。

(朝日新聞 1990/10/25)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
ソ連原発事故 ミス主因に疑問 異常発生は運転停止後
生存者証言から監視委判断

【モスクワ28日=松本記者】

世界の原発史上最悪の事故となった1986年4月26日のソ連・チェルノブイリ原発の事故原因について、ソ連国家原子力安全監視委員会(マリシェフ委員長)は、28日までに、生存者の証言などから、

(1)運転員が緊急停止ボタンを押したのは、原子炉を停止させるための通常の行動だった

(2)緊急停止ボタンを押してからはじめて、原子炉の出力が急増した──などの新事実を確認した。これまでいわれていた人為ミス主因説を覆すもので、最終報告書は今年末に発表される。
同委員会はすでに今年2月、チェルノブイリ型原子炉の設計に欠陥があり、制御棒が緊急停止ボタンによって挿入されると、逆に核反応が促進されるということを指摘していた。
今回の調査では、事故当時、室内には、死亡したトプトーノフ運転員とアキーモフ当直長のほか、ジャトロフ副技師長(事故責任を問われ服役中)、ガジン技師長、原発の交代当直長のテレグブ民ら6人がいたが、いずれも、「爆発の前に実験が終わり、そのときは何も異常はなかった」と証言している。その証言を裏付ける計器のデータもあるという。
トプトーノフ運転員は、実験中、1人で制御棒のコントロール盤の前に座っており、アキーモフ当直長も背を向けてそのそばに立っていたという。トプトーノフ運転員は、実験が終了したあと、アキーモフ当直長の方を向いて「では、停止しましょうか」と言った。すると、アキーモフ当直長は「大丈夫」と答えたという。そこでトプトーノフ運転員は、吸っていたたばこを消して、AZ5ボタンのふたをゆっくりと開けてからボタンを押したという。
こうした証言について、専門委員会の委員長であるステインベルク・ソ連国家原子力安全監視委員会副委員長は「異常事態が生じていたのならば、これだけ落ち着いていることは考えられない」と話している。
運転員のこうした行動から判断して、運転員たちは制御棒の設計欠陥に気付かず緊急停止ボタンを押したため、核反応が進み爆発につながったという見方が強まっている。

(朝日新聞 1990/09/29)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
米ハンフォード核廃貯蔵所 化学爆発の可能性高い
放射能拡散の危険警告 エネルギー省委調査

【ニューヨーク31日共同】

31日の米紙ニューヨーク・タイムズは、ワシントン州のハンフォード核廃棄物貯蔵所で爆発が起きて放射性物質が大量に拡散する可能性はこれまで伝えられているより大きい-との米エネルギー省原子力安全諮問委員会の調査報告内容を報じた。
この貯蔵所は30年以上前から放射性廃棄物を貯蔵、177のタンクがある。従来の報告でも爆発の可能性は指摘されていたが、その危険性は小さいとされていた。
同紙によると、諮問委のジョン・アハーン委員長(元原子力規制委員会委員長)名でワトキンズ・エネルギー長官に提出された報告書は、放射性物質と化学物質が混ざっているこれらのタンク内で高熱が発生したり、外部の火花や衝撃を受けて爆発する可能性があり、その場合、放射能が広い範囲に拡散すると警告している。
報告が問題にしていうのは核反応による爆発ではなく、化学反応による爆発。ソ連のウラル山脈で1957年に発生し、1万人が避難した放射能汚染事故がこれと同様のケースだという。
報告は、エネルギー省との契約で貯蔵所を管理しているウェスチングハウス・ハンフォード社が長年の警告にもかかわらず、爆発の危険性やタンク内の貯蔵物質の構成などを把握していないと非難している。

(北海道新聞 1990/08/01)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
チェルノブイリ原発事故原因 制御棒に設計ミス
緊急停止で逆効果 ソ連安全委、文書で断定

【モスクワ16日=松本、花井記者】

世界の原発史上最悪の事故となった1986年4月26日のソ連・チェルノブイリ原発事故の原因は、運転員が各種安全装置を切るなど重大な規則違反を重ねて実験を行ったためと、ソ連の公式報告ではなっていたが、16日までに朝日新聞社が入手したソ連の国家原子力安全監視委員会の未公表文書によって、運転員のミス以上に設計上の欠陥が大きかったことがわかった。安全上最も重要な制御棒に致命的設計ミスがあって、緊急停止しようとしたところ、逆に核反応が促進されたというものだ。
ソ連では、情報公開(グラスノスチ)の流れの中で、チェルノブイリ事故の原因についての研究が昨年から本格的に始まっている。この文責はその一環。国家原子力安全監視委員会(日本の原子力安全委員会に相当)が専門家約20人で組織した科学技術評議会による「決定」というタイトルの文書で、今年2月15日付。
それによると、事故直前のように、低出力状態でほとんどの制御棒が炉心から引き上げられている時は、緊急停止ボタンを押して制御棒を降下させると、炉心下部で核分裂を促進させることになる。このため出力は急増し、炉内で大量の蒸気が発生した。この型の炉では、低出力状態で炉心内の蒸気が増えると、これがさらに核分裂反応を起きやすくさせるという「正のボイド効果」があり、これによって破局的な出力激増を招き、爆発したとしている。
制御棒は、中性子を吸収する吸収棒部分と、その下の黒鉛でできた水排除棒部分からなる。ところが、水排除棒が短くて、制御棒が最も上まで引き抜かれた時には、水排除棒の下端が炉心下端から1.25メートルほど上がってしまい、ここに水が浸入する。この状態で緊急停止ボタンを押すと制御棒が炉心に入っていくが、水排除棒の下の部分では水が押し出されて、一時的にその部分を黒鉛が占めることになる。水は核反応を起こす役目を持つ中性子を、黒鉛よりはるかによく吸収する。水が黒鉛に置き換わると中性子が増えて核反応が進むのだ。
「決定」は、こうした欠陥が事故2年前の1984年に内部で指摘されていたが、改善されないままだったとしている。これまで事故の主原因とされてきた運転員の重大な規則違反については、「事故の発展と規模には無関係だ」と述べている。
この欠陥は、ソ連が1986年に国際原子力機関(IAEA)に報告書を提出したすぐ後から、西側の専門家が推測していた。
ソ連の報告書を検討したIAEA専門家会議で事故原因について説明したアーメン・アバギャン所長は記者(松本)の質問に答え「事故の原因となったのは、まず第一に原子炉の特質によるもので、運転員による規則違反は付加的な効果しか持っていなかった。」と、この「決定」に大筋で同意し、設計の欠陥が規則違反によって事故に結びついたとの見方を示した。
そして、「このことは、事故のあと、早い段階で分かったが、当時、主張したのは私たちの研究所だけだった」と語った。

(朝日新聞 1990/07/17)