【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

人体実験 原子力ロケット開発でも 「市民多数が被ばく」
65年の実験、米議員調査

【ワシントン26日=伊熊幹雄】

冷戦時代のプルトニウム人体実験が大きな問題になった米国で、原子力ロケット開発の過程でも意図的な環境破壊や人体実験が行われていたことが、26日までにエドワード・マーキー下院議員の調査でわかった。同議員はヘーゼル・オリアリー・エネルギー長官に書簡を送り、「原子力ロケット開発実験も人体実験として調査するよう」求めた。
同議員の調査及び同日までに公開された機密文書によると、問題の原子力ロケット実験は、1965年1月12日にネバダ州ジャッカース平地にある原子力ロケット開発場で行われた。この時の実験は、実際に原子力ロケットを飛ばすのが目的ではなく、エンジンの原子炉を意図的に爆発させて原子炉の反応及び「爆発で生じた放射能の環境への影響」(ロスアラモス研究所の報告文書)を探るのが目的だった。
この爆発は「まれに見る大量の白熱光線」(同)を生じるとともに、大量の放射能をふりまき、死の灰をもたらす雲が300キロ以上離れたカリフォルニア州の太平洋岸、ロサンゼルスやサンディエゴにまで到達した。これらの地域での放射能は、現在の安全基準値を下回ってはいるものの、マーキー議員は「核爆発が意図的なもの」であるうえ「多数の市民が放射能を浴びた」と批判している。
このほかにも60年には、やはり原子力ロケットのエンジンの原子炉爆発現場に、米軍の航空機を飛ばした上、乗組員がどの程度放射能を浴びるかを探る実験も行われた。マーキー議員は「これは人体実験」とし、65年の爆発実験と併せエネルギー省に徹底調査を求めている。
米国の原子力ロケット開発は、60年代以降たびたび実験が行われながら、現在は中断状態だ。今回の機密文書発掘は、「夢のロケット」とされる原子力ロケット開発の暗部を示したもので、今後の開発復活の動きにも影響を与えよう。
米国では、昨年オリアリー・エネルギー長官の就任以来、同長官のイニシアチブで核兵器開発の暗部を暴く作業が始まり、プルトニウム人体実験の事実が発掘される一方で、実態調査する大統領の諮問委員会も発足している。今回の実験を暴いたマーキー議員は、民主党所属で共和党政権時代から核実験の被害問題に取り組んでいた。

(読売新聞 1994/08/28)


【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

ロケット用原子炉暴走実験 放射能、大量に放出 65年に米国

【ワシントン24日=大塚隆】

米エネルギー省の前身、原子力委員会が1965年1月、ネバダ州の砂漠にある実験場で原子力ロケットに使う原子炉の暴走実験を行い、ウラン燃料の一部を高温で気化させ、大量の放射性物質を故意に放出させていたことが分かった。下院の反核派エドワード・マーキー議員(民主党)が24日、明らかにした。
実験は当時、米国が開発中だった原子力ロケット用の炉の特性などを調べるために行われた。同議員が入手した資料によると、キウイと呼ばれる実験炉を計画的に暴走させ、3000度以上の高温を発生させた結果、原子炉内に「花火の打ち上げ時のような白熱した火花のシャワー」が出現、ウランとカーバイドなどを混ぜた特製燃料の5-20%が気化し、かなりの放射性物質が環境中に放出された。
原子力ロケットの構造は明らかではないが、原子炉で水素ガスを2000度程度の高温にし、ロケットのノズルから噴射する。この原子炉は通常の運転状態でも一部で燃料溶融が始まることから、原子炉の特性や運転による環境への影響を調べるため、暴走実験を計画したらしい。
放射線量は実験場所から数十キロ離れた実験場の境界でも年間被ばく限度量の約5分の1に当たる0.057ミリグレイに達した。放射性物質を含んだ雲はロサンゼルス市上空にまで到達、航空機の調査では数日間影響が観測されたという。
マーキー議員は「意図的な放射能放出は人体実験だ」とし、24日、エネルギー省のオリアリー長官あて書簡を出して、詳しい調査を求めた。原子力ロケットの開発実験は55年に開始されたが、数回にわたる実験でもロケットから放出される放射能による環境汚染を解決できないため、72年に開発を断念した。
マーキー議員は、空軍や航空宇宙局は研究再開を検討していると指摘、こうした実験を繰り返してはならない、と訴えている。

(朝日新聞 1994/08/25)


【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

「プルトニウム1キロで原爆可能」 管理強化求める 米研究機関

【ワシントン22日=大塚隆】

米の民間研究機関自然資源防衛評議会(NRDC)は22日、「最新技術を使えばプルトニウム1キロで原爆が作れる」と警告、国際原子力機関(IAEA)が核物質管理の基準にしている量をプルトニウムの場合、8キロから1キロに減らして管理を徹底するよう求め、IAEAと米エネルギー省に書簡を送ったと発表した。ドイツで続発している核物質摘発を契機に、核拡散の防止を実質的なものにするのが狙い。NRDCは核兵器保有国だけでなく、日本の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)などの再処理にも同様の管理強化を求めている。
NRDCの核兵器専門家トーマス・コクラン博士らが最新の技術を検討、核爆弾製造可能量を計算し直した結果をまとめた。最新技術を使えばプルトニウム1キロで大都市なら数千人以上を殺傷する1キロトン級原爆ができ、多くの国が持つ中程度の技術でも1.5キロで原爆ができるという。NRDCはやはり核兵器の材料になる高濃縮ウランについても、25キロを8分の1の3キロにするよう求めている。
IAEAは核爆弾が製造可能な核物質の量を「有意量」として核物質管理の指標にしている。プルトニウムの場合、長崎に落とされた原爆に6.1キロのプルトニウムが使用されたことから、製造ロスを見込んで8キロを有意量にしたという。
しかし、コクラン博士は当時でもプルトニウムが3キロあれば小型原爆の製造は可能だったとし、「基準は時代遅れ。核物質がブラック・マーケットに流れる現状を考えると基準強化が緊急課題」と指摘する。
提言通りプルトニウムの有意量が小さくなれば、再処理やプルトニウム燃料製造などの各段階で工場設備の大幅な改善のほか、細かい運用を迫られるなど負担を強いられることになる。
同博士は日本の再処理にも触れ、「動燃東海工場では70キロを超えるプルトニウム残留があった」と非難、日本を規制強化の標的のひとつにしていることを明言した。

(朝日新聞 1994/08/23)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

核の労働者に2000万ドル補償 米で和解

【ワシントン26日=大塚隆】

米エネルギー省は26日、1950年代から80年代半ばに原爆材料である高濃縮ウランの加工をしていたオハイオ州フェルナルド核兵器工場の健康被害に、2000万ドル(約20億円)の補償を行う和解案に合意したことを明らかにした。
それによると、連邦政府は過去に同工場に勤務し、健康被害を訴えている労働者の毎年の検診費用として500万ドル、健康被害への補償費として1500万ドルの計2000万ドルを負担する。

(朝日新聞 1994/07/27)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

元浜岡原発労働者 白血病死に労災認定 労働省

中部電力浜岡原子力発電所(静岡県浜岡町)で働いていた孫請け会社の元社員嶋橋伸之さん(当時29)が慢性骨髄性白血病で死亡し、両親が昨年5月に労災申請していた件で、労働省と磐田労働基準監督署(静岡)は27日までに、労災の申請を認める通知書を嶋橋さんの両親に送付した。福島第1原発の労働者に次いで2件目の認定になる。
申請書によると、嶋橋さんは1981年3月、中部電力の孫請け会社「協立プラントコンストラクト」に入社、死亡した91年10月まで在籍。浜岡原発炉心の下部にある中性子計測器の保守、点検、修理を担当、炉心の下にもぐりこんで作業をしていた。
87年ごろから顔がむくみ始め、88年6月の血液検査では、白血球数が1万3800、同11月の検査では9500と、明らかな異常値を示していたが、会社側は精密検査を受けさせず、被曝(ひばく)労働に従事させていた、という。89年夏ごろには体調を崩し、発熱が続いて2週間ほど寝込んだ。死ぬ間際の91年10月ごろは、歯肉からの出血が止まらない状態だった、という。
労働省は、白血病にかかった放射線業務従事者の労災認定の目安として、0.5レム×従事年数が「相当の被曝量」としている。嶋橋さんの放射線管理手帳によれば、現場作業を離れる89年12月まで約8年10カ月間の累積被曝線量は50.93ミリシーベルト(5.093レム)。
弁護団は、この間の被曝だけで労災の認定基準は満たしている、としていた。

(朝日新聞 1994/07/27)

 

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

チェルノブイリ原発周辺 先天異常の増加確認 日本と共同調査

8年前、爆発事故のあったチェルノブイリ原発の周辺地区で、これまで指摘されてきた子供の甲状腺(せん)がんのほか、多指症や内臓奇形など胎児の先天異常の発生率も高まっていることが、現地と日本の共同研究で分かった。高濃度の放射能汚染地区では、異常の発生頻度が事故前の約1.8倍に増えていた。こうした実態が統計で確かめられたのは初めて。14日から、高知市である日本先天異常学会で報告される。
調査したのは、ベラルーシ共和国ミンスク遺伝性疾患研究所のG・ラジュク所長と、広島大原爆放射能医学研究所の佐藤幸男教授(放射線奇形学)らのグループ。
同原発の北東にあって汚染濃度が高かった同共和国は、先天異常の発生頻度を毎年調べている。そのデータをもとに、事故前(1982-85年)と事故後(87-92年)について、汚染度で分けた地域ごとに見た。対象の地域では年間6000人から7000人が生まれた。
放射性物質セシウム137による低濃度汚染地区(1平方キロ当たり5キュリー未満)では、事故前に出産1000件当たり4.6件だった異常が、事故後は6.0件に、高濃度汚染地区(同15キュリー以上)では3.9件から7.0件に増えていた。
また、人工妊娠中絶された胎児について各地の病院の異常のデータを集めたら、高濃度汚染地区の事故後(86-92年)の発生率は9.9%だった。事故前のデータはないが、影響がなかった首都ミンスク(事故前5.6%、事故後4.4%)より高かった。
ラジュク所長は「食生活や公害など複数の否定的要因が重なったことも考えられるが、多指症が増えているので、何らかの突然変異が起きたことは否定できない」としている。
佐藤教授は「事故の放射線の影響で増えたと言い切る証拠は今のところないが、放射線は1つの大きな要因であると考えられる」と話している。
同原発事故の影響についてはIAEA国際諮問委員会(委員長、重松逸造・放射線影響研究所理事長)が調査し、91年、「周辺住民に関する健康被害は現時点では確認できなかった」と報告。先天異常についても「放射線被ばくの結果として胎児の異常が増えた証拠はなかった」とした。

重松逸造・放射線影響研究所理事長の話 IAEAでは、先天異常については聞き取り調査程度しかしなかったので実態は分からない。発生率が増加しているなら、原因について科学的に議論する必要がある。

(朝日新聞 1994/07/07)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

商用プルトニウムで核兵器製造 米が62年実験成功
エネルギー省 公表し危険性アピール

【ワシントン27日共同】

米エネルギー省は27日、米国が1962年に民間用原発から取り出した商業用プルトニウムで核兵器が開発できるかどうかを試すためネバダで地下核実験を実施し、成功していた事実を公表した。
実験成功の事実は77年に秘密指定を解除されていたが、一部専門家にしか知られていなかった。同省は、商業用プルトニウムが持つ核拡散の危険性を広く知らせるため公表を決めたと説明している。
同省によると、実験は英国が提供した商業用プルトニウムを使い、爆発の規模は20キロトン以下だった。
核兵器に使うプルトニウムは普通、核分裂を起こすプルトニウム239が93%以上含まれるが、この実験によって、同位体のプルトニウム240を7%以上含んでいるため核反応が不安定とされる商業用プルトニウムでも核兵器ができることが立証された。
核兵器開発への悪用を防ぐため、詳細は今後も秘密指定が続くという。

(中日新聞 1994/06/28)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

北朝鮮ウラン精練工場 白血病や肝炎がまん延
亡命の元労働者が証言

【ソウル9日=清田治史】

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のウラン精練工場から亡命したキム・デホさん(35)は9日、ソウル市内で内外記者団と会見し、「ウラン精練工場では、放射能対策の遅れから、白血病や脱毛症、肝炎などにかかる労働者が多い」と証言した。
キムさんは1985年に除隊後、平安北道のウラン精練工場である「四月企業所」に勤務。87年にはやはりウラン精練などを行う黄海北道の南川化学連合企業所に移り、ことし1月まで勤めた。
放射能被害がとくにひどかったのが南川連合企業所(労働者8000人)。ウラン鉱石を破砕し、ウランのほか、特殊鋼製造に必要なパナジウムなどを抽出している。
パナジウム抽出は熱せられた鉄板上で硫酸を注ぐという原始的な工程を採用しており、キムさんによると発生する硫酸ガスのため、肺と歯に致命的な障害を負う労働者が続出している。
南川連合企業所などで生産された濃縮ウランは、寧辺にある再精練工場「八月企業所」に送られるが、ここでも放射能被ばくが常態化している、という。

(朝日新聞 1994/05/11)


【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

プルトニウム大量残量 動燃東海の製造工程 IAEAが注意

動力炉・核燃料開発事業団のプルトニウム燃料工場(茨城県東海村)の製造工程の機器に、操業開始から5年半で約70キロという、予想を超える大量のプルトニウムが残留していたことが9日明らかになった。動燃は核拡散防止のうえで直ちに問題とされる行方不明分ではないとしているが、国際原子力機関(IAEA)は、査察の信頼性を揺るがしかねない残留量だとして動燃に注意を促した。
この工場はプルトニウム燃料第3開発室といい、1988年10月に運転を始めた。プルトニウムとウランの各酸化物の粉末から、高速増殖原型炉「もんじゅ」などの燃料棒を製造している。
プルトニウムが残留していたのは、グローブボックスと呼ばれる密閉箱。この中で粉末を混ぜたり固めたりして、燃料棒に詰めるペレットをつくっている。4月に運転を始めた「もんじゅ」の燃料製造で、最近、残留量が増えたのではないかとみられる。
動燃はプルトニウムの受け入れ量と工程から出した量の差から、残留量は約70キロとIAEAに申告。IAEAも査察で残留が同量であることを確認した。
IAEAが問題にするのは、残留量が多いため、査察での計測誤差を考慮すると、核爆弾を製造できる量(有意量)を見過ごす恐れがあるためだ。計測の誤差は10-15%とされており、仮に10%とすれば、残留が70キロにもなると7キロ紛失しても把握できない可能性がある。プルトニウムの有意量は8キロとされている。
動燃は「計測上、行方不明量が出ることはあるが、今回の残留量はそれとは違う」と説明しているが、予想を上回る量だったことから「プルトニウムの回収やグローブボックスの更新で、残留量を減らしたい」としている。

(朝日新聞 1994/05/10)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

日本の使用済み核燃料 英の核兵器開発に使用?
グリーンピースが報告書


【ロンドン17日共同】

国際的環境団体「グリーンピース」は17日、日本の使用済み核燃料が英国の核兵器計画に使用された可能性があるとの報告書を発表した。
報告書によると、英国は英核燃料公社(BNFL)の核燃料再処理施設で、英国、日本(日本原子力発電東海発電所)、イタリアのガス冷却型炉の原子力発電所から出た使用済み核燃料を再処理しているが、英政府は燃料の一部を英国防省に渡した。報告書は、この燃料の一部が「英国の核兵器開発に利用された」としている。
英政府は1979年から使用済み核燃料の一部を研究のために国防省の管轄に移したことは認めている。しかし、英核燃料公社は、日本のすべての使用済み核燃料は国際的安全保障措置の合意に基づき処理しているとして、使用を否定した。また英国防省スポークスマンは「核兵器開発については一切、論評できない」と述べた。(毎日新聞 1994/01/19)