【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

もんじゅ事故 ビデオの重要部隠す 撮影の動燃、編集し公開

動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故で、動燃が事故直後に撮影したビデオを事故の核心部分を隠す目的で職員が勝手に編集し、大半の映像が公開されていなかったことが、20日までの動燃の調査でわかった。未公開部分には、漏えい個所とみられる温度計など、公開部分にない生々しい映像が含まれていた。大石博理事長は同夜、科学技術庁で2度にわたって記者会見し、「意図的に編集したと思う。情報公開を進めなければならないのに、極めて遺憾な事態を起こし、申し訳ない」と謝罪。「関係者の処分も検討している」と明らかにした。
ビデオは事故発生翌日の9日午後4時10分ごろから約10分間、動燃の職員9人が事故後2度目に現場に入った際に撮影した。
動燃は、最初は1分間だけを報道関係者らに公開。その後、4分間のビデオだとして、再度公開した。その際、撮影はカメラ1台で行い、これ以外に映像はないと説明していた。
しかし実際はカメラ2台で、計約15分間分を撮影していた。「未公開部分には温度計以外にも、配管や空調用ダクトに漏れたナトリウムの化合物が積もっている様子など、公開部分にない事故の具体的な様子を伝える映像が含まれていた。
動燃によると、ビデオの編集は現地の「もんじゅ建設所」で行われた。同建設所の佐藤勲雄副所長もこの事実を知っていたという。
大石理事長は「本社には編集の事実は伝えられていなかった」と話している。

(朝日新聞 1995/12/21)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

もんじゅ事故 手順書に重大欠陥
『小規模漏れ』は止めず 動燃認める

福井県敦賀市の高速増殖原型炉「もんじゅ」で起きたナトリウム漏えい事故で、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は19日、異常時の運転手順書を公開した。ナトリウム漏えいの初期段階では、火災検知器やナトリウム漏えい検出器が警報を発しても原子炉停止はできず、運転員の主観的判断に頼るしかないという致命的な欠陥があることが明らかになった。動燃によると、手順書では、ナトリウム漏えいが発生しても、ナトリウムの液位に変化が見られない場合、火災検知器やナトリウム検知器が鳴り続けていても、場所を確認するだけで、原子炉を手動で緊急停止するようにはなってない。
今回の漏えい事故の場合、8日午後7時47分に火災警報、その1分後にナトリウム漏れ警報が鳴り、運転員1人が現場の2次冷却系配管室の入り口から中を見て「もやもやとした煙が見える」と微妙な表現で報告した。中央制御室では、ナトリウムの液位に変動がないことから「小規模漏えい」と判断。その時点で、手動による原子炉緊急停止操作には入らなかった。
同8時50分に再び、現場を見て、白煙が充満していたことから「中規模漏えい」と判断を変更。同9時20分、最初の煙確認時から90分も遅れて手動停止させた。
ナトリウムの液位は、最低でも0.5トン前後が漏れないと、計器の目盛りは変化しない。手順書通り手動停止させるには「中規模漏えい」まで漏れが拡大し「白煙」を運転員が確認しない限り、原子炉手動停止はできないことになる。
動燃は「小規模、中規模は結果であり、白煙など徴候によって対応するのが本来の手順書。運転員が誤解しやすく、不備があった」と、手順書の欠陥を認めた。

(中日新聞 1995/12/20)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

六ケ所村・核燃再処理施設 クリプトン、大気中放出へ
気象に影響懸念の物質 「回収施設、高い」

青森県六ケ所村に建設中の民間初の核燃料再処理工場から出る放射性物質クリプトン85について、事業主体の日本原燃(本社・青森市)は回収施設を造らず、全量を大気中に「垂れ流し」する方針を決めた。クリプトンは気象に影響を与えたり、被ばくで皮膚がんを増やしたりするのではないかと心配されている。地元住民らは回収を求めてきたが、同社は「大規模な回収施設はコストがかかりすぎる」としている。同工場の建設費は、設計変更しても計画の2倍の1兆7000億円前後に達することが明らかになっている。
クリプトンは再処理工場の燃料を溶かす工程で発生する。茨城県東海村にある動力炉・核燃料開発事業団の再処理工場では、地元の要望もあって回収試験を始めている。「相当量を除去できそうだ」(環境技術開発部)という。
日本原燃も当初、回収施設の設置を計画。現在も敷地は確保しているという。だが、国への事業許可申請には盛り込まず、原子力安全委員会の安全審査などでは、クリプトンを全量放出しても大気中に拡散、周辺住民の被ばく量は非常に少なく、環境への影響もないとされてきた。
日本原燃は「回収施設を造ろうとすれば大規模なものになり、巨額の建設費をさらに押し上げかねない」(瀧田昭久・放射線管理部長)と、回収断念の理由を説明する。
反核団体、原子力資料情報室の高木仁三郎代表は「回収施設がなければ多量のクリプトンが垂れ流しになり、地球環境にも大きな影響を与える。経済性を理由に回収しないというのは許されない」と話す。
クリプトンは天然には存在せず、再処理工場や核実験などで発生する。ベータ線とガンマ線を出す。海水にはわずかしか溶けず、北半球では1985年までの10年間で濃度が2倍になり、世界気象機関(WMO)はオゾン層破壊や酸性雨を引き起こす物質とともに、監視項目に指定。日本では気象庁気象研究所が濃度変化を監視している。

(朝日新聞 1995/12/10)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

チェルノブイリ原発事故から来春で10年
がん急増 後遺症深刻に

旧ソ連チェルノブイリ原発の事故から来春で10年。放出された放射能の7割が降ったとされるベラルーシで、子どもの甲状腺(せん)がんの発生率が事故前の36倍に達するなど、恐れられていた後遺症がだれの目にも、はっきりとしてきた。23日まで世界保健機関(WHO)がジュネーブで開いた国際会議では、汚染除去作業員の放射線障害に加え、被ばく体験のストレスがもたらす「心の病」などの問題も報告された。その一方で、ソ連崩壊後のエネルギー危機のあおりで、旧ソ連・東欧圏では、安全が疑問視される原発の運転再開が相次いでいる。世界は今、事故への恐怖と原発依存を断ち切れない現実とのジレンマに直面している。(ブリュッセル支局・吉田文彦/科学部・竹内敬二)

やつれた面持ちに、トビ色のひとみが力なく輝いていた。ベラルーシの首都ミンスクにあるミンスク医科学研究所付属病院に入院していたサーシャ・チトフ君(11)。甲状腺がんの切除手術を受けてから、2日目だった。のど元には約8センチにわたって切開した傷跡がくっきりと残り、思うように声を出せなかった。
サーシャ君が両親に異常を訴えたのは、手術の1週間前。「少し前から首のあたりがはれて食べ物が通りにくかったけれど、急に息苦しくなってきて…」。病院で甲状腺がんと診断され、手術が決まった。
サーシャ君は1986年4月26日に同原発の事故が起こった時、2歳3カ月だった。「放射性ヨウ素に汚染された牛乳などを口にして甲状腺を傷めた」と、同研究所のユージン・デミチク教授は見る。
チェルノブイリ原発があるウクライナの北方に隣り合うベラルーシは、広大な汚染地帯を抱える。しかも、当時はソ連政府の事故発表が遅れ、国民の5人に1人が被ばくした。とくに放射線の影響を受けやすい子どもたちが、知らない間に大量の放射能汚染にさらされる結果になった。
今回、ジュネーブで開かれた「チェルノブイリと他の放射能事故に関する国際会議」では、ベラルーシで子どもの甲状腺がんの発生が86年から95年10月までに400件を超えた、と発表された。94年の発生率は事故前の36倍、汚染のひどかったゴメリ地域では100倍になる。
ウクライナでも、この発生率が国全体で8倍、首都キエフで50倍になっている。
ほかのがんも増えている。ゴメリ地域での子どものがん全体の発生をWHOが92年までのデータで分析した結果、87年から92年にかけて3.7倍に増えていた。
これらの病気の多発は事故後、診断の水準や密度が高まったためではないか、との見方もこれまで根強くあったが、最近の急増ぶりで、そういう背景を考えに入れても、事故の影響は無視できなくなってきた。


広島・長崎と異なる発症

被ばくした市民たちには、白血病などの血液病の不安が募っている。食物から体内に入った放射性セシウムによる内部被ばくが最大の危険要因だ。
チェルノブイリの被害は、広島・長崎の原爆による被爆者と比較されるが、病気の発症の様子は違う。
日本の被爆者は2年後から白血病が増えはじめ、6、7年後にピークになった。甲状腺がんなどを含む普通のがんは10年近くたってから増えはじめ、今も増加が続いている。これに対して、チェルノブイリ原発事故では、甲状腺がんは4、5年後に増加を見せ始め、血液病はベラルーシやウクライナで増加傾向にあるものの「急増」とはいえない。
原爆の場合、大量の放射線が一瞬のうちに体を貫く「外部被ばく」がほとんどだ。
原発事故では、地面に落ちた「死の灰」(核分裂生成物)からの外部被ばくに、汚染食物からの「内部被ばく」が加わり、じわじわと細胞に放射線を浴びせ続ける。この差が、病気の出方の違いに関連しているのかも知れない。
広島・長崎の被害を追っている放射線影響研究所の重松逸造理事長は「甲状腺がんの増加は予測通りとしても、原発事故の被害はまだ分からないことだらけだ」と語る。


甲状腺・血液などに異常

原発とその周辺での汚染除去作業には、旧ソ連全体で約60万人が動員された。
このうち、12万人にのぼるロシア人作業員についての調査によると、92年のがん全体の発生率は89年の1.9倍、白血病などの血液病は1.8倍にもなり、死亡率全体も90年から92年にかけて5割も上昇した。
また、今回の会議で、ベラルーシ医療技術センターのアレクセイ・オケアノフ博士が「93、94年に除染作業員に発生した甲状腺がんは、ベラルーシの大人の平均の3倍。原発から30キロ圏内で1カ月以上働いた人に限ると、甲状腺がんは9倍、ぼうこうがんも3倍」と報告した。ウクライナも「91年ごろから白血病の増加が始まった」と発表した。
実は、作業員の被ばく線量ははっきりしない。2割の人には被ばく線量の記録がないうえ、作業員の大多数を占める兵士は個人線量計を着けずに作業し、後で被ばく線量を少なめに記録した例が多い。このため放射線の影響を正確に知らないまま過ごしている作業員も大勢いて、発表されている数字以上の健康被害が進行している恐れもある。


ストレスも大きな問題

会議では被ばく体験からくるストレスも大きな問題と指摘された。
ウクライナの放射線臨床研究所などが、妊娠中に事故による被ばくを経験した母親と「胎内被ばく児」を対象に調査したところ、非汚染地域と比べ、母子双方に情緒不安定など精神面での問題が多かった。
子どもには、知能や行動の面でやや発達の遅れもあった。
この原因として「放射能と、放射能以外の影響が考えられる」と分析された。「放射能」では「脳の発達にとって大事な妊娠8-15週の間に被ばくした恐れと、被ばくによる甲状腺の機能障害」が考えられ、それ以外では「母親の精神面での不安定など」が疑われる。後者の影響が強ければ、土地を離れての生活や将来の健康不安など母の「心の病」が子の健康に影を落としたことになる。
ウクライナの心理学者は、チェルノブイリの隣町プリピャチから疎開した家族を典型例としてあげた。
14歳の少女は気分が落ち込み、自殺願望に悩んだ。妹が血液病をもって生まれ、母親がかかりっきりになり、より疎外感が増した。母親も情緒不安定になった。父親は逆に病気の娘を全く無視し、家族に相手にされないことから酒びたりになったという。この心理学者は「一般に小さな子は事故のせいで家庭が崩壊したと思い込み、青年期では自信喪失、将来への絶望感が募る。最悪は50歳以上で、新しい土地や仕事に適応できない」という。


「不安な原発」なお運転 旧ソ連・東欧

放射能汚染の傷の深さが明らかになる一方で、旧ソ連や東欧では「原発回帰」が相次いでいる。
チェルノブイリ原発では、4号炉が大事故を起こしたが、1-3号炉が生き残った。その後、2号炉の機械室で火災があった。現在、1、3号炉が運転中だ。2号炉も来年春には改修が終わり、運転開始をめざしている。
西側諸国は事故再発を警戒して、ウクライナ政府に1-3号炉の全面閉鎖を求めた。ウクライナ政府も、代替電力源の開発や汚染除去などへの財政支援を条件に、2000年にはチェルノブイリ原発を閉鎖すると発表したが、支援規模で折り合いがつかず、全面閉鎖のメドはたっていない。
ブルガリアでは、炉心を覆う圧力容器の安全性に不安を抱える旧式の原発が運転再開された。アルメニアでは、88年の大地震で耐震性に疑問が出た原発の運転を再開している。
いずれも厳しい冬を乗り切るため、西側が危険性を指摘している原発であっても稼働させている。健康被害が明らかになっている中でも、電力不足を前に原発に寄りかかる現実。この板ばさみから抜け出すには西側諸国の支援が欠かせないが、解決策を見いだせないまま、今日も「不安な原発」が動いている。

(朝日新聞 1995/11/26)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

甲状腺がん発生100倍も チェルノブイリ影響 WHO会議報告

【ジュネ-ブ20日=竹内敬ニ】

1986年に起こったチェルノブイリ原発事故による放射能被害で、手どもの甲状腺(せん)がんが90年代になって急増し、事故前と比べると発生率が100倍にもなっている地域があることが20日、ジュネーブで開幕した世界保健機関(WHO)主催の「チェルノブイリと他の放射能事故の健康影響に関する国際会議」で報告された。
WHOは、放射能被害の大きいベラルーシ、ウクライナ、ロシアの3カ国と協力して昨年まで大規模な健康影響調査をした。この結果の一部を、中嶋宏・WHO事務局長は開会演説の中で明らかにした。
中嶋事務局長と会議に出された資料によると、3カ国の放射能汚染地区の14歳までの子どもを追跡調査したところ、事故発生以降、ベラルーシで333人、ウクライナで208人、ロシアで24人の計565人の甲状腺がんが確認された。
年間の発生率は年とともに上昇しており、ベラルーシの場合、事故前は100万人当たり約1人だったのが、90年から2けたになり、94年には同36人(36倍)となった。とくに同原発の北方にあり、放射能雲が通り過ぎたゴメリ地域の94年の発生率は100倍にもなった。また、がんのほとんどが極めて悪性で、周囲の組織や肺に転移しやすく、多くの子どもがすでに死亡したという。

(朝日新聞 1995/11/21)


【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

放射能マンションぞろぞろ 台北市一帯
鉄筋に混入886戸 26戸が退去拒む
汚染、教室や道路にも

持参した放射線測定器が突然、「ピーッ」と高い音を出した──台湾の台北市とその周辺で、放射能に汚染されたマンションや学校の教室が次々と見つかっている。当局の原子力委員会が、この事実を知ったのは10年前。3年前に表面化し、これまでに分かっただけでも886戸、58教室になる。「犯人」は鉄筋に紛れ込んだ放射性物質のコバルト60という。経済成長で鉄鋼が不足し、廃鉄をもう一度溶かして再利用したところ、捨てられていた放射性物質も一緒に溶け込んだらしい。当局は住民に退去を促しているが、補償金への不満などから、住み続ける人も多い。同市郊外では、放射能汚染された道路も見つかり、不安は募るばかりだ。(科学部・武内 雄平)

放射線測定器の赤いアラームランプが点灯した。台北の中心部にあるマンション2階の踊り場にさしかかった時のことだ。3階のエレベーター付近で壁に測定器を当てると、毎時100マイクロシーベルト近い値を示した。
仮にこの壁のそばに半日もいれば、国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた一般人の年間被ばく限度(1ミリシーベルト)を超えるのに、マンションには警告の表示さえなかった。
「当局はわれわれをだましていた」と、放射能被害者協会の王玉麟・理事長。原子力委員会はこうした「放射能マンション」の存在を1985年に知っていたのに公表せず、92年の新聞報道でようやく一般に知られるようになったという。
同委員会もこの事実を認める。10年前、歯科医のレントゲン機材を設置するためにマンションの環境放射線量を測定したら、異常に高いことがわかったが、担当者は、この歯科医の部屋以外は対策を講じないで放置した。
同委員会によると、866戸のうち、年間の推定被ばく線量が15ミリシーベルトを超すマンションは96戸あり、最も高い部屋(無人)では159ミリシーベルトに達する。
王理事長もかつて放射能マンションのひとつに住んでいた。「そのころ生まれた次女には心臓の先天性疾患がある。放射能のせいかもしれない」
当局は、日本円にして80万円から200万円相当の移転補助金や買い取り策を示しているが、今月中旬現在、15ミリシーベルトを超すマンションにも26戸が住んでいる。
一方、「放射能教室」には託児所や幼稚園も含まれる。こちらは、解体したり遮へい材を設置したりして、対応しているという。
汚染の犯人はコバルト60と、原子力委員会は断定する。台湾では6基の原発が運転されており、原発の廃棄物を疑う声もあるが、「原発の廃棄物ならいろんな種類の放射線が出るはずだが、コバルト60しか検出されていない」と同委員会。いちばん疑われているのが、陸軍化学兵学校で紛失したコバルト60だ。
放射能マンションは82年から84年ごろに建てられた。高度経済成長を迎えていた台湾では、中小の製鉄業者が廃鉄を買いまくり、溶鉱炉で溶かして再利用していた。紛失したコバルト60が一緒に溶鉱炉に紛れ込んだというのだ。
マンション、教室に加え、台北市の北の桃園市周辺で最近、「放射能道路」が見つかった。学校の前の道もある。放射線量は毎時15-20マイクロシーベルト程度という。だが、汚染経路はよくわかっていない。


がんの危険性増す

科学技術庁放射線医学総合研究所の藤元憲三・主任安全解析研究官の話 マンションの汚染は、自然放射線の年間被ばく線量が世界平均2.4ミリシーベルトであることを考えると、かなり高い。住んでいればすぐに病気になるというわけではないが、そのまま被ばくし続けると、がんなどになる危険性が増す。特に、胎児には影響が出やすいので妊婦は注意が必要だ。コバルト60は半減期が約5年なので、10年前は4倍程度の放射能レベルだったと考えなければならない。

(朝日新聞 1995/11/20)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

子の甲状腺がん40倍

【ワシントン24日=共同】

24日付の米紙ワシントン・ポストは、ウクライナのチェルノブイリ原発事故(1986年)で放射能に汚染された隣国ベラルーシで甲状腺(せん)がんなどが子どもの間で急増している、と伝えた。
それによると、ベラルーシで甲状腺がんと診断された14歳以下の患者は86年にわずか2人だったのに、92年には66人に増え、さらに94年は82人と86年の約40倍になった。

(朝日新聞 1995/06/25)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

原発からのプルトニウム 小型の原爆 製造可能 米国立研報告

【ワシントン10日=北島重司】

原発の使用済み燃料から取り出されるプルトニウムでも、戦場でも使う小型の戦術核兵器を製造できるとの報告書を米国立研究所が米政府に提出していた。日本や欧州では、こうしたプルトニウムは軍事用に適さないとの見方があるが、それを真っ向から否定した内容。米政府筋も「必要以上に持つ国には、見直しを促したい」としており、日本も含め、管理強化や保有量の抑制などが核拡散防止の新たな枠組みづくりの政策課題に浮上する可能性が出てきた。
前ホワイトハウス科学技術政策局次長のフランク・フォン・ヒッペル氏(現プリンストン大教授)が朝日新聞とのインタビューで明らかにした。報告書は昨年9月、ホワイトハウスとエネルギー省の担当官に出された。全容は秘密扱いだが、核兵器の設計図などを削除した概要説明書が作成されたという。
ヒッペル氏と概要説明書によると、ロスアラモス、ローレンスリバモア両国立研究所の核兵器設計の専門家グループは、使用済み燃料を再処理して出るプルトニウム(原子炉級プルトニウム)でどれぐらいの性能の核弾頭を製造できるか、核実験データなどをもとに検討した。
テロ集団などが核開発を企てる場合、核弾頭には初期の設計が使われる公算が大きいとして、とくに1950年代に米国が開発した核弾頭をつくるとして分析。その結果、設計上の爆発力よりやや落ちる可能性があるものの、高性能火薬に換算して、少なくても1キロトンほどの爆発規模を確保できると結論づけた。

<原子炉級プルトニウム>
プルトニウムには15種類の「兄弟」が知られているが、核兵器の材料には、核分裂性の239が多いだけでなく、240の割合が少ないほど適しているとされる。240は、起爆剤で一気に爆発させる前に、勝手に爆発を誘発する「やっかい者」だからだ。240の割合が2-3%のプルトニウムをスーパー級、7%以下を兵器級と呼び、プルトニウム生産用の特殊な炉でないと作れない。240が18%以上を原子炉級という。

(朝日新聞 1995/06/11)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

チェルノブイリ原発事故から8年半
長期の低線量被ばくに不安募らすベラルーシ
がん「増加」、不完全な究明

大地の放射能が、食べ物を通して体をむしばんではいないか──隣国ウクライナで8年半前に起こったチェルノブイリ原発事故の汚染地を抱えるベラルーシで、事故の記憶が薄れるのとは逆に、がんなどへの不安が強まっている。首都ミンスクで10月初め、科学者たちが、歳月を経て表れる放射線の影響を考える国際シンポジウムを開いた。広島、長崎の被爆と異なり、低い線量の被ばくが長期間続く、原発事故汚染の不気味さが浮かび上がった。(ミンスク=尾関章)

●不 安

7歳の春だった。雨にずぶぬれになりながら、夕方まで戸外で遊んでいた。三百数十キロ離れたチェルノブイリ原発から飛び散った放射能は、風に乗って北上しつつあった。「外に出ない方がいい、と母から言われたのは数日後でした」
人口約160万人、森と農地に囲まれたミンスク。その郊外の団地で、オリガ・キリーナさん(16)は、体験を記者に語った。
事故から6年後の1992年、甲状腺(せん)のはれが目立ち始めた。もしかしたら、甲状腺にたまりやすい放射性ヨウ素に侵されたのかも知れない。不安にかられた。今のところ悪性ではないが、「治らないうちは、結婚しても赤ちゃんを産みたくない」と言う。
キリーナさんはその年の秋、朝日新聞厚生文化事業団などの募金救援活動「チェルノブイリに光を」の招待により来日し、広島で検査を受けた。「宮島や平和記念公園にも行った」。でも、忘れられないのは、医師から「体内に放射能の蓄積はない」と言われた瞬間だった。「本当に、ほっとした」
ジャーナリスト志望。大学を出たら「チェルノブイリ」を書きたいと言う。

●被爆国

広島で被爆資料を見て、キリーナさんは「自分の国も同じ運命にならないでほしい」と感じた。シンポジウムの焦点は、この国の汚染地対策に、日本の経験が生かせるかどうかだった。参加者約250人。日本からも研究者ら十数人が出席した。
「汚染地では、放射性セシウムが年に3-7ミリずつしか地中に沈み込んでいない」。ベラルーシの放射線生物学研究所は、こんな見積もりを示した。汚染物質が地中に染み込んで浄化が進む、という期待は裏切られた。さらに、風がこの汚染土を巻き上げる。
「草原では、草が土壌の放射性物質を吸い上げている」という指摘もあった。森林研究所の・・イパティエフさんは「森林労働者は、都市生活者の3-13倍の放射線を浴びている」との試算を発表した。
線量は高くはない。しかし、問題は、こうした日常的な放射線被ばくによる健康への被害だ。
研究者の間では「低線量なら被害はガクンと落ちる」という見方もあるが、広島大学原爆放射能医学研究所の大瀧慈・助教授は、疑問を投げ掛けた。
日本の被爆者統計をもとに、肺がんや胃がん、肝がん、大腸がんなどについて、放射線でがんにかかりやすくなる度合いは線量とともに直線的に増えていることを示し、線量が低くてもそれなりに危険度が増す可能性を明らかにした。
ベラルーシ医療技術センターのA・オケアノフさんらは、同国で「肺がんや胃がん、乳がんを中心に、がん全体が急増している」と報告した。78年から93年までの間に、がんの発生は男性で44%、女性で35%も増えたという。

●原 因

この傾向は、事故以前から見られることや、肺がんの増え方が女性より男性で目立つことから、「診断の精度が上がったためではないか」「喫煙の影響はないか」などの疑問も少なくない。それでも現地では、事故による汚染がいくぶんかは関係していると疑う見方が根強い。
国際原子力機関(IAEA)の国際諮問委員会が91年の報告書で、白血病や甲状腺がんの増加を記した旧ソ連の統計について、データの不完全さを理由に「白血病やがんの目立った増加を示していない」と分析したことがあった。ところが翌年、「汚染地で子供の甲状腺がんが激増した」との報告が英科学誌ネイチャーに載り、がんの増加が認知され始めたからだ。
汚染地ベラルーシでの研究成果も世界にはあまり知られていない。「月給約15ドルでは外国の学会にも行けない」とユーリ・イワシケビッチ医師(28)は嘆く。
シンポジウムに参加した民間団体の原子力資料情報室の高木仁三郎代表は「今回の研究発表を英文で、世界にわかりやすい形で伝えたい」と話していた。

(朝日新聞 1994/10/16)


【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

プルトニウム 日本の備蓄過剰と指摘 韓国議員

日韓議員連盟と韓日議員連盟の合同総会が6日、東京都内のホテルで開かれた。総会の前の「安保・外交委員会」で、韓国側は日本のプルトニウム備蓄について「過剰に備蓄している日本の核エネルギー政策は理解に苦しむ面がある。しかも核兵器の製造に必要なあらゆる部品と技術を保有しているから、いつでも核兵器の製造が可能だ。こういう政策を再考すべきだ」と指摘した。日本側は「日本はあくまでもプルトニウムを平和利用しているし、非核3原則があるから安心してほしい」と応じた。

(朝日新聞 1994/09/07)