【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

もんじゅ事故再現 厚さ6ミリ床の鉄板に穴
科技庁、誘爆の危険 認める

高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏れ事故の再現実験で、コンクリートの床に敷いた鉄板に穴があき、ナトリウムが貫通していたことが10日、科学技術庁と動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の調べで分かった。実際の事故では穴はあいていないが、今回の実験結果は、より深刻な事態を引き起こす恐れもあったことを示しており、国の安全審査基準も見直しが迫られそうだ。
実験は7日、茨城県の動燃大洗工学センターで実施された。実験室内のナトリウム化合物の飛沫(ひまつ)が収まった10日、同庁特別作業班と動燃が内部を調べたところ、約6ミリの厚さの鉄板に、直径10-20センチの穴が3つできていることが分かった。
この実験は、もんじゅと同じ材料を使って事故を再現。鉄板部分の温度は最高921度まで上昇した。鉄の融点である約1500度には達していないので「ナトリウムと鉄と酸素の化学反応で溶けたのでは」と動燃は推測している。
ところが、安全審査基準では、ナトリウム漏れで鉄板が化学反応を起こす可能性は考えられていない。
液体ナトリウムが水分を含んだコンクリートと直接、接触すると水素が発生し、爆発を起こす危険性があり、科技庁も重大な事故に発展しかねなかったことを認めている。
しかし、科技庁は、実験時間が長かった上、漏えい部の下に温度測定と試料採取のための枠を設けたためにナトリウムが飛び散って床の近くで激しい火災を起こしたなどから、実際のもんじゅ事故より厳しい条件だったと説明。「すぐに鉄板がダメということにはならない。さらに検討が必要だ」としている。
今後、小規模な実験でナトリウムと鉄でどんな反応が起きるのかを検証し、必要なら今回が最後としていた実験を再開することも検討するという。


『予想外の化学反応』 技術の未熟さ浮き彫り

高速増殖原型炉もんじゅ事故を再現したはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の実験で床の鉄板に穴があいたことは、もんじゅの技術者や科学技術庁にとって、事故そのものにも増して衝撃的な結果だ。決まり文句のように繰り返してきた「外部に影響のあるような事故ではなかった」という事故評価が覆りかねないからだ。
乾いたコンクリートに含まれる水分とナトリウムが反応すると、水の中の酸素が消費され水素が発生する。発生と同時に燃えてしまえばよいが、たまって爆発するのがこわい。
だが、もんじゅの安全審査ではナトリウムが直接コンクリートと接するのを遮るため鉄板を床に敷いており、こうした事態は起こり得ないとされていた。穴があいたことは安全確保の前提が崩れたことになる。
実験では水素は検出されなかったが、万一、ナトリウムが液体のまま流れ込めば、水素発生の恐れは十分あった。
同庁の武山謙一原子炉規制課長は「実験は実際のもんじゅ事故より厳しい条件だった」と説明したが、今回の実験はまさにもんじゅで何が起きたのかを再現するのが目的。同課長が「鉄がナトリウムとの化学反応で溶けることは安全審査で考慮していなかった」と認めたように、こうした反応は全く想定外で、もんじゅで起きなかったことの方が幸運だった可能性がぬぐえない。また、もんじゅ建設前の実験でこうした可能性を予見できなかったことは、技術の未熟さを浮き彫りにした。今後は「大事故につながりかねなかった事故」と認識した上での原因究明が必要になるだろう。

事故は不幸中の幸い

福井県原子力安全対策課の話 今回の動力炉・核燃料開発事業団大洗工学センターでの実験で、床の鉄板の裏側の温度がなぜ、こんな(セ氏921度)に上がったかも含め、さまざまなナトリウムの漏えい形態を考慮して安全評価をやり直すことが必要だ。床の破損に対する評価が不足していたのかもしれず、事故は「不幸中の幸い」と言わざるを得ない。

(中日新聞 1996/06/11)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

回復なお遠い 汚染の大地 チェルノブイリ
固定化進むセシウム ストロンチウムは流動化
半永久的に使えぬ農地も

チェルノブイリ原発事故は、放射能による汚染食品でいまも深刻な健康被害を起こしているが、飛び散った放射性物質のセシウム137は土の中で鉱物類と結合し、植物に吸い上げられる量が事故直後の一割程度にまで減っていることが、ベラルーシ放射線植物研究所(本部・ゴメリ)の研究で分かった。その一方で、同じ放射性物質のストロンチウム90は水に溶けだして植物が吸い上げやすくなっていた。このため、同研究所のフィルサコバ所長は「セシウムによる汚染食品がなくなるだけでも、あと2、30年が必要」と分析している。
事故が起きた時、放射性物質は軽い物ほど遠くまで拡散、セシウムはベラルーシの国土の23%に当たる地域を汚染した。同研究所は、この汚染地で地表から1メートルほどまでの土壌を定期的に採取、1-5センチの厚さごとに放射性物質の割合や移動状況を調べた。
この結果、地中に残るセシウムの7-9割は地表から5センチ以内に集中していることが分かった。この地層は野菜や牧草、キノコなどの根が最も活発に活動するため、放射性物質も高濃度に吸い上げる。1994年にべラルーシ保健省が、個人農家が生産したミルクを検査したところ、そのサンプル約3万4000点のうち約1割が汚染限度の基準値を超え、キノコ、木イチゴなど森の産物は8割が基準を大幅に上回っていた。
その一方で、事故から時間がたつにつれて、セシウムは土の中の鉱物類と結合し、植物が吸い上げにくくなってきていることも分かった。地質によって差はあるが、セシウムはほとんどの地点で約9割が土の中で固定化され、植物に吸い上げられている量は、土の中のセシウム全体の1%以下と推定された。このため、牧草などの植物の中の溝度も事故直後の10分の1にまで減っていた。
しかし、国土の約1割を汚染しているストロンチウムは8割が土の中で自由に移動、一部は水に溶け出してイオン状態になっているため、植物の根が吸い上げやすくなっていた。
フィルサコバ所長は、「地域によっては、事故から3、4年でセシウムが完全に固定化され、汚染食品が激減している。しかし、ストロンチウムやプルトニウムの汚染地は農耕地としては半永久的に利用できないだろう」と指摘している。

(朝日新聞 1996/05/01)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

チェルノブイリ原発近く 子供の遺伝子に多い突然変異
放射線が原因 初めて確認 英誌に掲載

【ロンドン25日高島良樹】チェルノブイリ原発の近くで生まれた子供は遺伝子に突然変異を起こしている確率が高い、との研究結果が24日、ロンドンで発表された。英科学誌「ネイチャー」最新号に掲載される。
研究をまとめたのは、英国レスタ一大学の遺伝子学の権威、アレック・ジェフリー卿で「放射線が遺伝子の突然変異の原因であることが確認されたのは初めて」としている。
同原発の事故で重大な影響を受けたベラルーシの汚染地域に事故後も住んでいる79家族を対象に、両親と、1994年2月から9月までの間に生まれた子供の血液を採取し、遺伝子を調べた。
一方、同原発事故とはまったく関係ない英国の家族105組を選んで、同様の調査し、両グループを比較した。その結果、ベラルーシの子供には、英国の約2倍の遺伝子突然変異が見られた。
この変化は、遺伝子情報として組み込まれ、次世代に引き継がれていく、と同卿は話している。

(中日新聞 1996/04/26)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

チェルノブイリ事故 高放射能粒子の7割地表付近に
ベラルーシ大調査

チェルノブイリ原発事故で大量に放出された強い放射能をもつ微粒子「ホットパーティクル」が10年後の今も、地中に沈まず70%が地表から3センチ以内にあることが、ミンスクにあるベラルーシ国立大学の調査で分かった。こうした微粒子は、地中では少しずつ分解して植物の根から入りやすい、より小さな微粒子を作っている。また呼吸で肺に入った後は、分解して体内に侵入、蓄積するなど、さまざまなルートで健康への脅威となっている。
原発事故で降った放射性物質のうち1粒で強い放射能をもつものがホットパーティクル(高放射能粒子)。ベラルーシの高濃度汚染地では、放射能の4割が高放射能粒子による。とくに核燃料自体が高温で溶けてできた粒はプルトニウムなどを多く含み、放射能も強い。
ベラルーシ国立大の放射線化学研究者ペトリャエフ教授やレイノワ研究員らによると、高放射能粒子は土などの粒子と結びつき、地中には沈まず、今も70%が表層から3センチ以内、ほぼ100%が10センチ以内にある。「事故直後と同じ。驚くほど小さな移動しかしない」(レイノワ研究員)という。
粒子は次第に地中の物質と反応し、分解してより小さな粒になる。事故直後には直径が0.1ミリ、1000ベクレルの放射能を持つ粒子もあった。この1粒が1リットルのミルク中にあれば、現在のベラルーシの許容基準の約9倍になる。現在は大きなものでも0.01ミリ程度、100ベクレル以下になった。
植物の根がこの粒子を丸ごと吸い込むのは難しいが、小さくなれば根から入りやすく、食物汚染の基を供給し続けている格好だ。

(朝日新聞 1996/04/24)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

ウクライナ 47万人が被害者登録 チェルノブイリ事故で

【モスクワ23日=共同】ウクライナ保健省は22日、インタファクス通信に対し、同国民の47万4095人が10年前のチェルノブイリ原子力発電所の事故の被害者として登録されていることを明らかにした。
特に影響を受けたのは成長期の子供たちで、事故発生から昨年までの調査で、15歳までの子供256人が甲状腺(せん)がんの患者として登録された。
このほか、神経や消化器、呼吸器系の疾患なども急増、子供の死亡率が上昇したという。
チェルノブイリ原発事故は、隣国のベラルーシやロシアにも被害をもたらし、ウクライナと同様に子供の甲状腺がんの多発が報告されている。
また、ウクライナ保安局によると、ウクライナの全人口約5200万人のうち約1割にあたる500万人以上が事故による放射線の影響を受けたとしている。

(朝日新聞 1996/04/23)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

チェルノブイリ10年 汚染の大地に「沈黙の春」
ネズミ・シカ…数は増えたが
体内に放射能蓄積 免疫や繁殖力低下

10年前のチェルノブイリ原発事故で「汚染大地」となり、ほぼ無人化した原発から30キロ圏内で、ネズミやシカなど野生動物が増えている。しかし、動物によっては免疫力や繁殖力が低下するなど、放射能の影響が不気昧に広がっている。原発のあるウクライナや隣国ベラルーシでの研究で、こんな実態が明らかになってきた。(ウィーン=竹内 敬二)

ウクライナのシュマルハウゼン動物学研究所によると、1986年4月の事故直後にはネズミが大発生、翌年秋には、1ヘクタールに2500匹と事故前の50倍もいた村もあった。穀物が置き去りにされたためだ。ネズミなどをねらうタカやトビなども多く飛来したが、ネズミは数が増えすぎ、穀物も底をついたため激減。いまは事故前の1.5-2倍に落ち着いている。
住民が疎開して生息地が広がり、狩猟もなくなったので、大型獣も増えた。いまは事故前に比べてイノシシは8-10倍、シカも5-6倍になった。オオカミも増え、ヤマネコなど希少種も確認されている。鳥類も春と秋の渡りの季節には大量に立ち寄るなど、確実に増えた。
こうした野生動物に放射能が蓄積、濃縮されていると、ベラルーシの動物学研究所のグループが先週、ウィーンで開かれた国際会議で報告した。
自然界の食物連鎖で動物性プランクトンに蓄積された放射能は1キロ当たり最高3400ベクレルだったが、魚類では同3万1000ベクレル。食物連鎖の上位にいるイノシシでは同40万ベクレル以上で、食用にする場合の基準の300倍を超す。キツネやシカも高いという。
シュマルハウゼン動物学研究所のガイツェンコさんらがカモなどのヒナを調べたら、87年には飛べるまで生きたのは約15%だった。90年には約30%になり、それ以後も回復しているが、まだ事故前の60-80%よりは低い
卵の殻に蓄積された放射性ストロンチウムが原因らしい。放射能は分裂中の細胞をとくに傷つける。ストロンチウムの化学的性質はカルシウムと似ているので、殻の中に蓄積、濃縮されやすく、細胞が分裂・成長を続ける間、影響を与え続けたとみられる。
60年代以降、殺虫剤などの塩素が鳥の細胞や卵の殻に蓄積、繁殖力を低下させることが問題になった。「沈黙の春」といわれた、この現象と似ている。
ネズミは増えたが、一度に産む子供はふつう6-8匹なのに30キロ圏内では4匹ほど。体も15%ほど小さめで、皮膚の免疫力は被ばく量が多いほど落ちていた。
ガイツェンコさんは「30キロ圏内は動物の楽園になったようにみえるが、深刻な事態が進行している」と言う。

(朝日新聞 1996/04/17)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

放出放射能、推計の3倍 甲状腺がんの原因物質は6-7倍
汚染データを再計算 チェルノブイリ原発事故 OECD報告

【ウィーン10日=竹内敬二】10年前のチェルノブイリ原発事故で放出された放射能は、旧ソ連が事故直後に行った推計より3倍も多く、総計で約11エクサベクレル(エクサは10億の10億倍)に及ぶことが分かった。経済協力開発機構(OECD)がウィーンで開催中の国際会議「チェルノブイリ後の10年」に提出した報告書で明らかにした。
最新推計では、希ガスのキセノンが約6.5エクサベクレル、ヨウ素やセシウム、プルトニウムなど健康に大きな影響を及ぼす種類が約4.4エクサベクレルの計約11エクサベクレル(約3億キュリー)となっている。これでもまだ誤差は大きいとされている。
事故直後、旧ソ連は自国内の汚染データなどからの推計で、キセノンなどが約5000万キュリー、その他が約5000万キュリーの計約1億キュリーが放出されたと発表していた。しかし、欧州各国の汚染データなどを考慮し再計算したところ、さらに大きな値となった。
甲状腺(せん)がんを起こすヨウ素131は当初推計の6-7倍である約1.8エクサベクレルとなっている。チェルノブイリ事故では屋根が吹き飛んで炉心が大気にさらされ、高熱による上昇気流で1週間、大量の放射能の放出が続いた。

(朝日新聞 1996/04/11)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

事故の放射能が甲状腺がん原因 チェルノブイリ専門委が断定

【ウィーン10日共同】

チェルノブイリ原発事故の汚染地域に住む子供の間に発生した小児甲状腺(せん)がんは1986年4月の事故以来659人に上り「事故の放射能以外の原因は考えられない」とする論文を、事故10周年国際会議の専門家委員会がまとめ10日、報告した。
事故後増え続ける小児甲状腺がんは昨年11月の世界保健機関(WHO)の会議でも「被ばくと関係している」とされたが、一部には検査態勢の強化で発見数が増えただけなどの異論もあった。
今回の報告は、放射能以外の可能性をすべて否定しており、チェルノブイリ周辺の小児甲状腺がんの増加原因をめぐる論争に終止符を打つものといえる。
報告によると、事故以来の小児甲状腺がんの発生数(15歳以下)は、ベラルーシで424人(95年まで)、ウクライナ211人(94年まで)、ロシア24人(同)の計659人。
ベラルーシ、ウクライナとも事故の4年後から急に増え始めた。特にベラルーシでは昨年だけで91人の患者が発生、15歳以下の人口100万人当たりの年間患者発生数は38人と、英国(0.5人)の76倍に上った。

(朝日新聞 1996/04/11)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

放射能の影 いまも 死者や子供の病気増加
チェルノブイリ事故で疎開の人々を再訪

1986年のチェルノブイリ原発事故によって住み慣れた村を追われ、疎開した人たちが住むキエフ郊外の村を6年ぶりに再訪した。死者や子どもの病気が多く、10年たっても放射能の影から逃れられない。かだった故郷への思いは消えないが、新しい希望も芽生えつつあった。(ウクライナ・キエフ=竹内 敬二)

電話の故障で連絡がとれず、突然訪問した。庭仕事をしていたスベトラーナ(47)は、手を広げて驚きながら家に招き入れてくれた。キエフ南郊40キロ。国営農場の片隅に同じ形の家が約110戸並ぶ。原発の西40キロにあったボロービチ村から疎開してきた人たちの村だ。原発事故から半月後に強制疎開になり、8月にここに来た。
スベトラーナはここの村ソビエト(議会)の議長をしている。明るい行動的な女性だ。
「きのうも54歳の男性の葬式でした」。10年間の最大の変化は人口の激減だ。疎開時には約360人がいたが、今は235人になった。100人以上が亡くなった。村はずれに新しい墓標が並ぶ。20歳の男性の墓石には「あなたを決して忘れません」という恋人の詩が刻んであった。乳児を残して血液の病気で死んだ21歳の女性もいた。
スベトラーナの夫で医師のユーラ(36)は「血液と心臓の病気が多く、20歳から50歳代の死が目立つ」と話す。「被ばくした子どもの健康状態が悪く、甲状腺(せん)肥大や免疫の低下など、全員に問題がある」。新しい村での誕生は約20人だけだ。健康の心配からあまり子どもを産みたがらないという。
健康の悪化の背景には、生活レベルの低下もあるようだ。この10年でソ連邦が崩壊し、経済危機がきた。近所のオリガ(65)は、「あの事故さえなければボロービチに住んでいたのに」と繰り返す。イチゴやコケモモ、キノコの豊かな森への郷愁は強い。

(敬称略)(朝日新聞 1996/04/08)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

チェルノブイリ原発 10-20年で放射能流出?
埋設廃棄物から川に

【ウィーン2日共同】史上最悪の事故を起こしたチェルノブイリ原発(ウクライナ)の敷地内外にある放射性廃棄物を埋めた穴から、今後10-20年で近くを流れるプリピャチ川に放射能が流れ出す恐れが強いことが2日までに、経済協力開発機構(OECD)の報告書で明らかになった。
同原発など旧ソ連製原発の安全性を討議する国際会議が1日ウィーンで始まったが、原発自体だけでなく、周辺環境の安全性も論議の大きな焦点になりそうだ。
流れ出す恐れがある放射能はストロンチウム90。人体に入ると骨髄などに集まり長期にわたって造血器官を侵す性質があり、同報告書は厳重な監視と安全な廃棄物処分の必要性を指摘している。
問題の穴は事故後、緊急に掘られ、放射能で汚染された原発周辺の約8平方キロの土壌や樹木、草をブルドーザーで集めて埋設した。記録が不十分で正確な数は不明だが総計600-800カ所あるという。
これまでの調査では、対象とした43カ所の穴のうち32カ所が水に浸った状態になっており、周辺のいたるところの水から1リットル中4ベクトルを超すストロンチウム90が検出された。
埋設された汚染土壌には、プルトニウムやセシウム137も含まれているが、これらの放射能は地中の移動速度が遅いため、穴のごく近くにとどまっている。
ところが、ストロンチウムは移動速度が大きく、同報告書は一部の穴からは10-20年でプリピャチ川に流れ出す、と予測。下流域の飲料水が汚染される可能性を指摘している。

(中日新聞 1996/04/03)