初級受講のみなさま、
信じ込みの解放はいかがですか?
初級では、次のように学びますね。
「感情をともなう思い出は、浅い信じ込み。
感情をともなわない、なんの変哲もない思い出は、
さらに古い信じ込み」
感情が伴わない思い出は、感情がともなうものよりも深いって、
理解できていますか?
むかし、私は一般的な催眠療法をしていました。
(いまは、誘導瞑想と読んでいますが)
催眠療法は、とても感情を引き出しやすいのです。
だから、催眠療法では泣くのが終着点のように泣く人ばかり。
当時、わたしの師匠は催眠療法に否定的で、
セラピーで泣いたりする人には、
「よっぱげるな!!」
と怒りました。
つまり、泣くのは自分に酔っている、
感情を出すことでヒロインを演じている、
被害者としての悲しみに酔っている
と言ったのです。
実際、これは、セラピーの落とし穴ですね。
一般的な催眠療法では、感情を引き出すのが目的となってしまい、
実は、その場であらたな被害者意識をつくりだすのです。
で、どうどうめぐりに入ります。
初級のころには感情を解放するのは大切ですが、
それは、信じ込みがはずれ、
事実はそうじゃなかったとわかったときの
罪悪感の涙であってほしいものです。
「お母さん、お父さん、ごめんなさい~」という涙ですね。
しかし、本当の意味での信じ込みの解放には、
必ずしも涙は必要ありません。
上級では、実際、あまりにもばかばかしい勘違いをしている自分に、
大いに笑います。
もう罪悪感もありません。
笑うしかない、というかんじです。
熊本では何人かの人が、大笑いしました。
上級では、そんな爽快な体験をしてほしいですね。
お待ちしております。