阪神大震災の思い出 | ワイリーガレージQ

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私の趣味であるチョロQのコレクションとカスタムをメインに
その他おもちゃなどを紹介するのブログです。

今日は阪神大震災の起こった日でした。
もう16年も経つんですね。


実際に被災した身としましては
当時の事を思い出すと辛いのですが
この出来事が風化してしまうのはもっと辛いですね…。


今回はちょっと真面目に
震災時の体験談を書いてみようかなと思います。



当時、私は11階建ての住宅の11階に住んでいたので
揺れ具合は半端ではありませんでした。
それは一瞬の出来事で気が付けばタンスの下敷きで埋もれていました。


真っ暗で何も見えなかったのですが
どうやらテレビが転がってきて私の隣にあるようで
その上にタンスが載っているようでした。
このわずかの隙間のおかげでケガもなく済んだようです。


その時、家には私と母の2人しか居なかったのですが
声をかけてみると母の返事があったので無事なのが判りました。


身動きが取れなかったのですが
だんだん息苦しくなってきたので
上に載っているタンスを蹴ったりして暴れていると
なんとか退ける事に成功しました。
これが火事場のクソ力なんだなと思ったのを覚えています。


とりあえず脱出して次は冷蔵庫と本棚の倒れた
隙間にいた母を救出してベランダにでて外を見てみると
いろんなところで煙が上がっていました。


外へでてみると向かい棟の1階部分はへしゃげてるし
一軒家が軒並み潰れていたり
自分が思ってより大変な事になっている事に気づきました。


もちろんライフラインは全滅で
ラジオすらなかったの情報が何も入りませんでした。


なんとか住めそうな状態だったので
家を片付けてたのですが、ひっきりなしに余震が起って
恐いので近所の小学校へ避難しました。


行ったのが遅かったので体育館には入れてもらえずに
図書室の前の廊下で一晩を過ごす事になり
この日の寒かった晩の事は今でも忘れることができませんね。


一方グランドで空を眺めたら満天の星空で
街の明かりが無いと神戸でもこんなに星がみえるものなんだなと
感動したのは悪い状況の中で唯一いい思い出となりました。
ほんと星座がわかるくらいはっきり見えて星だらけでしたよ!


翌日も早朝からガス漏れがあるとの事で
山手の小学校に避難勧告がでたりと
波乱の避難生活の幕開けでしたね。



数日後、阪急が西宮北口まで運転再開を
したというニュースを聴いて
物資確保当の為に大阪へ行こうと思い
私が単身で3駅先の西宮北口まで
自転車を飛ばして行きました。


まるで中国の様に自転車とバイク天国となった
国道二号線を走ったのですが
芦屋・西宮と進む毎に、こちらの被害も深刻で
大変な状況を目の当たりにしました。


やっとの事で西宮北口に到着して
無事電車に乗って大阪に行けたのですが
大阪ではごく日常の風景が広がっており
大阪駅の巨大モニター前で震災のニュースを見ていたのですが
同じくニュースを見てる人はすぐ隣で起こっている事も
どこか遠い所の出来事かのようなで感じでみているのが衝撃的でしたね…。


やっぱり当事者じゃないと実感が無くて他人事なんだな~
とギャップを感じました。



その後は色々とありまして
親戚を頼って大阪・京都と転々とした後
大阪に仮住まいを借りて
数年後には再建された今の住居に帰ってまいりました。



今回は震災の日という事で
震災の思い出を語らせていただきました。
最後までお読み下さった方はありがとうございましたm(_ _ )m


次回からはいつも通りのTOY系記事を更新しますよ。