F子さんの体験の続きです。
講師は続けてこう言いました。
「例えていえば、嫉妬心は氷のようなものです。愛情や同情は水のようなものです。水と氷は本来同じものですが、冷たい心で固まっているときは氷になり、暖かい心で溶かされると水になります。
今のあなたは、冷たく固まっていた心が、ようやく溶けて流れ始めたところなんです。ようやく本来の自分に戻ることが出来たのですね。これからはその体験をご両親や周りの人たちのために、活かしていくことが大切ですよ。」
画像 yahoo.co.jp 箱根駅伝
この言葉を聞いているうち、涙が止まらなくなってしまいました。
今までさんざん苦しめてきた両親に、相済まない気持ちがあふれてきて、どうしても止めることが出来なかったんです。
今までの私は、自己中心的な甘えと奢り、空想や妄想にとらわれた化け物だったんです。これまで私は、『自分は聡明でハイセンスで、才能に富み、誠実で謙虚で、同情心に篤く、そして少しは美しい。』と言った、とてつもない滑稽でナンセンスな自惚れを持ち続け、他人にもこの勘違いを吹聴しまくっていました。つまり、見せかけのふるまいだけで、二十数年間を過ごしてきたのです。
けれど実際の私は、両親をはじめ、周りの人たちを憎み、軽蔑する事しか知りませんでした。嫉妬心ばかりが強い、悪魔のような人間でした。
さらに世間の些細な誤解や、劣等感にも一人で耐えることが出来ず、もっともらしい理屈を設けて逃げてばかりの意気地なしでした。
自分で不幸をかこち、安逸な生活をむさぼりながら、その焦りの矛先を両親に向け、あらん限りの罵詈雑言を浴びせた私。
このように、人間性のかけらも失っていた自分を、自分でどうすることもできず、自分で「この世の地獄」を作り上げて行ったのです。
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彼女はこのように懺悔しました。
本当の自分に目覚めることが出来た彼女が向かったのは、実家でした。そこで両親に謝罪したと同時に、気づいたものがありました。
それは自分の部屋の汚さと、不要なモノの多いことでした。おそらく嫉妬心にとらわれていたころは、部屋の汚れなんて気にすることさえできなかったのでしょう。モノの多さは、自らの空虚な気持ちを、モノで埋め合わせようとしていたせいかもしれません。
彼女はその部屋を気軽に掃除を始めました。そしていつの間にか洗濯や料理と言った家事に夢中になっている自分を発見したのです。
何もかもが以前と違って見えたそうです。きっと彼女の心の奥にうずもれていた「純な心」が、目覚めてきたのでしょうね。
参考・・・「あるがままに生きる」、「悩むあなたのままでいい」