「勝ち負け」にこだわる① | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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人は幸せになるために生きています。しかしなかなか思うようになりません。それは私たちが幸せになるのを阻害する要因が、この世にはたくさんあり過ぎるからです。もちろんどうしても避けられないものもありますが、考え方次第で楽になれるものも少なくありません。

その一つ、「勝ち負け」について考えて行きましょう。

 

言うまでもなく、この世のすべては「勝ち負け」であると言って良いくらいです。皆様も様々な「生存競争」を勝ち抜いて、ここまで生きてこられたのでしょう。大変でしたね。「勝ち負け」は私たちに多大なストレスを与えます。ならばいっそのこと、「勝ち負け」なんて無くしてしまえばよいのでしょうか。

 

         画像 ja.pngfree.com  じゃんけんの勝負

 

例えば皆さんスポーツは好きですか? もしすべての試合を「引き分け」にしてしまえば、勝ちも負けもないので、皆さん納得するでしょうか。「負け」ることもない代わりに「勝つ」事もないのです。そんな試合応援しますか?

ひところ運動会で「順位をつけるのは不適当」として、みんなで手をつないでゴールをするというのがありました。確かに「平等」なのかもしれませんが、「公平」でないような気がします。例えば足の遅い子が一生懸命練習して早く走れるようになった。そんな頑張りさえ評価されないのなら、明らかに「不公平」です。もちろん足の速い子の立つ瀬もありませんよね。

 

スポーツにせよ仕事にせよ、勝てればうれしくなります。だからモチベーションも上がります。負けたら悔しい思いをします。そして「今度こそ勝ってやる」と、こちらもモチベーションが上がることでしょう。

このように「勝ち負け」はストレスを与えるものではありますが、同時に私たちが人間らしく生きていくにあたって必要なものだと思われます。

もし勝ってももうれしくなく、負けても悔しくないならば、ストレスもない代わりに、全く面白みもなくなります。

 

「勝ち負け」そのものが悪いのではありません。「勝ち負け」にこだわり過ぎるから、ストレスフルになって、苦しくなってしまうのだと思われるのです。