森田を長年勉強していても、なかなか身につかない。と訴える人が多いようです。何故なんでしょう。勉強の仕方が悪いのでしょうか。
そういえば、日本人は中学校から何年も英語を学んでいるのに、なかなかしゃべれないという話を聴いたことがあります。
え? 関係ないだろうって?
とんでもない! 両者は深い関係で結ばれているのです。
画像 linkuptoyo.sixcore.jp 論語を学ぶ
私たちは英語を勉強する時、まずは辞書を開きます。言うまでもなく意味を調べるためですよね。でも子供はこんなことはしません。英語を話している人を見よう見まねで真似してみようとするのです。そうして身に付けて行くんです。たとえばネイティブな人の話し方や動作などをまねることで、自然に言葉を覚えていくんです。それは言い換えれば「体験を通して学ぶ」ことになるのです。
言葉と言うものは、本来体験と結びついているものです。
同じ意味であっても、体験が異なれば、それは全く違う言葉になるのです。
例えば『海』と、『Sea』。辞書的には同じ意味ですよね。
でも私たちになじみの深い日本の海と、イギリスの海はもちろん違うものです。具体的に海の香りだったり、行きかう船の汽笛だったり、あるいはそこに住んでいる人たちの生活臭も違っているはずです。
これらの体験と密接に結びついているのが『海』であり、『Sea』なんてすね。体験と言葉は結びついていると言いましたが、もちろん体験が先です。したがって言葉から体験が想起されることは絶対にないんですね。(ある程度は想像できますけどね)
しかし日本人は、言葉から体験を引き出すような無茶なことを、一生懸命やろうとしているのです。だからなかなか英語が身につかないのですね。
画像 mag.nhk-book.co.jp なぜ英語が苦手なのか
実は森田理論も同じです。
私たちはまず、森田の言葉の意味を覚えようとします。例えば「あるがまま」、「人に尽くす」、「純な心」など。これらの言葉もすべて体験から抽出されているものです。
昔A理事と言う、とても森田の説明が上手な方がいました。彼の理論はとても分かりやすいので、全国の集談会から引手あまたでありました。残念ながら数年前に他界されましたが、私も一度だけ講義を聞いたことがあるのです。
私が考えるに、彼の分かりやすさと言うのは、なるべく抽象的な概念を使わずに、体験から導かれるような言葉に置き換えていたからだと思うんです。だからとってもわかりやすいんです。
体験があれば、たとえわからない言葉であっても、「ああ、あのことね」と、ピンときます。体験が無いと、いくら説明されてもわかりません。
それでなくても神経質は体験不足です。それを補うかのように、何でも理論や理屈から入ろうと言うのが神経質の特徴です。
だからいつまでも身につかないんですね。
参考・・・「生活の発見会メルマガ あずま橋通信」