私たちはほぼ例外なく、たくさんの不安に取り囲まれて生きています。たとえば健康に対する不安、経済的なことを含め、老いてゆく不安、体裁を取り繕うあまり、嘘の自分を演じ続けることへの不安、・・最近とみに物忘れが激しくなりました。固有名詞は出てこないし、用事を思い出して立ち上がるものの、次の瞬間には、なんで立ち上がったのか忘れてしまいます(笑)。
画像 wallpapertip.com 悲しい悲観的な背景
これほどまでに不安を感じているくせに、その不安に押しつぶされることなく、良く生きているなと思います。おそらくいつも不安を感じているからこそ、こうして生きていられるのだと思うのです。
明日の事はわかりません。確かに不安です。しかしそう思うからこそ、今日一日をしっかり生きなければと思えるのです。
私は物心ついたときから、不安を抱えて生きていました。もちろん今もそうです。もしかすると、不安と言うものを生きるエネルギーにして、生きてこられたのではないかと思うんです。
「不安は力である」
と言った人がいました。そのころは「何をふざけたことを」と思っていたのですが、今この年になって、「なるほどな」と思えるんです。
もし不安と言うものがなかったら、こんな風に充実した毎日を生きていられないのではないでしょうか。
画像 cocoromi-mental.jp 社交不安障害
ところが現在、「不安」を悪者扱いする風潮はますます強まっているような気がします。「不安」は悪いもの、あってはならないものだから、
それを取り除くことがメンタルヘルス上重要である。と思っている人が多いように思われるのです。
「不安」の反対は「安心」でしょうか。おそらく日本人の大部分が「安心」を求め、「不安」を排除しようとしているのかもしれません。
もちろん私も「不安」よりは「安心」の方を選びたいです。これは人情として当然のことです。問題は不安を取り除こうとするあまり、周りが見えなくなってしまうことです。
不安と安心、これはどちらが良くて、どちらが悪いと言うことではないと思います。良し悪しは別として、どちらかが欠けても、もう片方は存在できなくなってしまいます。
私たちが「ああよかった」と胸をなでおろします。そうあるためには前提として「強い不安の体験」が必要です。不安があればこそ、そこから解放された喜びがひとしおに感じられるのです。
参考・・・「心の再発見」、「不安の力」