「治さない」療法? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

「不安」は悪いもの、あってはならないもの。だから不安は速やかに排除しなければならない。多くの人はそのように考えています。「不安」を「症状」に置き換えてみると、それが良くわかるでしょう。

不安はたいてい不快なものです。だからそれを排除しようとするのは良く分かります。事実西洋で発達した心理療法は、「不安を完全に無くす」ことを「治癒」と呼んでいるようなんです。

 

       画像 youtube.com  不安なままにやってみよう

 

しかし、わが国で創設された「森田療法」は少し違います。「不安」を排除するのではなく、「不安と共存する」ことを目標にしています。

なぜ、こんな考え方になるのでしょう。其れは森田療法が「自然」と言う枠組みで考えられているからです。

「不安」は悪いもの、「安心」は良いもの。このように「良い」、「悪い」とか、「正しい」とか「間違っている」とか、「正常」とか「異常」とか言う枠組みではなく、物事を「自然/反自然」と言う枠組みで理解しているからです。

 

例えば私たちは人生で様々なつらい思いをします。そのことにより、不安、恐怖、絶望、などの不快て苦しい感情が想起されます。もしこの感情が長く続くようなら、西洋では「異常」と言う判定が下るでしょう。

しかし「自然/反自然」と言う枠組みで見れば、辛い体験をすれば不快な感情が起きてくるのはきわめて「自然」なことです。

それをなくそうとしたり、排除しようとすることこそが、「反自然」なんです。排除しようとする反自然な考え方が、苦しみを強めてしまうのです。

 

このような考え方を「あるがまま」と言います。「あるがまま」とは、「そのままの状態」の事ですから、ある意味「治さない」ことに繋がります。

〇〇療法と銘打っているのに、「治さない」とは何事だ。それは医療の怠慢である。なんて主張もありましたが、別に森田療法は「ほったらかしておきなさい」と言うのではないのです。

不安や症状を「無くそう」とか「治そう」と言う働きかけ(これをはからいと言います)が、かえって不安や症状を強めてしまうので、森田では不安や症状はそのままにして、やるべきことをやっていきましょうと指導していくのです。

 

             画像 asahi-net.or.jp 無為自然

 

一見非常に厳しい療法です。不安や症状だけでも苦しいのに、その上に仕事や家事をしっかりやりなさいと言うのです。いわゆる「癒しブーム」とか「自己受容」などと真っ向から対立するような、現代にそぐわない、前近代的な治療法のようにも思えてきます。

しかしそれは一面的な見方です。実は森田療法ほど、「自己受容」を大切にしている療法はないのです。

そもそも「不安」や「症状」を治すと言うのは、「今のままの自分じゃいかん」と言っているのと同じです。つまり自己否定です。

 

もともと不安や症状も、外部から入ってきたものではなく、自分の中に在ったものです。それが「誤った認識」や「誤った努力」で、マイナスの方向に現れてしまったものが「神経症」です。

ですから、もともと「自然」なものなんですね。不安や症状を抱えたあなたこそが、即ち「自然なあなた」なんです。
「治さない」と言うのは、決して無責任からではなく、患者さんに対する最大級の「リスペクト」であるんですね。

次回は「治りたくない」を考えて行きます。

 

参考・・・「初めての森田療法」、「心の再発見」