大人になったら、、こんな風になってみたい、あるいはこんな生き方をしてみたい、などなど、若いころは将来に対する希望や夢で一杯ですね。そういう意味で若いころと言うのは、人生で最も充実した時間なのかもしれません。
また「こういう自分になりたい」と言う目標があった方が、ただ漫然と生きているよりは、はるかに充実した人生を送れるかもしれませんよね。
画像 townwork..net 人生って、何?
でも、これだけでいいんでしょうか。もちろん「こうなりたい」、「こういう生き方をしたい」と考えるのは大切です。しかしそれだけでは片手落ちなんです。
「こうなりたい」のなら、何故、「こうなりたい」のか?
「こういう生き方がしたい」のなら、何のために「こういう生き方がしたい」のか?よく考えて欲しいんです。
理由は二つあります。一つは、前にも少し触れましたけど、あなたが思い描いている「こうなりたい」と言う希望は、本当にあなた自身のものなのか、はっきりしていないんです。
もしかすると、母親と先生とか、そういう人の思惑だったものを、あなた自身の希望として、取り込んでしまったものなのかもしれないからです。例えばあなたが「いい大学に入って、エリート社員になりたい」と思っているとしましょう。そういう目標に向かって努力する姿は尊いものです。しかし本当に自分自身の心の奥底から湧き出たものでない限り、人の思惑を気にするあまり、無理をし過ぎてしまい、結局燃え尽きてしまうこともままあるんです。
だから改めて自分に問い直してほしいんです。
「なぜ、いい大学に入ってエリート社員になりたいのか?」と言うことを。そういう風に考えて行くと、「なぜ」の部分が目標になって、それからあとは手段になるんです。
「なぜ?」、「何のために?」と言う部分がはっきりすれば、必ずしも「いい大学」に入ったり、「エリート社員」になる必要はなくなるかもしれませんよね。そんなところから、等身大の自分が本当にやりたいことが、見えてくるんですね。
画像 en.bloguru.com 何のために何をする?
神経質者の会の人は、100人が100人、「神経症を治したい」と言います。「そんなの当たり前じゃないか?」とお思いですか?
実はこれも自分の考えよりも、世間体や優等生的答えを多分に意識した答えになっている可能性が高いのです。
その証拠に、神経症に悩んでいる人の少なくないパーセントの人が、「治りたい気もするけど、今は治りたくない」と言う答えをするんです。
一体どっちなんでしょうか。
「治りたい、だけど治りたくない」と言う心理は、後でじっくり解説したいと思います。
そのヒントとして、「なぜ、治りたいのか?」、「何のために治すのか?」と言うことを考えて欲しいんです。
もし惰眠をむさぼりたいだけだったり、浮浪者生活をするのであれば、何も苦しい思いをして、神経症を治す必要はありません。
しかしあなたが、「ダメな奴と思われたくない」とか、「結婚してちゃんとした生活を送りたい」とか、そういう気持ちがあるのなら、苦しい思いをしてでも神経症を治していかないとなりませんよね。これか二つ目の理由です。
希望に満ちた皆さんだからこそ、「なぜ?」、「何のために?」と言う問いかけで、自己を深めていただきたいと思うのであります。
参考・・・「悩むあなたのままでいい」、「森田療法のすすめ」