ビビる必要ありません! | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

とはいうものの、やっぱり怖い上司に叱られるのは嫌ですよね。私なんかいつも叱られるのではないかとビクビクしていました。ビビリなんですね。でも、ビビる必要なんてさらさらないんです。

そもそも『ビビる』とか、「委縮する」と言うのは、何が原因になっているのでしょう。おそらく私がそうであったように、「叱られるのではないか」と言う不安、その反面の「叱られたくない」と言う欲求の表れだと思います。

 

       画像 irasutoya.com 高いツボを割ってしまった

 

おそらく「失敗した」=「叱られる」と言う図式が頭の中にしみこんでいるのかもしれません。だから「絶対に失敗してはいけない」と考えるほどに、頭がいっぱいになり、身体の細かい動きにまで気が回らず、ゆえに失敗する可能性が高まってしまうのでしょう。「気が利き過ぎて間が抜ける」と言うものです。

さて、「ビビる必要はない」に話を戻します。そもそも仕事上で失敗した場合、どうすればよいのでしょう。

 

まずは①謝罪する。そして②失敗した原因を特定する。そのうえで「再発させないように工夫をする」と言うことです。この三つをしっかり押さえて上司に報告すれば、少なくとも「厳しく叱られる」ことはないと思います。

問題なのは、上記の三つがなされていない場合です。とにかくビビりの私たちは、何とか早く許してもらおうと焦るばかりに、①②③の報告をおろそかにしてしまう傾向があるのです。これでは上司の怒りに油を注ぐようなものなんですね。

 

森田先生は、失敗したときの心構えとして、こんなことを述べています。

「人のものを壊したときに、『過ちて皿を割り、驚きてこれをつなぎ合わす。これ純なる心なり』と言うように、ああ惜しいことをしてしまった、何とかならないだろうか、と言う心持であれば、物そのものになることが出来るが、「ああ失敗しちゃった! 怒られるぅ! どうしようどうしよう!」などと考えるなら、自他の区別が激しく、壊れたものはどうでも良くなり、ただ自分さえ罪を免れれば良いと言う風になる。・・これを「悪知」と言う。・・

 

・・ああ惜しいことをした、何とかならぬか、」ただそれだけの心持でいれば、同じ過ちを繰り返す事はない。しかし『自分はダメ人間だ、みんな自分を笑うだろう、再びこんなことが無いよう、一層注意しなければならぬ」と考えるほど、同じ過ちを繰り返す。・・

 

      画像 irasutoya.com 部下をしかりつけている上司

 

・・持ち主に対し、「惜しいことをしました。なんとかならないでしょうか。」と言うならば、持ち主も壊した人も、共に大切な品物そのものになって、残念と言う気持ちが一致しているから、ともに惜しみ、ともに悲しむということになり、そこに自他の区別はなくなっている。これに反し、いろいろ言い訳をしたうえに、「どうかお許しください」となると、これは自己中心であり、もはや壊したものなどどうでも良くなる。自分さえ助かればよいと言うことになるから、持ち主も悔しくなって、怒鳴りたくもなってくる。」

 

長々と引用しましたが、「なぜビビるか?」と言うことがお分かりいただけたと思います。先に自分の失敗に素直な気持ちになって、言い訳せずにしっかりと謝罪し、失敗の原因を自己の不注意を含めて認め、再発防止に努める。と言うことが大切だと言いましたね。これがちゃんとできていれば「ビビる」必要はないんです。それでも「ビビって」しまうのは、失敗に恐れおののき、何とか取り繕うとする逃げの心理になったり、自己保身のために責任転嫁するような言動をしてしまうからなんです。結果、当然上司の怒りを買うことになりますよね。

 

つまり、なすべきこととしての事後報告としてちゃんとせず、自己防衛のみに腐心しようとしているから、当然上司の怒りを買います。それが常態化していつも予期不安になっているから、あなたは上司に対して常に「ビビって」いるのではありませんか?

つまり、自分の事しか考えられないから、必要以上に「ビビって」しまうのだと思います。「失敗しないように」も大切ですが、「失敗したときどう動くか」と言うことも、サラリーマンとして大切なことだと思いますよ。

 

参考・・・「現代に生きる森田正馬の言葉」、「悩むあなたのままでいい」