「治る」事について、昨年末の記事に『人に感謝できるようになれば治ったと言える』と書きました。確かに自己中心な患者が気付きを得て、人に感謝できるようになれば神経症は完全に治ったと言えるんですね。これは客観的にもわかる指標だと思います。
画像 Amebaブログ 治りました!
ところで森田先生は、赤面恐怖を例に挙げて、こんなことをおっしゃっているのです。
「赤面恐怖が治るには、もっと細かく恥ずかしがるようでなければならない。」
えーっ! それって治らないどころか、ますますひどくなっちゃうじゃん?
まぁ、普通の人はそう思いますわね。森田先生は続けます。
「・・単に恥ずかしくなくなったというのでは、まだ治ったとは言えない。必ずや再発するのである。心悸亢進でも卒倒恐怖でも同様です。
症状とは誠に恐ろしいものであり、苦しいものでなくてはならないのである。」
もし森田を学んで、「とらわれが無くなった」とか「すっきりした」と言うことならば、それは治っていない証拠なんです。赤面恐怖が赤面しなくなったのならば、それは治ったことにはなりません。実は治っていないんです。と言う結論になってしまうのです。森田療法ってめんどくさくてわかりづらいですね(笑)。
「とらわれ」についても、森田先生は「とらわれる時には遠慮なくとらわれていくように」と語っています。神経質は執着心が強く、過敏ですから、一生とらわれてしまうこともあるでしょう。もちろんこの私も然りです。それはそれで仕方のないことです。
私たちは治る治らないにかかわらず、生きるうえで常に不安や恐怖がついて回っているのです。
画像 おおしま整骨院 赤面症
しかしそれでもなお、わたしたちは生き続けることが出来ます。私たちは長年、過敏性と執着性の強い中で生きてきました。主観的には「いつ倒れるか?」、「いつ病気になるか?」、「いつ死ぬか?」と、戦々恐々として生きてきました。
ただ生きているだけでも大仕事です。森田療法では、「ただ、生きることこそ大切なんだ」と言います。
対人恐怖地獄にいた私は、あまりの苦しさゆえに、『自分はこの世に生きることが許されていないのでは?」と感じていました。
しかし森田に出会う中で、少しずつですが、『自分も生きるのを許されているのでは?』と言う思いが、まだまだかすかですが、湧いてきているところなのです。
なので、現在は、「すみません。もうすこしだけ生かさせてください」と言うところでしょうか。
※え? 先生の言ってる意味が分からない? 人は生きている限り赤面するもの。自分に向いた注意の固着(とらわれ)をなくしていくには、逆にもっと細かく赤面に意識を向けるようにしなさい。 と言うことなんですよ。
参考・・・「悩むあなたのままでいい」、「そのままのあなたですべてよし」