叱るのも愛のうち | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

一般の人たち、特に若い人の中には、教師や上司が生徒や部下を叱ったりするのは、はなはだ不親切で思いやりのない行為である。と言うような考え方をする人が少なくないようなのです。

しかし、事実は必ずしもそうではありません。生徒や部下の将来を思えばこそ、厳しく叱りつける場合も少なくないのです。

 

        画像 www.ac-illust.com 厳しく叱る上司

 

学生時代も随分叱られたことは昨日書きましたが、今思えばまことにありがたいことだったのですね。先生たちに愛情があったからこそ、叱ってくださったのだと思うんです。

小学校当時体育を担当していたO先生には、良く叱られていました。たとえば隣の人とこそこそおしゃべりをしていると、「柴@栃、駆け足してこい!」と命じるのです。しかも先生が『良し!』と言うまで、グラウンドを何週もさせられました。

 

O先生は厳しい先生でしたが、生徒を殴るようなことはしませんでした。今から考えれば、走るという行為は体と精神力を鍛えることにもなるし、ある意味合理的な罰だと思うんです。

中学時代の英語の担当はT先生でした。この先生の授業では、あらかじめ予習をしていかないと、徹底的に油を搾られるのです。

ある日英文を読まされていたら、読めない単語にぶつかってしまいました。

 

「language」

そう、「言語」という単語です。私はこれをあろうことか『ラングアゲ!』と読んでしまったのです。クラス中が爆笑する中、先生はじりじりと私に近づき、こぶしを私の頭に当てて、「電気マッサージ」と言いながら、頭をぐりぐりするのです。当時の感想としては「痛気持ちいい」と言うところでしょうか(笑)。この先生も生徒に体罰を加えることはありませんでした。

 

         画像 HANDMADE in Ω社 和菓子の恩

 

そういえば森田先生も、入寮生に対してはかなり厳しい先生であったと言われています。なかなかとらわれが抜けない患者に対して、「君は気が利き過ぎて間が抜けている」とか「屁理屈の名人」とか、「お使い根性の見本」であるとか、かなり不名誉な「あだ名」をつけられていたようです。厳しさの中にユーモアも備えた先生だったのですね。

 

冒頭にも述べたように、変に優しい先生よりも、厳しく叱ってくれた先生が一番ありがたかったと思うんです。もし厳しく叱られることがなかったならば、私は救いようのない「自惚れ人間」になったに違いないと思うんです。昔はそういう厳しい恩師や師匠がいたおかげで、私のようなぼんくら人間でも、「本来の謙虚な自分」と言うものに、目覚めることが出来たのだと思います。しかし「叱る」と言う行為は一歩間違えると、恨まれる原因にもなるので、よほど教育愛の豊かな人でなければ、なかなかできないものかもしれませんね。

 

参考・・・「あるがままに生きる」、「森田式生活術」