自慢するわけではありませんが、本当に私は良く叱られました(笑)。褒められた経験はないくせに、叱られたり怒鳴られたりした経験だけは豊富にあるんですよね。まあ、出来の悪い人間ですから仕方がないんでしょうが・・・ ←こらこら、自分いじめはやめなさい?
画像 ハッピーライフ すぐに怒鳴る人
さて、ここで問題です。「叱る」と「怒る」の違いは、どこにあると思いますか? ちゃんとした「違い」があるんですよ。でも外から見たらわからないかもしれませんね。例えば・・・
「バカヤロー!」
と、怒鳴っているのを見ても、それが叱っているのか怒っているのか、第三者にはわかりません。
なぜならその違いは「心」にあるからです。
「怒り」と言う心は、仏教ではすべてを焼き尽くす恐ろしいものであると説いています。言うことを聞かないヤツや、自分の悪口を言うヤツに起きる心です。そいつがいると自分の思うようにできない時に、そいつに対して起きる心です。
いずれにせよ発想の中心は『自分』です。
いつも自分の損得ばかりを考えているんです。その心に任せて、「バカヤロー!」と怒鳴り散らします。当然周りも本人も不幸になります。
一方、「叱る」のは、相手に良くなってほしい、幸せになってもらいたい、苦しんでいる相手を何とか救いたい、との思いからは発する心なんですね。ここでの発想の中心は「相手」です。
叱られた人は、気分を害するかもしれません。叱った自分を嫌うかもしれません。誰も嫌われたくありませんから、多くの人は往々にして叱るのをためらってしまいます。
画像 yahooニュース 怒鳴られて育った子供
そして多くの人が本人を叱ることなく、見て見ぬふりをするか、影で「あいつはダメな奴だ」と言いふらして、ストレス解消をしているのです。いずれにせよ本人も周りも不幸になります。
そんな中、嫌われるのを覚悟のうえで、それを指摘してあげる行為が「叱る」と言うことです。
まさに「慈悲」の心から、「バカヤロー!」と言ってくれる人がいるとしたら、それはなかなかお目にかかれない貴重なお方だと思わなければなりません。とてもありがたい人なんですね。
中々叱られて「ありがとう」と言う気持ちにはならないですよね。でも心向き次第で、自分も周りももっと良い方向に変わっていけるのです。
参考・・・「とどろきクラブメルマガ」、