『苦楽(禍福)はあざなえる縄の如し』
『二つ良いこと、さてないものよ』
昔の人は言いました。
苦しみが楽しみになったり、楽しいことが苦しいことになったりと、この世の苦楽はよりあわせた縄のように、表裏一体をなしているものである。
一つ良いことがあると、一つ悪いことが起こるものだ。
それぞれ、このような意味になります。
二つ良いこと、さてないものよ。
職場で異例の抜擢を受ける。すると同僚の妬みを買う。
宝くじに当たる。たかりにこられる。
世の中は実にうまく出来ています。一つのところに良いことが集中しないよう、上手に仕組まれているのです。中にはこんな道理も知らないで、文句ばかり言って暮らしている人も居るようですね。
確かに私たちは、全てOKを望んでいますので、何かいやな事があると文句の一つも言いたくなってしまいますが、そんな時、『二つ良いこと、さてないものよ』と、つぶやいてみるのも、良いかもしれません。たぶんそれ以上の腹立ちは収まるかもしれませんよ。
さて、この法則は同時に、『二つ悪い事も、さてないものよ』と言っているようにも思われるのです。何か良くないことが起こったとき、それに見合うだけの『良いこと』が存在している可能性があるのです。
例えばお仕事が絶好調のときに、病気になってしまいました。『何でこんなときに・・』と、悔しくなります。残念で仕方ありません。しかし良く考えるとそれは、『やりすぎ』に対する警告で、もっと身体を休めなさい。と言う神様からのメッセージかも知れないのです。
せっかく夫婦そろって地位や財産を築き上げてきたのに、親類の道楽者が金をせびりにやってきます。その対応で夫婦そろって四苦八苦しているが、考えてみると、夫婦が一つの目標に向かって力を合わせて対応しているおかげで、多くの夫婦が襲われる『熟年離婚』を回避できているかもしれないのです。
『二つ良いことは無い』
が本当に理解されてくると、何か良いことがあった場合、有頂天になることなく、訪れるであろう『良くないこと』の存在が、前もって見えてくることがあります。それが分かれば、それに備えるための覚悟も出来てきます。人間は同じ苦労でも、突然やってくるものよりも、在る程度分かっているものの方が、凌ぎやすいと言われています。あるいは前もって心積もりをすることによって、あるいは積極的に受け入れることによって、難を軽く出来るのかもしれません。
今でも田舎に行くと、何か祝い事があったときには親類縁者やご近所に祝い餅を配る風習が残っています。あれなども『二つ良いことは無い』とのバランス感覚が生かされてきた側面もあるのだろうと思うんです。古い風習と聞くと、すぐわずらわしいものと感じてしまいがちですが、こういう観点から見直してみると、案外深い意義があったりするのが理解できるのですね。
さて、実は知人の嫁さんが、この話しにうってつけの体験をしたんですよ。知人は地元の県北の、それはそれは山間の集落に家を構えているそうです。まだ結婚する前、嫁さんを親に合わせるために実家に向かっていると、いつまでもいつまでも続く山道に痺れを切らした嫁さんから、『ねぇ、まだなの?』と突っ込みを入れられたそうです。それほど山の中なんですね。
在る日、都会に住む親戚一同が知人の家に遊びに来ました。知人は親戚達を連れてきのこ採集に出かけました。すると沢山の『シメジ』が取れたのだそうです。
早速奥さんの手で、きのこ汁が振舞われました。ところが一人分きのこが足りないのです。こんなとき奥さんはかわいそうですね。それでなくても田舎の家ですから、家父長制度なんてものがあり、奥さんの立場は最も冷遇されていたのです。仕方なく、奥さんはきのこ抜きのきのこ汁をいただきました。
その夜宿泊した親戚達は、酒盛りを初め、泥酔状態で就寝しました。そして深夜になった頃・・・一人、トイレに向かう足音が聞こえました。その一人が終わるか終わらないうちに、次の人もトイレに立ちました。そして、奥さん以外の全員がトイレに立ったのです。
そうです。きのこ中毒でした。『シメジ』だと思ったきのこは、『ツキヨタケ』でしたそうな。
いつも冷遇され、家族に遠慮ばかりしていた奥さん。それでも今回は、幸運の神様が微笑んでくださったのですね。
『二つ悪いこと、さてないものよ』
参考・・・『心晴れたり曇ったり』、『こころの処方箋』