強迫の人? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

話しは認知症から強迫性障害に飛ぶ。

先だっての日曜日。神経質者の定例会があった。久しぶりに新しい顔ぶれが有った。話しを伺うと、お二人とも強迫症状に悩んでいる様子であった。

そのうち一人は、神経質者の会員で有るが、もう一人は通常のクリニックで通常の治療を受けているとのことだ。

 

本当ならば一人づつ個別に対応したいところだが、あいにくそんな時間が無い。幹事一人が故のもろさである。とりあえず通常の治療を受けている方を中心に、なるべく森田用語を使わないように注意しながら対応した。

 

 

最近は『強迫性障害』と言う言葉もずいぶん知られるようになってきたが、まだまだ認知症と同じく誤解と偏見の多い疾患である。

一番多い誤解は、もともと完全欲が強く、こだわりやすい性格の人が、強迫性障害になりやすいのではないか。と言う考えである。

 

もちろん×である。

たとえば几帳面、細かいことにこだわりやすい、融通が利かないと言う性格特徴は、強迫性障害に共通するものがある。だが性格傾向と強迫性障害は直接関係ない。関係するとすれば、『強迫性障害』ではなく『強迫性パーソナリティ障害』である。

 

『強迫性パーソナリティ障害』とは、先ほどの性格傾向が何らかの要因でマイナス方向に働き、周囲の人と衝突したり、社会生活に支障をきたすようになる事を言う。こだわりの強さや完全を求める傾向は似ているものの、行為をやめようと思えばやめられる点が『強迫性障害』と異なる部分である。

 

さて、神経質者の会の話しに戻る。新しい方お二人とも、強迫性障害の『確認恐怖』であることが判明した。詳しくは書けないが、一人は車を運転中、標識を見落としたのではないかと不安になり、もう一度戻って確認するのだそうだ。もう一人は、玄関の鍵をかけ忘れたのではないか、電気製品をつけっぱなしにしたのではないかと不安になり、何度も外出先から戻って確認してしまうのだそうだ。典型的な確認恐怖である。

 

だからと言って、お二人の症状がまったく同じとは言えないのである。その人が何を最も恐れているかによって、大きく二つに分けられる。

かりにAさんBさんとしよう。

Aさんは道路標識を確認しなかったことで、勿論交通事故を起こすことを恐れているのだが(戻って確認する方がよほど危険と思われるのだが)、その先に、自分の信用が失われること、会社をクビになる事、ひいては刑務所に入れられて人間失格の烙印を押されること。このような事を恐れているらしいのだ。言うなれば『社会的な死』である。

 

 

一方Bさんは、電気製品をつけっぱなしによる火災を恐れているので有るが、その先には近所の人に取り返しのつかない多大な迷惑をかけてしまうこと、あるいは迷惑をかけたことに対する罪悪感とか自責感を恐れているようなのである。

ちなみに他人に危害を加えることを極端に恐れるものを『加害恐怖』と呼ぶ。

Aさんは自分が失われていく恐怖。Bさんは他人の迷惑が先に来るタイプである。

もちろんどちらが良い悪いといった問題ではない。

 

このような区別は、不潔恐怖にも見られる。

たとえばトイレの便座をきれいにしないと用が足せない人が居る。このような人を良く観察してみると、用を足す前に便座をきれいにする人と、用を足してから便座をきれいにする人が居る。前者は自分の身体を汚したくないタイプであり、後者は自分の汚れを他に広げたくないタイプである。『強迫』にも性格が関与しているのだろうか?