『分別』すること | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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『分別』と言う言葉はご存知ですね。『ぶんべつ』と読めば、種類ごとに分けること。『ふんべつ』と読めば、こんなときはこうするものと言うような、判断能力のことを表します。どちらも生きていくうえで大変重要な要素ですよね。

でも仏教ではしばしば『分別するな』と言う意味の言葉に出会います。なぜ『分別』してはいけないのでしょうか。

 

 

ひとつクイズを出します。

よーく考えてお答えくださいね。

A君はとても社交的で、いつも大勢の友人に囲まれておりました。一方、B君はとてもシャイで中々友人が作れず、いつも一人ぽっちでありました。

では、ここで問題です。

A君とB君では、どちらが友人が多いと思いますか?

 

『読者を馬鹿にするな!』 と言う声が聞こえてきそうですが、気にしないで行きましょう。

それでは十秒、カウントします。

チッチッチッチッチッチッチッチッチッチッ、チーン!

はい、お時間です。それではお答えください。

 

正解はB君です。

その理由を説明します。

B君には友人がいません。と言うことは、今友人で無い人たちが、B君の友人になる可能性があります。極端な話しをすれば、70億人 - 1人(B君) の人間がB君の友人になる可能性があります。

と言うより、分別しない考えで行きますと、B君には特定の友人がいないと言うことは、逆に考えれば、本人以外のすべての人が、B君の友人であるとも言えるのです。すごいことですよね。

 

 

一方A君にはたくさんの特定の友人がいます。A君は今いる友人に満足しており、それ以上の友人を求めないものと思われます。おそらく、今いる友人以外とは、付き合おうと言う気さえ起きないはずです。関心すら寄せない可能性が高いです。それ以前に、意識の上にも乗らないかもしれません。

 

いくらA君の友人がたくさんいると言っても、"70億 - 1"にはとてもとても及ばないでしょう。

よって、友人の数が多いのは、B君です。

 

『分別』しないとは、こういうことなんです。