『三輪空』って? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

本日も、お寺のテレフォンサービスよりの引用です。

 

ホームから人が線路に落下し、そのままはねられて即死した。

・・・こんなところを目撃したとしたら、たいていパニックになってしまいますよね。

 

 

都会では『・・・○○駅構内の人身事故の影響で、遅れが出ています』と言う放送が日常茶飯事のように流れています。誰一人パニックになりません。慣れのせいだと思います。人が一人即死したかもしれないのに、この平静さは有る意味異常です。

 

心優しい篤志家が、生活に困っている人たちに、お餅を送る活動を始めました。普段十分に食事を取れない人たちに、お正月くらいは良い気分を味わってもらいたいと言う、純粋に慈善の気持ちからスタートしたのです。

 

この活動は毎年続けられました。一回行うだけでも大変なのに、それを毎年続けるのはよほどの覚悟が無いと出来ないことです。だから普通に考えれば、回数を重ねるごとに、受け手の感謝の気持ちは、大きく、深くなっていくのが普通の成り行きですよね。

 

ところが反対なんです。

最初のうちは、感謝状をいただけたそうです。ところが何年も続けているうちに、それが当たり前になり、餅を送っても何の御礼も無いようになってしまいました。プレゼントに慣れてしまったんですね。

最近では、『今年もそろそろ送ってくるころだぜ』とか、『今年の餅は小せえなぁ』などと言う声まで聞こえてくるようになってしまいました。

 

相手を思って始めたプレゼントなのに、その相手は感謝もしなければ褒めもしてくれないのです。

篤志家は腹を立て、餅を送る行為を中止してしまいました。

『あんなにしてやっているのに・・・』

 

皆様は『三輪空』と言う言葉をご存知ですか。

お布施の心がけとして、お釈迦様が説かれた言葉で、簡単に言うと、こういうことです。

お布施には、差し上げる人『施者』と、もらう人『受者』、そして『施物』つまり品物です。・・この3つが無いと成り立ちません。

『三輪空』とは、3つのことを空んじなさい。つまり、こだわるなと言うことなんです。

 

 

まず『施者』は、たとえば『私がしてあげたんだ』と言う気持ち。

『受者』には、『あんたのためにしてあげたんだ』と言う気持ち。

そして『施物』は、『何々をしてあげた』と言う気持ちです。

上記のような気持ちは、一見、誰でもなるもののように思えます。

 

それでもお釈迦様は、『親切をしたから、苦しくなる』とは、一言も言っていないのです。人に布施を行うに際して、『三輪空』を忘れているから、苦しくなるんだよ。と説明しているのです。

つまり『恩に着せる心』が、私達を苦しめていると言うわけです。

 

それ以前に、相手の好意に対して『慣れる』とか『当たり前』と認識する私達の心の働きにも、細心の注意が必要だと言うことかもしれませんね。

 

参考・・・とどろきクラブ仏教講座より