もうしばらく、森田先生の色紙を紹介していこうと思います。
本日紹介するのは、
『偉人なるものは凡、天才は奇なり』
と言うものです。
大まかな意味は、偉人と呼ばれる人はもとは平凡な人間であり、一方天才は他の人が思いつかないような奇抜な発想の持ち主である。と言うあたりになるでしょうか。
森田先生はご存知のようにたったお一人で、あの森田療法を創設されたわけですが、先生自身は天才と呼ばれることを嫌ったそうです。『自分は人一倍努力してこの療法を作った。人は誰でも努力すれば偉大な仕事を成し遂げることが出来るものだ』と言っていたそうであります。
けれども森田先生は、評伝などにもありますとおり、芸術や文学などにも造詣が深く、天才的な資質を持っていたと言われています。けれども先生自身は『天才』である前に『平凡』であることに大きな意味を見出していたように思うのです。
『平凡』と言うと、何か』ぼんくら』のように受け取る人もいるかもしれません。ですがここで言う『平凡』とは平均値のことであり、さらにいうと『常識的な人間』、『当たり前の人間』と言うことなのであります。なぜ森田先生は『平凡』と言うことにこだわっていたのでしょうか。
『平凡な人間』とは『平均的で、常識的な、当たり前の人間』であります。でもどうでしょうね。私達も含めて、すべての面で平均値を取ると言うのは、至難の業ではないでしょうか。特にとらわれに陥った神経質者は、有る意味欠点だらけの人間です。
勿論人よりも優れた成績を上げるように努力することも大切でしょう。ですかそれ以前に、いろんな点で平均値よりも劣っている自分自身を自覚し、それをがんばって平均値に持っていく努力の方が大切であると思われるのです。森田先生は良く『常識人になれ』と言いました。その延長線で『偉人』にもなり得ると考えていたのでしょう。
私達は『平凡』を嫌います。何とか人よりも目立ち、上に行く事だけが幸せであるような錯覚をしている人もいるようです。あるいは人と違ったことをして注目を浴びることが、先進的、平たく言うと、"かっこいい生き方"だと思っている人も少なくありません。
なるほど、一握りの天才ならば、このやり方で幸せをつかめるかもしれません。
けれども大多数を占める『平凡』な私たちは、ますます苦しくなってしまうでしょう。私達は『天才』にはなれないかもしれませんが、努力すれば『偉人』にはなれるはずです。それは森田先生ご自身が、証明されておられます。
サラリーマンなら毎日きちんと仕事に行く。学生ならばちゃんと勉強する。ちゃんと宿題をやる。主婦ならば毎日ちゃんと家事を行う。どれも『当たり前』のことばかりです。毎日毎日同じことの繰り返し・・・のように思われるかもしれません。しかし今日の仕事は昨日までの仕事の上に成り立っているもので、すでに質が違っているのです。
そうして勤続何十年、主婦業何十年、と続けてこられれば、これは『非凡』なことと言わなければなりません。誰でも簡単に出来ることではないからです。
このように『当たり前』のこと、『平凡』なことを、ひたすら地道に、たゆまず続けていくことで、私達は知らず知らずのうちに『非凡』な人間になる事が出来るのです。
これこそ『平凡』こそ『非凡』と言われるゆえんです。このような実績を積み重ねることが出来た人を、私たちは『偉人』と呼ぶのです。