優越感=劣等感! | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

神経質者の会に入会したころ、よく言われていたのが『劣等感と優越感は同じものだよ』と言うことです。はじめは理解できませんでした。そもそも優越感と劣等感は正反対のものではないか? それがどういう理由で同じものだと言えるのか? などと考えていたものです。

 

優越

 

今は解かります。

優越感も、形を変えた劣等感なのです。『優越感』を辞書で引くと、『自分が他より優れていることを自覚しそれを得意に思う心、快感』とあります。もともと劣等感の無い人(そんな人は居ないと思いますが)は、たとえ客観的に人より優越していても、それを意識と言うか、自覚しないのではないかと思うのです。

 

自分が優れていることを吹聴したり、自慢する輩も居るには居ます。こういう連中も、実は劣等感にさいなまれているに違いないはずです。

神経質者は劣等感の塊のような存在です。しかし何かの弾みでそれがひっくり返り、優越感が前面に出ることがありますが、それはあたかも水面に浮いた落ち葉のようなもので、次の瞬間には再び劣等感の炎に焼かれてしまうのです。

 

普段劣等感の塊のような人でも、仲間の中で弱い者が出たり、落伍者が出たりすると、とたんに元気になれる人が居ます。こういう人は周りが元気だと自分はしょげ返ってしまう人なのです。

 

仲間の中で弱いものが出来ると、『自分はこれで最も弱い人間ではないのだ』と言う優越感が起こります。しかし周りがすべて元気の良い人ばかりだと、『自分はだめだなぁ』と、劣等感を感じるようになるのです。周りの状況によって優越感になったり劣等感になったりするわけです。

 

劣等

 

客観的に見て、能力が同じレベルの神経質者同士が最も劣等感を感じやすいと言われることもありますよね。それはお互いに自分に無いものを認め合い、それをうらやむことで、相手が偉く思われるようになるのかもしれません。

 

ところが相手が明らかに自分より下だと認識した場合、神経質は自己中心的な人が多いから、相手が自分の教えたとおりに出来ない場合、その人を非難する場合があります。それは相手が自分の思い通りにならない苛立ちから、相手の欠点ばかりが目に付いてしまうのではないかと思われるんですね。

 

相手次第で、私たちの劣等意識はいかようにも形を変えてしまうのです。この事実を知っているだけでも、己の心のゆれ動きを幾分、緩和することが出来るかもしれませんね。

 

参考・・・『森田正馬全集5巻』